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HEROES+《ヒーローズ・プラス》  作者: しんどうみずき
2章:異世界の再会編
32/56

敵将

「なんだ……これは」

 リエーヌの表情が凍りつく。その後に続く言葉が見つからなかった。ヒデオの押す車椅子に乗ったまま、眼前の惨状を受け入れるにはかなりの時間を要した。上空にいる友月も、マリアも、ヒデオでさえも呆然とその光景を眺めていた。末端の兵士に至るまで、永らく安寧を享受してきたユランの街が蹂躙され尽くしているのを認めることができなかった。

 マリアが崩れ落ちるように膝をつく。その動作でようやく我に返ったヒデオが彼女の腕をとるが、自力で立つ気力も残されていないようだった。

「……これが悪魔なのか」

 ヒデオがこちらの世界に来る前はテレビ越しに紛争地帯の映像を目にする機会があった。ミサイルや爆弾によって無残に破壊された建築物や、四肢を失って泣き叫んでいる子どもたちをどこか遠くにある世界だと感じていた。

 彼が他人の死を目撃したのは、麗子が通り魔の凶弾に倒れたあの日だけ。それよりも残酷なことなど存在しないはずだった。

「あ、ああ…………」

 ユランの王女が周囲もはばからずに嗚咽を漏らす。

 兵士のなかから雄叫びのような声が聞こえた。誰かの名前を呼んでいるらしかった。家族か、恋人か、どちらにせよこの世には残されていないだろう。誰もがそのことを理解していた。受容せざるを得なかった。

 街を包囲するようにそびえていた城壁は正門を中心に破壊されている。子どもの作った砂の城を大人が蹴り飛ばしたように、無秩序に崩れ落ちている。瓦礫の山は周囲の堀に投げ捨てられ、もはや防衛の役割を喪失していた。

 そうして大きく穴の空いた城壁から覗く光景に、人間の痕跡は残されていない。

 レンガ造りの家々が並んでいたのだろう住宅街は、赤茶色の残骸に埋めつくされ、道という道は通行が不能になっている。巨大なハンマーで街を叩き潰したかのような風景のなかで、中央部の城だけが取り残されていた。

 そこに敵の大将がいるとヒデオは直感した。

 巨大なクモを従えた悪魔の将が、頬杖をついて眼下の様子を傍観している。ノコノコと現れた人間たちを嘲笑し、愉快そうに殺戮を指示する。配下の悪魔たちは嬉々としてユランの民を追い回し、葬っていく。

 ルークは人間をなぶり殺すのが趣味だといっていた。

 リエーヌを絶望へと追いやった悪魔と同じ思考回路をした者たちが、ユランの首都にはびこっている。彼らは人間そのものだけでなく、年月をかけて営んできた生活さえも欲望の対象にしているようだった。

「――ここまで徹底的に踏みにじるのはなぜだ? 私たちが暮らしていたところに侵略してきたのは悪魔のほうだろう、それなのになぜ私たちがこのような仕打ちを受けなければならない。悪魔はなにを考えている? わからない、私たちは知らないことが多すぎる」

 リエーヌの頬を涙が伝い落ちた。

 生まれたときから悪魔と戦う宿命を背負っていたリエーヌでさえも、感情を抑えきれていない。あふれでる涙の筋を拭うこともせず放心状態で呟いている。

 悪魔の軍勢は城壁の内側に控えているのだろうか。そうなれば内側にいた人間は完全に望みを絶たれたに等しい。悪魔は人間を最後の一人になるまで殺すだろう。たとえそれが、どんな理由であったとしても。

「進もう。おれたちにできるのはそれだけだ」

 ヒデオが二人の王女を促した。

 だがマリアは地面に手をついたまま動こうとしない。まるで顔を上げるのを拒んでいるみたいだった。

「進んだところでなにが待っているというのですか。私たちが築き上げたものが全て壊されたあの場所に行く意味などありませんわ!」

「あんたが行かなきゃ。マリアの他に、その資格があるやつなんていないんだから」

 短い咆哮がひとつ聞こえたかと思うと友月のドラゴンが翼をひろげて着陸した。心なしか顔色が悪い。友月は一直線にマリアに駆け寄ると、縮こまった背中を優しくさすった。

 城のなかで大切に育てられた彼女には強すぎる刺激だったのだ。

 自分が暮らしてきた場所が、ほんのわずかな時間で跡形もなく消されるなんて現実をすぐに乗り越えられるわけがない。悪魔の襲来があるまで、敵の姿さえ知らなかった王女には荷が重すぎる。

「マリア、大丈夫だよ。俺がそばにいるから。マリアの隣で、君を守るから」

 そっと彼女を胸に抱く。マリアの長い金髪が、湿気た風に揺られていた。もうすぐ雨が降るだろう。予定では街に入る前にどこかで陣を敷くつもりだったが、そんな余裕は残されていない。

「ここで少し休んでいこう。マリアの気分が落ち着くまで」

「却下だ。ユランの民を一秒でも早く救出し、悪魔が外部に出るのを防ぐ。そのためにも私たちが止まっている時間はない」

「マリアはショックを受けてるんだ。自分の国がこんなメチャクチャにされて落ち着いていられるはずがない。ただでさえ悪魔との戦闘や行軍で疲労しているのに、あんな危険な場所に突入するなんてムリだ」

 友月がリエーヌに反論した。

 お互いの言い分はもっともらしくヒデオには思えた。結局のところなにを大切にするかが違っているだけなのだ。もしサフランが攻撃を受けてユランと同じ被害を被ったなら、ヒデオはリエーヌに無茶をさせない。どこか安全な拠点で心を休め、適切な治療を施すべきだと推奨するだろう。

 だから彼は友月にもリエーヌにも肩入れすることなく黙っていた。どちらの立場も正義なのだ。本人たちにとっては。

「マリア、貴様の王位は絢爛な宝石に彩られただけの飾り物なのか。ユランの王女として遂行すべき使命があるはずだろう」

「あんな惨状を見せられて平静でいられるほうがオカシイんだ。マリアみたいに心のやさしい女の子がどれほど苦しい想いをしているのか……皆がみんなリエーヌみたいに強いわけじゃない」

「私はマリアに話しているのだ。貴様が王女としての責務をまっとうしないのなら、この場で私に王位を譲渡しろ。王は民を先導し、悪魔から守る義務がある。その運命を拒絶し、放棄するというなら、マリアには王女たる資格がなかったということだ。そのような王を持ってしまったことを、ユランの人々は恨み、呪うであろうな」

「ちょっとは言葉を選んだらどうなんだよ! そんなヒドイ言い方をすること――」

「ここに至るまでの道中でマリアに希望を託した人々は、どのような想いで貴様を見送ったのだろうな。悪魔を討伐しふたたび平和な生活を送りたい、その一心だったろう。王女ならば戦え、戦わない者は上に立つべきではない。マリア、貴様が王女になったのはたんに血筋のためか? ユランの暮らしを守りたいのではないのか?」

「それ以上マリアを傷つけるようなことをいったら許さないぞ」

 柄の長い薙刀をリエーヌに向ける。磨かれた金属の表面は暗雲を鈍く反射していた。悪魔を切断するための刃先をヒデオは指先で逸らした。

「お前が立ち向かうべき相手はリエーヌじゃない。本質を見誤るな」

「俺はマリアを守る。マリアが傷つくようなことは、俺がさせない」

「それならそれでいい。お前もずいぶん男らしくなったな」ヒデオは薙刀の刃を握る指に力を込めた。「だがリエーヌを傷つけるようならおれだって容赦しない。何がマリアにとっての幸福か、それをよく考えろ。お前が今まで相手にしてきたような日本の平凡な女の子じゃないってことを覚えておけ。彼女がこの世界の命運を握っているということを」

「――マリア」友月はしゃがみこむと、泣きじゃくるマリアの顔をのぞき込んだ。「君はどうしたい? 君が嫌だというなら、ドラゴンに載ってどこまでも逃げよう。ふたりで安心して暮らせる場所はきっとある。けど、マリアが戦いたいなら、俺は君の剣となり盾となる」

 そのとき遠方からドラゴンの荒々しい鳴き声が聞こえた。

 友月の相棒のものではない。ヒデオが首都の上空を仰ぐと、連隊になったドラゴンライダーの姿があった。関所を攻撃した時よりもずっと数は少ない。だが、友月の協力がなければ勝てない相手だ。

「私は……王女です。このユランの、長たる者です」手の甲で涙を拭って、ドラゴンの群れを睨みつける。「私は、私の国を壊した悪魔を許しません。民の幸福と安全を守るのが私の運命であるならば、それを全うしますわ」

「それでいい。己の手で己の国を奪還するのだ」

 リエーヌはほんのわずかに微笑を見せたが、すぐに兵士に指示を放つ。

「弓兵部隊は陣形を組み、友月殿を支援しろ。その他は荷物の警護に当たれ。索敵は終えているが念の為に周囲を警戒し、奇襲を受けないよう注意。ヒデオ殿にはこの場で待機してもらう、いいな」

「友月のぶんまで守ってやるよ」

 ヒデオが親指を立てる。兵士たちは銅鑼の音をかき鳴らし、慌ただしく陣形を変えている。

 敵のライダーが到着するまでそう長くはかからないだろう。友月は薙刀を小脇に抱えてドラゴンにひらりと跨ると、一気に飛翔した。

「今度こそ完膚なきまでに壊滅させてやろう。ドラゴンライダーに下手に背後を取られるようなことになると厄介だからな」

「――けど、敵はどうしていまのタイミングで攻撃してきたんだ。もっと効果的な時間帯はいくらでもあっただろうに」

 首都への接近を許してから寡兵を差し向けたのには、なにかしらの意味があるのだろう。

 悪魔側の戦略は理にかなっている。無意味に兵を消費することはないはずだ。

「……永らく悪魔との戦いをくぐり抜けて、やつらのことを多少は理解したつもりでいた。力こそ全てだと信じているような連中だ。とうてい戦術を練って戦に臨むような性格だとは思えなかった――だが、今回の一連の流れから判断する限り、だれか優秀な指揮官がいるように感じる」

「友月のいってた大将ってやつじゃないのか」

「おそらくそうだろう。非情に頭がいい。ユランへの攻撃も入念に準備されていたものだ。それなのに、ここに来てまた不可解な行動をとり始めている。まるでなにか重大な事実を見落としているみたいに……」

「陽動か?」

「友月殿が空で警戒していたからその可能性は薄いとは思うが、この隙を突いてなにか策を巡らすつもりかもしれぬな。――いや、それでもおかしい。なぜやつらは我々を堂々と迎え討たないのだ。兵力差は圧倒的だろう」

「ダンクのほうに主力を向けてるんじゃないか。おれたちには損害を少なくするため、策を練っているのかも」

 ヒデオがいった。

 サフランの王女は透き通るような銀色の前髪をいじりながら考え込んでいる。彼女の憂慮がどこへ向けられているものなのか、ヒデオにはいまいち感じ取れなかった。

「ユランの街を破壊し、民をいたぶることで興奮状態に陥っているのですわ。自制の利かない悪魔たちに冷静な判断ができるはずありませんもの」

 真っ直ぐにドラゴンライダーの一隊へ突撃していく友月の背中をマリアが視線で追いかける。

 敵の赤いドラゴンよりも体格で一回りは勝る友月たちが、先頭の悪魔を斬り落としたかと思うと、立て続けに二体を葬り去った。すれ違いざまに反転すると、すぐさま背面から強襲する。機動性においても、スピードにおいても、雑兵とは比べ物にならない強さだった。

「あるいは罠かもしれん――友月殿を引きずり出すための」

「……リエーヌ、城壁の上に立っている野郎が見えるか」

 ヒデオが緊張した口調で尋ねる。マリアとリエーヌは目を細めて、街を囲う石壁の上に視線をやった。

 暗雲の立ちこめる下に、それは悠然と待ち構えていた。

 ドラゴンよりも巨大であろうクモが複眼を紅に光らせ、ドラゴンたちの交戦を遠望している。槍のごとく鋭利な鉤爪はもろくなった城壁の面に奥深く食い込み、騎乗する悪魔の大将を支えていた。

「ああ――あれが、友月殿のいっていた悪魔か」

「クモが嫌いだったら耐えられないな。見ただけで気絶しそうだ」

 ヒデオがわざと軽口を叩く。

 そうでもしないと、恐怖に足がすくんでしまいそうだった。何重にも色を封じ込めた双角が大樹の枝のように左右に広がっている。漆黒のマントに包まれた胴体がどうなっているのか判別できないが、背中にさした長大な太刀は異質に存在感を放っていた。

 そこらの悪魔とは格が違う。

 たった一体だけでも、軍と互角に渡り合えそうな印象をヒデオは持った。いや、軍隊でさえ不足かもしれない。壁上から友月を睥睨する悪魔に勝つためにはそれ以上の力が必要だ。

「――まさか」マリアが血相を変えて友月を見上げた。「友月様をおびき寄せるための罠……」

「さすがに距離がありすぎる。いくら悪魔とはいえ、魔法が使えるのでもなければあの距離から攻撃するのは不可能だ」

 リエーヌがあっさりと否定した。

 かなり首都に近づいてきたとはいえ、まだかなりの道のりが残っている。悪魔の大将に凛のような特殊な能力が備わっていない限り、攻撃を受けることはないだろう。

 ヒデオたちの頭上で何十もの悪魔を相手どっている友月は幸か不幸か、壁上に出現した存在にまだ気づいていない。警戒を呼びかけることも出来たが、ヒデオはあえて黙っていた。

 友月の心には大将への恐怖心が植え付けられている。戦闘中に敵を恐れるのは致命的な行為だ。

「――おれたちはアレに勝てるのか?」

 ヒデオが素直に浮かんだ疑問を口にした。

 日本では何回も修羅場をくぐり抜けた経験がある。麗子を失ってから数年は精神が安定せず無意味に暴れたり、逆に部屋にこもって一歩も外へ出ない時期もあった。喧嘩のほとんどはそのときに行ったものだ。ロクに防御することなく、ひたすら相手に怒りをぶつけることしかしなかった。道場で習得した技術は、殴るためにしか使われなかった。

 どんなに凶暴そうな人であっても恐れたことは一度もなかった。

 ヒデオが初めて味わう、圧倒的な力の差をまざまざと誇示されているようだった。

「ひとりで立ち向かえば無理だろう。だが私たちには味方がいる。ヒデオ殿も友月殿もミヒャエルも、みなが団結して挑戦すれば、必ずそこに勝利は生まれる。悪魔を駆逐するならばいずれ倒さねばならない障害だ。早めに踏破しておくのがよかろう」

「友月が近づくなっていってた意味がようやくわかった。アレが来たらおれたちにできるのはクモの子を散らすように逃げることだけだ。皮肉な話だけど」

「それは日本の言い回しか」

「まあな。いまのおれたちにはピッタリの言葉だ」

「――私は逃げませんわ」マリアがフリルの付いたスカートの裾を強く握りながらいった。「たとえどんなに強大な敵が立ちはだかっているとしても、私が逃げたらユランの民は守れない。あの悪魔を倒さなければ、私の国は戻ってこない。でしたら、この身が八つ裂きになろうとも、進むしかありませんもの」

「あんたのこと箱入りのお嬢様だとばかり思い込んでた」とヒデオは肩をすくめた。「さすがは王族様だ。心意気が立派だもの」

「マリアのいう通りかもしれぬな」とリエーヌが同意する。「もう戦争は始まっている。我々の退路はすでに断たれた。悪魔を全滅させるか人間が一人残らず消されるまで、この戦いは終わることもない。私たちに残された選択肢は前に進み続けることだけだ」

「そう願ってるよ」

 ヒデオがつぶやいた。

 悪魔の大将はしばらく友月の戦況を見守っていたが、不意に飽きたように地上へ視線を移した。その射抜くような眼差しがヒデオたちを捉え、圧殺した。彼はすこしだけ笑ったように見えた。やがて大将が城壁の内側へ姿を消すと、クモが垂直に壁を下りていく光景を想像してヒデオの背筋に悪寒が走った。

 やつはヒデオたちの存在を知っている。

 ヒデオと友月の存在を確認する、それだけのために残存のドラゴンライダーたちを犠牲にしたのだ。そしておそらく、力のほどを推し量るために。

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