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HEROES+《ヒーローズ・プラス》  作者: しんどうみずき
2章:異世界の再会編
39/56

侵食

 白く粘ついたクモの糸が背後にそれていくのを確認しながらヒデオは打開策を案じていた。

 ザイドとの問答中にも当然考えていたことだが、いざクモの機動性を目の当たりにするといくらか計画を修正しなければならない。巨躯のわりに素早く八本の脚を操って移動しているクモは近づいてしまえば死角に入ることができる。

 足元に対する攻撃手段はほとんど持ち合わせていないだろう。

 厄介なのはザイドの存在だった。悪魔の四天王で最強を自称する彼がどのような戦い方をするのかはっきりとしない。武器を持っていないところからすると他の悪魔と同じように肉弾戦を得意とするのかもしれないが、決めつけるには情報が少なすぎた。

「友月! お前は上から狙え! おれは下から行く!」

「了解」

 ドラゴンに乗って空中を舞う友月に指示を出す。

 悪魔の素質を継承しているものの、友月には戦略的なことはほとんどわからないはずだ。二人である優位性を活かすには連携が不可欠であり、生命線でもあった。

 幼馴染の暁だったら一々声を掛けあわなくとも最適なフォーメーションをとれただろう。大学からの付き合いの友月では限界がある。

「うおおお!」

 天井すれすれにまで上昇し、ザイドの真上から一撃を加えようとする。相手が馬やドラゴンに乗っていたならば十分に通用する攻撃だったのだろう。しかし複数の眼に捉えられた上空に死角はなかった。

 ザイドが身を捩るまでもなくクモの動きだけで回避する。まるで精密機械のような俊敏さだ。ヒデオはダンクで対戦した暴走ロボットを思い出した。あいつよりもずっとクモは強い。だが、プログラムで操作されていないだけ行動が予測できる。

 脚が止まったところを見計らって懐に潜り込もうとする。

 ヒデオの行く手を阻むように頭上から鉤爪が振り下ろされる。悪魔化した右腕でいなすと、金属同士がぶつかったような甲高い音がした。

「そんなチャッチイ攻撃が通用するかよ!」

 地面に脚が着地した瞬間、破壊的な衝動が脳裏をよぎった。

 四肢が勝手に意思を持って動き出す。クモの鉤爪を両手でつかみ、ローキックの要領で痛打を与える。甲殻の折れる感覚は、意外とあっさりしたものだった。朽ちた木を二つに割ったような感触。ヒデオの内で欲望を解放しようとするエルザの欲求はそれだけで収まるはずもなく、次なる破壊を試みる。

 二本目の脚に、全身を投げ出すようにして跳びかかる。

 常人の動体視力では自分の動きさえも追い切れないスピードだ。だがヒデオの卓越した視力は悪魔の爪が一閃し、脚の節から下を斬り落とす一連の流れを見つめていた。敵の弱点を即座に看破している。エルザの記憶がクモのすべてを知っていた。彼が何度も繰り返し想定していたザイドとの戦いを、いまようやく実践しているのだ。

 水銀のように冷えきった血液が熱を帯びはじめている。

 エルザが喜んでいる。殺したくてたまらなかった相手を前にして、夢が叶ったことに歓喜していた。

「殿下に支配されるな。キサマの自我が消失するぞ」

 ザイドの声がクモの上から忠告する。彼もエルザを恐れているのだ。完全なる悪魔になってしまえばザイドでさえも勝つことはできない。それはエルザにとっての勝利ではあるが、ヒデオの勝利ではない。

「ちょっとは手加減してくれるなら平気だろうよ。そこのクモから降りる気はねえのか」

「我と直接戦いたいのなら、まずはコイツを倒すことだ」

「いわれなくともそうしますがね!」

 三本目に取り掛かろうとした間際クモは残った六本の脚で器用に跳躍し、垂直な壁に張り付いた。壁を歩いているとは思えないほどのスピードで隅に達すると連続で糸を吐きかけてくる。

 ヒデオは強靭な両足で駆けつつクモの隙を覗うが糸を連射するスピードは一向に衰える気配がない。体内に蓄積した糸がなくなる頃には玉座の間が繭にすっかり包まれてしまうだろう。

 徐々に床が糸で覆われていく。

 このまま逃げ回っていたのではジリ貧だ。糸の粘着力にどれほどの持続性があるのか不明だが、とにかく踏まないにこしたことはない。クモの巣に引っかかるのはマヌケな昆虫だけでいい。

「ヒデオ、こっちだ」

 友月とドラゴンがヒデオの動きと並行して地面ギリギリを滑空する。次々と吐き出される糸をかいくぐってヒデオは青いドラゴンの背中へと再度飛び乗った。

「今度は落とさないようにしてくれよ」

「すぐ退場してもらうけど」

 ヒデオが乗ったことでスピードが多少鈍くなったドラゴンのすぐ横を網状の糸が通過していく。まるでマシンガンのような連射性だ。かすめただけでも身動きが取れなくなる点もよく似ている。

 距離をとるために大グモと対角の隅に退避する。さすがに射程はここまで長くないようで、糸を吐く動作が止まった。お互いが睨み合っている沈黙の間に、ヒデオは耳打ちする。

「やつはすでに二本の脚を失っている。上下左右に揺さぶってやれば必ず隙が生まれるだろう。そこで落としてくれれば、おれがもう二本を仕留める。片側だけでも潰せば戦力にならないはずだ」

「けど、どうやって相手をおびき出すんだ」

「クモが巣の中心から出てくるのは獲物がかかった時だ。そいつを擬似的に創りだしてやればいい」

「だからどうやってーー」

「こうするんだよ!」

 ヒデオは強引に友月から手綱をひったくると、思い切り後方に引っ張りあげた。急に力を受けたドラゴンが悲鳴のような咆哮を上げて前進し始める。

「馬鹿! なにすんだ!」

「黙って見とけ!」

 腰に提げていた剣を躊躇いなく投擲する。灰色の大グモにまで到達することなく途中で張り巡らされた糸に絡め取られるが、ヒデオは続けざまに身に着けていた護身用の小刀も投げつける。

 いくら切れ味の鋭い刃物であっても糸を切り裂くまでには至らない。

 だがヒデオの狙いはそこにあるわけではなかった。

 クモを正面に見据えドラゴンは真っ直ぐに突撃する。牙が両脇に開き、溜め込んでいた糸が噴射される。回避のため左に旋回する直前ヒデオがドラゴンの背中から飛び降りた。

 着地地点は先ほど投げつけた小刀のほんの僅かな柄の上。強靭な糸によって支えられた武器はヒデオの体重を乗せてなお空中で静止していた。とんでもない粘着力だ。

「いまだ友月!」

「オーライ!」

 旋回した勢いそのままにドラゴンがクモに体当りしようと試みる。瞬時の判断で広間の隅を放棄することを決断したクモが大理石の床に逃げ出すが、左右のアンバランスな脚のせいで移動にもたついていた。ヒデオは小刀の上から身を乗り出し、小刻みに動かされているクモの脚に向かって落下した。

 脚の付け根を長い爪が切断する。黒板を引っ掻いたような悲鳴が聞こえた。クモにも感情があるのだろうかという疑問を持つ間もなく、残った最後の脚の先端を蹴りつける。

 粉砕するのは容易だった。

 体重の支えを失ったクモは胴体から崩れ落ちていく。巻き込まれぬように離脱するヒデオは、ザイドがゆっくりとクモの背から降りる様子を見ていた。自分の相棒が倒されたというのに、いやに余裕のある表情だった。

「……ここまで簡単に潰されるのは想定外だった。陛下とキサマの親和性はかなり高いらしい」

「言葉の割に焦っていないみたいだけどな」

 ヒデオがクモから離れ、ザイドとの間合いをとりなおす。友月はしっかりとザイドの背後に回っている。これで挟撃体勢は整った。。

 悪魔の大将は倒れているクモにすこしばかり視線をやった。片側にだけ残った四本の脚で立ち上がろうと懸命にもがいているが、胴体部分を中心にして円を描くように回転することしかできない。機械じかけのコンパス、とヒデオは思った。あるいはメリーゴーランドにも見える。

「またシークに新たな騎獣を調教してもらわなければならぬな。今度はドラゴンに乗ってみるのも一興か。空を飛ぶのも愉快そうだ」

「すぐに天の上に送ってやるよ。あんたが行くのは悪魔に相応しく地獄だろうけどな」

「地獄は地獄で悪くない。舌なめずりをするような悪人どもが我らを待ちわびているだろうな。巻き込まれただけのキサマらに罪はないが、先に地獄へ行ってもらうぞ。心配するな、すぐに愚かな姫君共も後を追わせてやる。一人でいるのは寂しかろう」

「……そういや聞き忘れてたことがある」ヒデオが人差し指を立てる。「悪魔の面々が日本に旅立ったのは理解した。だが、その代償としてなぜおれたちが選ばれたのか。なんの変哲もない学生連中だぞ」

 ヒデオたちが肝試しに出かけたのはほんの些細な偶然が重なった結果にすぎない。たまたま凛の話題を耳にした友月がドライブに誘って、一度は断られたものの粘り強く交渉した後、暁も一緒に連れて行くことを決めたのだ。

 そこに運命的な力が働いていたとは思えない。

 ずっと不思議に思っていた疑問をザイドは一笑に付した。

「偶然だ」

「え?」

「あるいはそれを運命の呼ぶのやもしれん。だがキサマらが殿下一行の代償に選ばれたのはまったくの偶然に過ぎない。ほかに代替可能な人間はいくらでもいただろう。そうなれば違う誰かが殿下の力を継承し、この世界に来たはずだ」

「……お前が運命だと気付いてないだけじゃないのか。おれがリエーヌと出会って、彼女を救ったのは決して偶然なんていうチャチなものじゃない。神様がおれにやり直すチャンスをくれたんだ」

「事情がよく把握できないが、キサマでなければルークに殺されていた可能性もあった。悪運だけは強いようだな」

「不幸を前借りしたぶん、今更帳尻を合わせようと神様が奮闘してるのかもな」ヒデオはいった。「おれは無神論者だけど運命だけは信じてもいいかと思ってる」

「その運命はすぐに尽きる」ザイドがいった。「墓だけは建ててやろう。殿下の力を受け継ぎしものとして」

「悪いがあんたの墓を作るつもりはない」

 友月が加勢する。青いドラゴンは荒々しく翼を躍動させており、すぐにでも噛み付きそうな勢いだ。

「相棒の餌にするつもりもない」

「悪魔も食べるのか、ドラゴンってのは」

「シークがドラゴンを捕獲した際に何人か捕食されたという記録が残っている。やつがいなければ全滅だろう。ドラゴンという種族は、それだけ強力な存在だ」

 ドラゴンライダーになるには相当の資質を求められる。それは努力や精進によって得られるものではなく、ほとんど天賦の才能に近い。ドラゴンの捕獲が困難なことも相成って、ドラゴンライダーを大量に生産するのは非情に困難とされていた。

 シークという悪魔はドラゴンをも調教する能力を有しているらしい。ルークと同様か、それ以上に厄介な相手だ。

 だが、目の前には彼ら非凡な悪魔さえ霞んで見えるほどの強大な敵がいる。大グモを失ったとはいえザイドの身体には傷ひとつ付けられていない。本当の勝負はこれからだった。

「将を射んと欲すればまず馬を射よ、ってね」

「良い格言だ。日本とやらの言葉か?」

 ザイドが感心したように数度頷いた。馬を射られてなお余裕がある。大グモなど最初から捨て駒としか考えていなかったような雰囲気だった。

「あんたにゃもっと相応しい格言を送ってやるよ。前門の虎、後門の狼ってな!」

 ヒデオと友月が同時に躍りかかる。悪魔化した黒い両脚の筋力は弾丸のような瞬発力を生み、一瞬でザイドの面前に迫る。迷いなく繰り出されたヒデオの拳はすでに軌道を見切っていたザイドに簡単にかわされる。続いて二撃、三撃と放つものの、わずかに顔を動かすだけで面白いように当たらない。一拍遅れて背後から突っ込んできた友月の薙刀も難なく回避し、すれ違いざまにドラゴンの尻尾を蹴りあげた。

 鈍い悲鳴を上げるドラゴン。

 青い血液が大理石の床に滴っている。致命傷ではないようだが、ドラゴンの硬い鱗を切り裂いたザイドの攻撃の威力は計り知れない。

 まともに接触できるのは完全に悪魔の形状をしたヒデオの四肢のみだろう。人間のヤワな肌に当たれば、すぐにあの世行きだ。

「威勢の良かったのも一瞬だな。臆したか人間の子よ」

「……作戦を練りなおしてるだけだ。あんたの実力をちょっとばかし甘く見てたもんでね」

 ザイドが想像以上に強い。それは嘘をついても仕方のない事実だった。

 ヒデオは両腕を覚醒させることでルークに勝利した。いまは両脚も悪魔化しているというのに、二人がかりでさえ勝てる見込みは薄い。戦力を強化するためには新たな援軍か、さらなる悪魔化の進行を許すほかに思いつかなかった。

 背中を冷たい汗が伝っていく。恐れるな、と自分にいい聞かせるがかえって緊張が増すばかりだ。

「ーーヒデオ、無茶はするなよ」

 友月が薙刀を構え直す。刃先が鈍く光った。

「全身を悪魔化させようなんて考えはナンセンスだからな。お前が悪魔になってしまったら、この戦いに勝利したとしてもなにも残らない。俺はヒデオを斬るなんてことできないし、誰もそうなることを望んではいない。リエーヌだって人間のままのヒデオに救って欲しいはずだ。悪魔の力に心を許せば、俺たちが憎いと思っているやつらと同じ所まで落ちてしまう」

「わかってるよそのくらい」ヒデオは吐き捨てるように応えた。「んな馬鹿なこと考えちゃいない」

 大グモが背後で最後のあがきを見せている。徐々に動きが鈍くなっているので、じきに静かになるだろう。それまでヒデオたちが生きていればの話だが。

 四本の脚が床をこする耳障りな音を打ち消すようにヒデオの心臓の鼓動は大きくなっていた。

 興奮しているのか緊張しているのか。ヒデオと悪魔の王子の感情が混ざり合い、体内の細胞を網羅していく。彼の意志をも飲み込もうとする王子の激烈な感情は、ザイドと戦える喜びに満ちあふれていた。

 こわばった顔面にかすかな笑みが走る。

 ヒデオの表情が見えるのは正面に相対するザイドだけだ。

「……その不敵な顔は殿下とよく似ている。平生は退屈で無気力な雰囲気をしているが、ときおりそんな表情をすることがあった。そのたびに我は逃げ出したくなったものだ。殿下に戦いを挑もうなどとはついぞ思わなかった」

「こちらの王子様はあんたとドンパチやりたくてたまらなかったみたいだぜ。体中が熱くなって、あんたの首を掻き切りたいと願ってる」

 軽く拳を握り直す。

 さきほどは素人を相手取るようにかわされたが、今度は外さない。脳内で幾通りものシュミレーションが展開され、その全てがヒデオの勝利を示していた。

「ヒデオ!」

 なんの合図もなしにザイドの正面へ潜り込む。友月の声が遅れて聞こえた。頭を低くし、カウンター気味に放たれた蹴りを回避。片足で不安定になったところに足払いをかける。これで完全に体勢を崩すーーはずだった。

 確実にザイドのすねを抉ったはずの蹴りは大木の切り株を蹴りつけたように動かない。痺れた感触が足先を貫いた。

 想定と違う。

 反射的に腕を交差させて胸元をガードする。ザイドの重たい拳が両腕を貫通して心臓にまで響く。

 一瞬、呼吸ができなくなった。

 崩れかけたところをザイドが狙おうとするが、友月とドラゴンが体当たりのような形で突っ込んできたため横に逸れる。ヒデオはなんとかバックステップで距離を取ると、激しくむせこんだ。

「なん……で……」

 脳内のシュミレーションは完璧だったはずだ。

 悪魔の王子エルザが何度となく繰り返してきた戦闘予測。それには一部の隙もなく、疑いようもないはずだった。

 負けるはずがない。血が憤怒の感情にたぎるのが感じられる。

「キサマの中には殿下の記憶が眠っているのだろう」ザイドが蹴りを受けた左脚を撫でながらいった。「それは殿下のものであって、キサマのものではない。殿下の身体能力ならば可能だったことが、キサマにはできない。それだけのことだ」

「おれは、あんたには勝てないっていいたいのか?」

 挑発気味に尋ねる。生身の部分へのダメージは間接的とはいえかなり大きい。やはり人間と悪魔とでは根本的な耐久力が違うようだった。シマウマとサイの皮膚の厚さが違うように。

「殿下とキサマは別人だということだ。それを常に忘れるな」

「あんたはヒデオが悪魔の王子とやらと同化することを恐れている」

 友月の乗るドラゴンは首筋にも傷を作っていた。深くはないようだが体表と同じ色の血液が伝っている。かすり傷であっても数が増えれば見過ごせないダメージになる。ドラゴンといえど見境のない突撃は控えなければいけないようだった。

 ザイドは目を細めてヒデオの全身を見やった。頭上から爪先まで、ゆっくりと観察していく。

「殿下の再誕は防がねばならぬ。この世界のためにも」

「ヒデオには限界が近づいている。あんたにもそれは分かるだろう」

 人間と悪魔の境界が薄くなってきているのは、誰の目にも明らかだった。ヒデオでさえ感じ取っていることだ。

「休戦を申し込むか、愚かしい」

「違う。俺と一対一で戦ってほしい。ヒデオをこれ以上巻き込まないためにも」

「諸手を振って歓迎したくなる魅力的な提案だ。我が身を守るために最も賢明な手段の一つでもある」

「なら外へ出て勝負しよう。ヒデオには城のなかで待っていてもらう」

「キサマもすでに勘付いているだろうシークの後継者よ」ザイドの冷笑は氷柱のように無感情だった。「サカモトヒデオの覚醒は始まってしまっている。もう自力で人間に戻ることは不可能だ。全身が悪魔化するのも時間の問題だろうな」

「ヒデオは手遅れなんかじゃない。ちゃんと人間の心を保っている」

 友月が声を荒らげて反論する。ドラゴンが主人の声に合わせて咆哮した。

「意識が融合しつつあるーー殿下の存在がすでに心の大部分を占めている状態だ。いまの彼には我に向ける感情が自分のものなのか、殿下のものなのか区別が付かないだろう。もっとも、そんなことを冷静に考える余裕もないか」

「今すぐに戦闘をやめれば回復する。ヒデオはすこし疲れてるだけだ。身体を休めて緊張をほぐせば、いつもの馬鹿だけど優しいヒデオに戻る!」

「現実から目を背けるな愚か者が。逃げたところでどうにもならん。キサマと我が決闘しても数秒で結果が出る。シークと我とでは実力に差がありすぎるのだ」

「それでもいい! ヒデオが人間として生き長らえる方法があるなら俺はその1%の可能性にだって賭けてみせる。こいつは俺の友達なんだよ!」

「……友月」

 ぼんやりと会話が聞こえてくる。

 五感は戦闘を求めていた。敵の悲鳴、血の味と匂い、裂ける肉の鮮やかさに生暖かい体温の感触。ほかに必要なものなどない。勝利の陶酔に、胸高鳴る命のやり取りにはやく身を浸したい。

 今までどれほどの時間その恋焦がれるような欲求を抑えこんできたのだろう。

 最上の獲物が目の前にいる。戦う理由はそれだけでいい。

 ヒデオはゆっくりとザイドの方へ歩きだす。そうすることが当たり前のように思えた。

「行っちゃダメだ、ヒデオ」

「邪魔をするな。殺すぞ」

 もはやヒデオの声ではなかった。

 見知らぬ誰かが吹き替えをやっているような違和感。地獄の底から呼びかけてくるような冷徹な声音に友月は戦慄した。

「……ヒデオ」

「我からも忠告しておこう。キサマが次に余計な真似をすればドラゴンの首を落とす。なに、死ぬ順番が多少前後するだけだ」

「……怖くないのか」

「まだ人間だ。人間を相手に、我が臆する道理はない」

 ヒデオに向き直るとザイドは全身の力を抜いた。そうすることでヒデオのスピードに対応しようと試みているのだ。初速だけならすでにヒデオが凌駕している。問題はパワーと連続性だ。

 少しの間、ヒデオの闊歩する金属質な足音だけが響いていた。友月はヒデオに言葉をかけようとしたが、彼の瞳を覗きこんだとき、完全に勇気を失った。

 黒い瞳。

 日本人の黒い瞳孔ではなく、完全に闇に呑まれた瞳だった。

「……ヒデオ」

 つぶやく声は虚しく。悪魔となったヒデオとザイドが目まぐるしく交錯した。

引き続きやや残酷なシーンがあります

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