切迫
サフランとユランの連合軍は、途中で路頭に迷っていた敗残兵を吸収しつつ進んでいた。悪魔軍は途中の守備拠点には興味を示さず、一直線にマリアと友月を追いかけていたらしい。幸いなことに首都以外の地域で被害はほとんど見受けられなかった。
戦略的には、首都を一気に陥落させ、マリアを手中に収めるつもりだったのだろう。
それが友月の存在によって予定外に狂わされたのだとリエーヌは分析していた。となると、敵の次の目標はマリアの身柄か、あるいは勢いそのままにダンクへの侵攻を開始するか。
「敵の動向を知るためにも、友月殿には上空で待機してもらいたい。もし敵のライダー部隊が見えるようなら駆逐してもらって構わない。私が常々から主張してきたことだが、空の支配権を握るのは大きなメリットになりうるからな」
「それはいいんだけど……」
ドラゴンの背に鐙を付けながら友月が頭をかく。
「なにか気がかりなことでもあるのか」
「悪魔の奇襲があった夜のことなんだけど、俺も守備部隊のひとりとして防衛に回ろうとしてたんだよ」
無警戒だった城壁は百を超えるドラゴンライダーの部隊にたやすく突破され、内側に侵入した悪魔たちの手引きによって開け放たれた城門から無数の悪魔が殺到してきたという。
ユラン内部の構造を熟知している動き方だった。ルークが長い年月をかけて悪魔に横流ししていた人間側の情報を活用したのだろう。一方的に攻撃を受けるユランの兵士たちだったが、友月を中心にわずかながら待機していたドラゴンライダーの一団は反撃を加えるべくユランの空へ羽ばたいた。
「時間をいくらか稼げば軍を立て直すことができる。そう思ってたんだけど、悪魔のなかにドラゴンと同じくらい大きな生き物に乗ってる奴がいてさ、あっという間に俺の仲間たちは落とされた。ピョンピョンと跳ねるんだよ、そいつは。暗くてあまりよく見えなかったけど、あれは多分クモだ」
語る友月の表情は真剣だった。とても冗談を言っているふうではない。
ドラゴンがいる世界なのだから、巨大なクモがいるのもうなずける。ヒデオは毛むくじゃらの八本足をしたトラックほどの大きさのタランチュラを想起した。襲われたらひとたまりもない。
「悔しいけど俺には太刀打ちできない――そう思って、マリアを助けに行ったんだ。敵は取ってやりたかったけど俺ひとりじゃとうてい無理だ。やつが出てきたら、逃げるしかない」
「ならばそやつは大将だ。討ち取れば悪魔の軍は瓦解し、掃討も楽になる」
リエーヌは敵を恐れるどころかチャンスと目論んでいるようだった。友月の話が本当ならばヒデオの力をもってしても対抗するのは難しいだろう。巨大なクモは、巨大な悪魔くらい厄介だ。
友月が顔をしかめた。
「聞いてなかったのか、アイツに遭遇したら真っ先に逃げるんだ。どれだけ兵士がいようと意味ない。クモに食われるか、上にいる悪魔に殺されるか……」
「もちろん理解した。悪魔の階級は明白で、奴らは強ければ強いほど偉いという枠組みで動いている。実に野蛮な考え方だな。それだけに敵将も特定しやすい」
「だからアイツは倒せないって。命を無駄にするだけだ」
「我々だけで倒すのは不可能だろうな。たとえ友月殿の実力をもってしても。だが、ダンクと合わさればどうだ。ミヒャエルの開発した兵器が通用すれば、敵にとって甚大な打撃を与えることができる。そやつが城にあぐらをかいているなら好都合、ダンクに始末させる。もしも我々の方角に向かっているなら、罠にかけるまでだ」
リエーヌが不敵に笑う。最強の実力を有する悪魔に策略をかけようとしているのだ。彼女の大胆すぎる度胸に、ヒデオは戦慄を覚えた。
「とはいえ大将みずからノコノコと姿を現しはしないだろう。マリアの玉座でふんぞり返っているかもしれん」
「我々の神聖な場所をこれ以上穢すわけには参りませんわ。それに亡くなっていった多くの犠牲のためにも敵軍の大将を一刻も早くやっつけてしまいなさい」
マリアがスカートのフリルを掴んで憤慨する。
自国が蹂躙されている状況では、居ても立ってもいられないのだろう。自らを奮い立たせるように威勢の良い言葉を並べ立てる。
「大グモの悪魔を倒したあかつきには何でも好きな望みを叶えてさしあげますわ」
「おいおい、そんな約束するとあとで後悔するぞ」
ヒデオがたしなめた。
「いいのですわ。ユランは何物にも代えがたい宝なのですから、救っていただけるなら何を差し出しても構いません」
「よーしわかった。じゃ、おれが倒してあんたの身柄と貞淑を頂戴しよう」
「おいヒデオ。俺に喧嘩売ってんのか」
「悪魔ごときにビビってるやつにいわれたくねーよ」
「……もし例の悪魔を発見してマリアたちが身を隠さないようだったら、空に連れ去ってサフランまで避難するから。ヒデオはヒデオで好きにやればいい」
友月はそれきり口をつぐんで相棒に跨った。
一日の休息を与えられた青いドラゴンが強力に気流の渦を作りながら上昇していくのを見送ったリエーヌは、渋い表情をしていた。
「いくら友人が相手といっても失礼ではないか」
マリアを気遣いながらヒデオをなじる。
友月は明らかに気分を害していた。普段から言動に危なっかしいところのあるヒデオだが、いまのはやり過ぎだと感じた。
「日本でならあんな冷たいこと、たとえ友月だとしてもいわないさ」
ひょうひょうと答えるヒデオの視線は上空に向けられている。
太陽を背にして飛行する友月たちの姿はすでに小さく、ともすると見失ってしまいそうな距離まで遠ざかっている。ドラゴンの移動能力は思っていたよりも素晴らしい。彼を最初に迎えたときはマリアを伴った逃避行で疲れきっており、満足なパフォーマンスではなかったのだろう。
友月はドラゴンをどこで手に入れたのだろうか。
ヒデオの疑問に答える友人は、敵の偵察に行ってしまった。
「ルークとの戦闘で、敵を恐れることがどんなに不利か実感した。自分が負けると信じていたら、冷静な判断ができなくなる。道場でよくご老体の先生に説教されたもんだよ。本当に恐れなくてはいけないのは敵じゃなく、自分自身の弱さだって」
「まさか友月殿を勇気づけるために挑発したのか――なんとまあ、不器用な」
リエーヌが深々とため息をついた。
冷涼な銀の髪の色素がこれより薄くなってしまったら、いったいどんな色になるのだろう。ヒデオは興味を持ったが、実験するにはリエーヌの負担が重すぎるので研究を放棄した。むしろ黒髪に染めてほしいものだ。
麗子も他人に誇れる長い髪を持っていた。
指を通せば絹のように滑らかで、快感にも似ていた。子供の頃にはショートカットにしていた時期もあったが、中学に入ってからは一度も切らずに伸ばしていたのだという。彼女の最期の瞬間、黒髪は死相を隠すように、麗子の横顔を覆っていた。どんな表情をしていたのか、ヒデオは思い出すことができない。黒い髪が邪魔をして、麗子に近づけないからだ。
「友月は強くなった。それなのに怯えるほど警戒するってことは、よほどの強敵なんだろう。リエーヌたちは近づかずにダンクの兵士に任せたほうがいい。マリアも憎しみにかられて城内に突入するようなことは控えておくんだ。あいつが常に守ってくれるとは限らないからな」
「……私が無謀な行動をして彼を危険にさらすわけには参りませんもの。そのくらいの思慮分別はわきまえているつもりでしてよ」
「そりゃ素晴らしい」
ヒデオが無意識に自分の右腕を撫でながらいった。
整備された街道沿いに進軍を続ける。ダンクの発明品である自動車ほどではないが、雑草や石の取り除かれた道は素早く進むことができる。アスファルトの道路のない環境では凹凸の激しい道であっても役に立つのだとヒデオは実感した。
リエーヌとマリアを筆頭においた一軍の噂はすでに付近住民に広まっているらしく、あちこちで農民たちが平伏していた。なかにはなけなしの食料を届けてくれる親切なものから、勝利を願って神に祈りを捧げているものまでいた。
ユランの民は基本的に農耕と牧畜で生活を立てている。
決して裕福ではない彼らの施しを、リエーヌとマリアは厚く礼を述べて受け取った。
「本当は身軽な方がいいんじゃないか」
うず高く積まれた糧食を見てヒデオが危惧する。重量のある荷物は機動の足かせになる。迅速な行動が求められる今回の作戦においては、かえって邪魔になるだけだろう。
「せっかく民が私たちのことを想って運んでくれた物資なのですから、捨てるなんてとんでもありませんわ。彼らは戦いに参加できないけれど、こうして物に託して応援してくれているのです。たとえ荷物が増えたとしても、彼らが後ろにいてくれると考えれば、これほど心強い味方はいませんわ」
「首都までの道程でいくらか兵も増えるだろう。現状、我が軍の物資は乏しいから、ちょうど良かったところだ。捨てていくにしても、多少は敵の足止めになろう。貰えるものは貰っておくのが得策だ」
ふたりの王女がそれぞれに反論した。
おかげでサフランからユランまでを一晩で駆け抜けた軍勢も、首都までは三日ほどの道のりになる予定となった。ダンクからの連絡はなく、友月が上空から視察しても軍勢の姿は確認できないという。
悪魔軍の前線拠点を攻撃しているはずのクワガ王ジンの動向もわからず、リエーヌたちは完全に孤立していた。
友月による情報提供がなければ悪魔軍の奇襲を警戒して進むこともままならなかったはずだ。ドラゴンライダーの真の能力がその機動性と空を支配できる優位性にあるというリエーヌの見立ては正しかった。
「暁はたしか戦国時代について詳しいんだっけ――こういう肝心なときに限っていないんだ」
「ヒデオ殿もすこしは知識があるだろう。日本という国は文明がずいぶんと進んでいるらしいからな」
「私も友月様から色々なお話を伺いましたわ。馬のいない馬車に、鉄の鳥、それに動く絵画まで、まるで魔法の世界のようだと」
「あの野郎ずいぶんメルヘンチックに染めやがったな」
マリアに受けがいいように喋ったらお伽話チックな描写になったのだろう。
「なんだ、ヒデオ殿はそのように楽しげなことは話してくれなかったぞ」
リエーヌが非難がましい口調でヒデオを責めた。
「聞かれなかったからな。それに日本は絵本に出てくるような素晴らしいとこじゃない。悪魔より恐ろしいものも眠っている」
純粋に殺戮を目的としている悪魔は、ひと目でそれとわかる。
だが人間は人間の心を読み取ることはできない。誰がいつ、殺意を抱いているのか知るすべがないのだ。もしこの世界の人間がすべてルークだったなら、あるいはひとりだけルークが混じっているのなら、真に休まる日は訪れない。
「友月様はぜひ一度『でえと』というものをしてみたいと仰っていました。映画を見たり、美味しいものを食べたり、一日を楽しく過ごすのだそうですわ」
「ドライブに連れ回した挙句に酒の飲める店に行って、自分は運転があるからと女にばっかり飲ませて酔わせて、あとはホテルに連れ込むのが手口だけどな。それをデートと呼ぶなら別だが」
友月の悪どい実態をバラしてみたものの育ちの良いふたりの少女は合点のいかない表情をしている。
男女交際のなんたるかも知らないのだろう。王家にとって結婚は政略のために存在するものであり、そこに自由な恋愛など許されなかったのだから。
「そうか、日本とはそのように素敵な国なのか」
リエーヌのサファイア色の瞳にはどんな光景が映し出されているのだろう。それは不幸のひとつもない国で、人々はみな微笑をたたえて暮らし、お互いを尊重しあっている。昼には太陽の下で談笑し、夜はワインを囲んで親睦を深める。そんな楽園を思い描いているのだろうか。
そんなものはファンタジーだ。
ドラゴンよりも魔法よりも、ずっと。
「おれから忠告しておけることはひとつだ。間違っても戦争が終わったらふたりで楽しい生活を送ろう――なんて約束をしちゃいけない」
「なぜですの?」
マリアが首を傾げた。
「そういういかにもっぽい台詞を吐くやつは神様に見放されるんだよ。ドラマチックに死ぬほうが面白いらしい」
俗にいう死亡フラグというものだが、こちらの世界の住人にとっては馴染みの薄い概念らしい。
小説や映画という物語の文化を発展させる余裕もなかったのだろう。彼女たちが遠い国の話を求めるのは、身近にそういった娯楽がないからなのかもしれない。
「記憶にとどめておこう。アテにはしないがな」
「お茶会に誘ってくれれば、ほかにも日本のことを教えるんだけど」
「あれは高度な首脳会談だ。悪いが男子禁制となっている」
リエーヌが心情を察して勝ち誇ったように鼻孔をふくらませた。
友月による空からの偵察の甲斐もあって二日間は悪魔と遭遇することなく進軍することができた。ドラゴンライダーによる哨戒の気配さえなく、悪魔軍は不気味にユランの首都で沈黙し続けていた。太陽の光を完全に遮る厚い雲が立ち込めていたが、雨はまだ降っていない。彼女たちが目的地まであと一日の距離にまで迫ったとき、ようやくその惨状を目の当たりにした。




