ドラゴンの一日
「明日の明朝にユラン国境を発ち、計画通り首都へと進軍するぞ。マリアを追ってきた部隊を蹴散らしたことで敵の意識もこちらへ向くだろう。いくらかでも多く敵を引きつけられれば南から進軍するダンク軍の助けになる。我らはあくまで囮であり本隊はダンクに頼るしかないのが現状だ。クワガからの増援が見込めないとなっては戦線を維持するので精一杯だろうが、かえって小回りが利いて敵を撹乱しやすくなる。この機を逃さず、悪魔をユランにて包囲殲滅するのだ」
リエーヌがテーブルいっぱいに広げられた地図上の駒を動かしていく。
首都から避難してきた友月とマリアの話を総合すると、悪魔軍との兵力差はさほど大きくないようだった。もっとも悪魔の戦闘能力は人間を凌駕しているため、純粋な戦力差に換算するとかなりの隔たりがある。
サフランから率いてきた兵を含めて手元にいる兵はおよそ二百に満たない。行程の途中で敗残兵と合流したとしても、悪魔と一戦を構えるには心もとない戦力だ。
「大事なのは悪魔の狼藉を未然に防ぐこと。すでに首都からは大勢の人々が逃げ出していると聞くいている。彼らの保護と被害の拡大を抑えるのが我々の役割といっていい」
円卓の置かれた会議室にはマリアやヒデオを入れた幹部が集まって、パンとスープの簡素な朝食をつまんでいる。コーンの風味のする濃厚なスープに硬いパンを浸して食べるのがユランの習慣だった。というより、そうでもしないとパンが硬すぎて食べられないのである。
「今日は兵の休養と進軍の準備にあてる。サフランからはほとんどなにも物資を持ってくることができなかったから、こちらで装備や食料を集めるつもりだ」
「万が一サフランが悪魔軍に突破されたときを想定して国境付近にはいくつか砦が築いてあったと思うわ。そこから物資と兵を補給すればいいのではないかしら」
マリアがナプキンで口元を拭い、意見する。
軍のことにはからきし暗いかと思っていたが、一国の王女だけあって最低限の情報は頭に入れてあるようだ。箱入り娘という印象をヒデオは少しだけ改めた。
「そちらの手配は任せよう」
巨漢の隊長に目で合図すると、昨日の激戦の疲れも見せず勢いよくうなずいた。
むしろ活き活きとしているようでもある。サフランとの国境は重要ではあるものの数百年に渡る平穏ですっかり軽視されていたのだろう。働きがいのない土地にいきなり大仕事が舞い込んできたので浮かれているのかもしれなかった。
「再びドラゴンライダーが襲ってくる可能性もある。見張りはしっかり立てておくように」
「日夜交代で空を見張らせております。地表に墜落した悪魔の生き残りがいないか周囲に兵をはなっての探索も継続しているところです」
「奴らがいかにしてドラゴンを手懐けたのか、それを示すような痕跡があれば報告してくれ。根本的な疑問を解決しないとユランは常に北からの脅威を受けることになる。我々人間にとって大きな弱点になりかねないからな」
「あいつらもドラゴンと仲良くなったんじゃないか」友月が寝ぐせのついた前髪をいじりながら発言する。「戦ってて、嫌々従わされてる感じじゃなかったし、ふつうに調教したんだよ」
「ドラゴンが使い物になるには長い時間が必要だと聞いているが、あれほど大量の騎竜を揃えられるものなのか。ユランのドラゴンライダーの頭数はどうなっていたのだ」
リエーヌがマリアに向けて訊く。
ドラゴンライダーはユランの宝刀でありその実態は他国にほとんど明かされていない。マリアに直接尋ねるほかに現状がどうなっているのか知る方法はないのだ。
「……教えなければいけませんか」
「いまはつまらない見栄を張っている場合でないのはマリアにもわかるだろう。ドラゴンライダーの秘密を明かすことが悪魔の戦力の解明につながるなら、各国が手を取り合って協力するべきだ」
「それはそうなのですけれど……」
歯切れの悪い返事に、リエーヌは焦れたように声を大きくする。
「迷うことはあるまい。私たちがドラゴンの生態を知ったところで、実際にライダーを育成できるわけではない。悪魔の危機が迫っている現実を真正面から受け止めてだな……」
「違うの、そうではないのよ」マリアの人形のように大きな瞳にはうっすらと涙がたまっていた。「ユランには伝統的にドラゴンライダーの技術と戦術が受け継がれてきましたわ。でも、数十年ほど前から徐々にドラゴンの捕獲数が少なくなって――現在では十にも満たないライダーしか残っておりませんでしたの」
「……ユランがドラゴンライダーの情報を隠匿しようとしていたのは、そういう事情があったのか。だがマリアの責任ではあるまい。悪魔がなんらかの形で関わっている可能性もある」
「――慰めてくださるのね」
「私は事実を述べているだけだ。恥じなくていい、国の長がすべての責任を負うことはないのだからな」
「そうだよ。きっと悪魔がなにか小細工をして、ユランの戦力を削いだんだ」
友月も合わさってフォローする。
マリアにとってユランの伝統であるドラゴンライダーの系譜を細くしてしまったことは、心を抉るように辛かっただろう。国の王が、自力ではどうしようもない運命を背負って抱え込む痛みは、リエーヌのそばにいるだけで逃げたくなるほど感じた。それと同じ憂苦をマリアは持っていたのだ。
ヒデオはわざと明るい口調で提案した。
「そうだ、今日は友月のドラゴンの世話をしよう。明日からまた飛んでもらうんだから、機嫌を取らなきゃだしな。餌に掃除に、やることはたくさんあるだろ」
「友月殿には斥候を努めてもらおうと考えていたところだ。ドラゴンを可愛がってやらねばへそを曲げて飛んでもらえぬかもしれぬぞ」
「そうそう、相棒も女の子だからな。身だしなみを整えて綺麗にしてやらないと。マリアも一緒にくるか?」
友月がデートするように誘うが、マリアは首を横に振った。はあ、と大きく深呼吸をするとスープを一口含む。
「今日はリエーヌと少し散歩をしたい気分ですの。紅茶とお菓子は用意できませんけれど、見晴らしの良い屋上で休憩するくらいはできましてよ」
「それは構わないが――いったいなにを話すというのだ」
意外な方向から話を振られてリエーヌは面食らったように首をひねった。
「女の子同士、いくらでもおしゃべりの種はありましてよ。殿方の参加は遠慮してほしいものですけど」
「俺もダメなのか」
「友月様はドラゴンのお世話をなさって下さい」
つっけんどんにはね退けられる。
いわゆる女子会というものだろうか。王女と王女のくつろぎとなると護衛がうるさそうなものだが、非常事態下では融通をきかせやすい。銀髪と金髪の美少女が並んで座っている光景を見たくもあったがヒデオからドラゴンのケアを提案してしまったからには断れない。
友月とふたりで青いドラゴンを洗ってやるのが今日の過ごし方になりそうだ。
ヒデオは石のように硬いパンを丸々スープに浸して、ひと息に頬張った。動物の飼育をするのは小学生のとき以来だ。相手が獰猛なドラゴンとなるとかなり気合を注入して望むべきだろう。
さっさと食事を終えて友月の襟首を掴む。むぐ、と息の詰まる音がした。
「ちょ、放してくれよヒデオ」
「お前の女の世話だろう。おれだけじゃ食われちまう」
「それより俺の飯がまだ済んでないんだけど……」
「ドラゴンの餌が先だ。さ、ごちゃごちゃいってないで行くぞ。パンをくわえてりゃ交差点で転校生とぶつかるかもしれないしな」
「俺はもう大学生だぞ!」
抗議の声も虚しく。
ヒデオは友月を荷物のように引きずって、ドラゴンの眠る宿舎へと足を伸ばした。先の戦いで窮地を救った英雄の相棒といえど、ドラゴンを建物内で休ませるわけにも行かず関所からすこし離れた場所にある馬屋を臨時で使っている。
まばゆいばかりの朝日を浴びてドラゴンはサファイア色に輝いて見えた。
ヒデオは水場からバケツいっぱいに満ちた水を運んだ。無言のまま友月に手渡す。
「なんだよ?」
友月が反問した。
「おれが水をかけたら怒られそうな気がする。あのビッチめ、この前噛み付こうとしやがった」
「ビッチとか悪口いってるからだろ。ヒデオってペット飼った経験ないのか」
「あいにくと我が家はマンション住まいでな。まだローンが二十年近く残っている」
「あー、そりゃ思いやりの心が欠けるわけだ」
「うるせえ。お前も女にとっては極悪非道だろうが」
「俺は真剣に恋愛してるんだってば。ま、それもここで最後だろうけど。いままで付き合った彼女たちに感謝しなきゃだな」
バケツに汲んだ水をおもむろにドラゴンの背中にかけてやる。水浴びを楽しむように彼女は低い唸り声を発した。
いくら凶暴なドラゴンといえど感覚は他の動物と変わらないらしい。ヒデオは友月の勧めるままに、餌として用意された生肉をおずおずと口元に差し出す。
一瞬、ナイフのように鋭い歯が見えたかと思うとヒデオは手を引っ込めた。ほんの数秒前まで右腕のあった場所はドラゴンの口の中になっている。
「おい、クソビッチ! てめえ人間様に向かってなんてことしやがる! 焼き鳥にして食ってやろうか!」
「馬鹿、おま、そんな挑発したらホントに殺されるぞ」
「上等だこのやろう。ドラゴンだかなんだか知らないが偉そうにしやがって、ここで決着付けてやろうじゃねえか」
上腕二頭筋を浮き上がらせて威嚇するがドラゴンのほうはすました顔で知らんぷりを決めこんでいる。友月の制止がなかったら躊躇なく殴りかかっていただろう。
「なにそんな怒ってんだよ、寝不足か」
「お前じゃあるまいし昨夜は早く寝た。このビッチはおれに妬いてやがんだよ。友月をとられるとでも思ってんじゃねえの」
「だったらマリアを乗せたりしないだろ」
友月のもっともな意見にヒデオの思考が冴え渡る。
「わかったぞ、マリアに嫉妬してるものの友月に遠慮して大人しくしてやがるんだ。男のおれなら八つ当たりしてもいいって考えだろう。え、そうなんだろ?」
つばを吐きかける勢いでドラゴンにガンを飛ばすが一向に意に介さない。我関せずという態度で一貫している。先ほどヒデオの手を切断しようと試みたことは黙っているつもりらしい。
「ちくしょう、ボケナスドラゴンめ。お前なんてカラスに啄まれちまえ」
「……ヒデオ。もしかしてお茶会に誘われなかったのが悔しいのか」
「なにがお茶会だ、なにが女子会だ。なんでおれは女じゃないんだ!」
「……やっぱそうか。お互い、苦労するな」
友月が珍しく嘆息した。
ヒデオとドラゴンのにらみ合いは一日中続き、最終的にはドラゴンに毒入りの餌をぶちまけようとしたヒデオの襟首をつかんで関所に送り返す始末となった。悪魔の襲来もなく、平和な一日だった。




