問答
ヒデオの前方で先導する友月のあとを追って玉座の間を目指す。両手両足は一時的に戦闘が終わったいまでも悪魔化したままだ。解除されるのはリエーヌを無事に救出し終えたときか、もしくは死ぬ間際だろう。あるいは人間である部分を失って完全なる悪魔へと変異するかもしれない。少年の鬱屈した激情はヒデオの体内を血液のように流れている。四肢の末端はもはや自分の意志とは切り離されたところで動いており、感覚さえも鈍かった。
王城という建造物は基本的に高いところに玉座を置くものらしい。
長ったらしい石の階段をバネのように跳ねて飛び越える。もはや一段一段をまたいでいく必要はない。次の踊り場までジャンプするだけで届くのだから。
まるで別人が主演の映画を見ているような感覚だった。
かろうじで理性を保っていられるのは頭部がまだ侵食されていないからだろう。ボサボサの黒髪が悪魔の硬質な皮膚に変化するとき、それが終わりの瞬間だ。
廊下の調度品はサフランのものよりも質素に見えた。王城を飾るには十分な高級感だが、それでもどこか物足りないのはなぜだろう。悪魔は見せしめのように街と住民を破壊した。けれども城内は狼藉の形跡すらなく、ところどころに痛ましい血痕が残っているほかは綺麗な状態のまま保存されている。
宝物や、破壊活動そのものには興味がないのだろうか。
彼らの目的は人間を殺戮すること。そして、人間の住まう土地を略奪すること。
上等だ、とヒデオは思った。
容赦も同情もいらない。人間と悪魔は共存不可能な種族なのだから。
「あとはそこの扉を抜ければ玉座の間だ」
重厚な金属製の門扉には王家の威厳を示すように複雑な紋様が刻まれている。ヒデオの動きが扉の前で一度とまった。
「……この先にザイドが待ってる。やつの気配がビンビン伝わってきやがる」
「俺も感じるよ。相変わらずの異常な殺気だな。だてに悪魔の大将をやってるわけじゃない」
「そうじゃないーーおれが感じてるのは憎しみとーーなんで懐かしいなんて思ってるんだ? おれがザイドに会ったのはほんの一日前だぞ」
記憶が混乱しているようだった。
ヒデオ自信の思い出と、内包された悪魔の感情が徐々に融合してきている。完全に意志を占領されるまえに悪魔化を解除しなければ。そのためにも前に進む必要がある。
「ヒデオ……」
「大丈夫だ。友月こそ気を抜くなよ。ここからは本気で死ねるぞ」
ゆっくりと力を込めて扉を開く。
悪魔の将ザイドは片肘をついて退屈そうにしていたが、ヒデオと友月の姿を認めると口の端をわずかに歪めた。
「ほう、あの大軍をくぐり抜けてきたか」
「雑魚が何匹集まろうともおれたちの敵じゃない。時間の無駄だったな」
ヒデオは玉座に悠々と腰掛けているザイドをにらんだ。
巨大な彫刻を思わせる灰色のクモは八本の脚を折って主人がいつでも乗れるよう傍らに待機している。せわしなく動きまわる赤い複眼がなければ、生物かどうかの判別も難しそうな超然さだった。
ザイドのほかに悪魔の姿はどこにもなく、広い部屋はいやに寂しく感じられた。
「リエーヌとマリアはどこだ」
友月が語気を強めて訊く。解答次第ではいますぐにでも斬りかかろうという気迫だった。
「もう殺した、といえばどうする?」
「てめえの肉片も残らないように刻んでやる」
ヒデオの返事に、ザイドはクツクツと口のなかで笑った。
髭のように顎から垂れ下がった黒い繊維がザイドの動きに合わせて揺れる。人間にしたら七十くらいの老人なのだろう。それでも彼の全身から発せられる強大な力のオーラは他の悪魔とは比較にならないほど濃密で、悪意に満ちていた。
だが、ヒデオにはそれが心地よく感じられた。
同じ雰囲気をまとっている、と思った。高位の悪魔だけがまとうことのできる空気が共鳴しているのだ。
「肉片か。キサマの力が完全なものであれば、あるいはそうなるかもしれんな」
「この状態でも十分だ。答えろ、彼女たちはどこにいる」
ザイドの意味する完全とは、ヒデオの全てが悪魔に支配されることをいうのだろう。いまここでリエーヌの安否を確かめることができないなら、悪魔に身を委ねてもいい。ザイドと相討ちになって友月に殺されることになっても本望だ。
悪魔の大将は沈黙を楽しんでいたが、静かに目を閉じた。
「案ずるな。あの小煩い女どもはキサマらが通ってきた廊下の脇にある部屋に監禁してある。近くにいると気が散るーールークはあの女を陛下に献上しようと画策していたらしいが、すこしこちらの世界に潜入しすぎたようだ。人間ごときを差し上げたところで、殺すしか使い道はないのだからな」
「なっーー!」
「やれ」
引き返そうとしたヒデオの背中にクモの糸が浴びせかけられる。絡め取られては一貫の終わりだと横っ跳びで回避するものの、入り口の扉が粘着質の糸で封じられた。
これを片手間に突破するのは不可能だ。
扉ごと破壊するか、廊下に通じる別の道を模索するしかない。同時にそれはヒデオたちの退路が絶たれたことを意味していた。
「……まさにクモの罠に嵌められたってわけか」
「元よりあの小娘たちは目的ではない。キサマらを仕留めることができればそれでいい。とくにサカモトヒデオ、キサマはな」
「俺は逃げてもいいってことかよ。じゃ、遠慮なくオサラバさせてもらうぞ」
「窓はすべて割れぬよう細工が施してある、龍の力の継承者よ。この数日間というもの、キサマらをおびき寄せるための餌をまくのに精を出していたからな。おかげで進軍に手間取って援軍を招き入れる時間を作ってしまったが、ここですべてが終わるなら安いものだ。ルークの無能が欲を出していなければ、もっと早くに決着が付いていたものをーー」
「愚痴はそのへんにしてもらおうか。あんたには聞きたいことがもっとたくさんある」
「こちらからも問おう。キサマらとともにこちらの世界に来た残りの二人はどこにいる」
凛と暁のことだ。
暁の居場所はいまだつかめていない。生きている保証さえなかった。
「交換条件だ。こちらの質問に先に答えてくれれば教えてやる」
ヒデオが交渉を持ちかけた。
ここまで何度か事情を知っていそうな悪魔を生け捕りにしようとしたが、いずれの試みも失敗に終わっている。情報は集められるときに収集しておかなければならないと学んでいた。
「キサマらが嘘をつかないという証拠はないだろう」
「それはあんたも同じことだ。それに、どちらにせよあんたは死ぬことになる。冥土の土産を残していくぶんには構わないだろ」
「まさしくそうだ。生きて出られなければいくら真実を知ったところで無意味。せいぜいあの世で後悔する肴にしかなるまい」
顎を上げて杯を仰ぐような仕草をする。勝利の美酒に酔いしれる妄想をしているのだろう。
それに値するだけの根拠がザイドにはある。
「問うがいい、魔王の力の継承者よ。キサマの知りたいことをなんなりと!」




