クワガ王
久々に訪れた野戦陣地の雰囲気はヒデオがかつて感じていたよりもはるかに明るいものだった。
無数に張り巡らされているテントでは兵士たちが寝起きし、武器を持たない補助員がせわしなく動き回っている。ところどころで寒さを凌ぐために焚かれた火の周りでは男たちが歓談しながら支給された糧食をかじっている。
リエーヌを助けようと必死だったひと月前には、布製のテントのなかで身も凍るような拷問を受けた。そのときの傷はもう完治したが痛みへの恐怖は色濃く残っている。もう二度と鞭などは見たくない。
「ここにはあまり良い思い出がないな」
リエーヌを乗せた車椅子を押しながらヒデオが周囲を見回す。
ダンク訪問の手土産としてミヒャエルから車椅子をプレゼントされた。兄王とルークに負わされた怪我はいまだ癒えていないため、松葉杖で危なっかしく歩くよりは賢明だろうという判断だった。
「私にとっては馴染み深い場所だ。幼少の頃からたびたび連れて来られては戦場を視察した。兵を導き、最前線で槍を振るうのもまた王族の使命だからな」
「もうリエーヌが戦う必要はない。これからはおれが盾となり剣となる。リエーヌは安全なところでゆっくり観戦していてくれ」
「だめだ」リエーヌは厳しく告げた。「ヒデオ殿を戦場に出すわけにはいかない」
「なんでだよ」
「危険過ぎるからだ。戦争に関しては素人だろう。そんな足手まといを派遣して味方の足並みを崩すわけにはいかん」
「リエーヌがなんといおうとおれは悪魔を倒す。それだけだ」
「ヒデオ殿!」
片眉をつり上げてリエーヌが後ろを振り返ろうとしたその時、ヒデオの見知った男が盛大に土下座をするのが見えた。踏みならされて固まった地面に割れんばかりに額をこすりつけている。砂塵が舞うほどの豪快な土下座だった。
「なんだ?」
リエーヌが唖然としながら疑問を口にする。
事情を知らないのだから無理もない。
「……おっさん、顔を上げてくれ。そのままじゃアンタを殴れない」
「どうか何発でもお気の済むまで殴打して下さい! ヒデオ様に与えてしまった無意味で思慮を欠いた痛みのほんの僅かでもお返しいただけたらと、自分がとんでもない誤りを犯していたと悟ったあの日から夜も眠れぬほどに後悔しておりました。こうして再度お目にかかれたのもなにかの天命でしょう、さあ遠慮なく殴ってくだされ!」
「そう平謝りされるとやり辛いんだけど」ヒデオは腕を引いた。「けじめってやつが要ることもあるよな」
「覚悟はできております。どうか、いいように罰を!」
だが固く目をつむった彼が感じたのは頬を軽くはたくわずかばかりの報復だった。
「ヒデオ殿……」
「とりあえずこれでチャラだ。あんたの仕事、それはおれに殴られることじゃない。リエーヌを守ることだ。そのために身を投げ出してくれ」
「――かたじけない」
額が擦り切れそうなほど深々と頭を垂れる。
ヒデオは困ったように微笑みながらも、リエーヌの車椅子の取っ手に手をかけた。
「じゃあな、また近いうちに合うだろうけど」
「この命尽きるまで、サフランと姫様のために闘いぬきます!」
やれやれとヒデオは肩をすくめた。
こんなに暑い男だとは思っていなかった。戦場に出ている兵士たちは、忠誠心が高くないと離散してしまうのだろう。それだけ悪魔との長きにわたる戦争は負荷のかかるものだった。
「……ああいうバカ真面目なやつがいるから、サフランはなんとかなってるんだろうな」
「戦場は、嫌なものだ」リエーヌが遠くを見つめながらつぶやいた。「いつ死ぬかわからない状況が長く続くと、みんなどこかしら壊れていく。自分の一番弱い部分を隠して、どうにか強靭に振る舞おうとする。それができない不器用な者から心を壊してしまう」
「終わらせなくちゃいけないんだな。悪魔との戦いなんて」
「犠牲を生むのは私たちの時代で最後だ。これからは、人間が平和に暮らせる日々を作っていく」
「他国の様子はどうなんだ」
ヒデオが車椅子を押しながら聞いた。舗装の悪い地面であるため、ガタのきた机のようによく揺れる。
「ダンク、クワガ、ユランの三国が足並みを揃えてというのは無理そうだが、クワガの準備は異様に早い。あの国は日頃から兵の鍛錬を欠かしていないと聞くから、すぐに合流できるだろう。あの武闘派の王がずいぶんといきり立っていたからな」
ヒデオはどことなく日本の雰囲気を持った王のことを思い出した。
鋼のような肉体は、修練を積むことでしか生まれない。相当な時間を自分を鍛えることに使っているのだろう。
ミヒャエル王子の率いるダンク軍と並ぶ規模を有するだけに、期待も大きい。
「反対にユランは農繁期であまり幸先良く人が集まっていない。いまだに兵農分離もしない、古臭い制度を採用しているから対応が遅れるのだ」
むすっとした表情で愚痴をこぼすリエーヌ。
「あそこの姫様は完全なお嬢様っぽかったからな。ああいうのが悪い男にころっと騙されるんだ」
「根はそこまで悪くない、がすこし箱入りに育てられ過ぎたのだろうな。ユランという国は農業と牧畜で生計を立てているから、戦争にはあまり興味がない。あの国のドラゴン部隊はうまく活用すれば戦局をかえる可能性を秘めていると思うのだがな」
「ドラゴン?」
またもやファンタジーな単語が出てきてヒデオは思わず聞き返した。
「なんだドラゴンも知らぬのか。強靭な翼と硬い鱗を持ち、空を駆ける巨大な生き物のことだ。その口調からして日本にはいなかったのだろうな」
「悪魔と同じ、物語のなかの存在だったさ。まさかいるとはな」
「数は多くないが、空からの偵察は非常に有効な索敵手段になる。ドラゴンは貴重なだけに、ユランもそう簡単には使わせてくれないだろうがな。宝の持ち腐れというやつだ」
「へえ……」
この世界にはヒデオの知らないことが山ほどある。
悪魔と戦っていくのなら、人類の総力を結集しなければ勝てないはずだ。ヒデオは学校で習った知識を思い出そうと空を見上げた。
白い雲が風に流されて行く。当たり前な光景でさえ、疑わなければならないのだろうか。
「軍事については詳しくないけど、制空権を握るってのはとてつもなく重要なことだった気がするぞ。ダンクの最新鋭の武器と組み合わせれば、悪魔なんか楽勝に倒せるんじゃないか」
「そうだといいがな」リエーヌは憂鬱げに嘆息する。「私たちが文明の針を進めていく間に、悪魔たちも進化する。相手は動物ではない、知能を持ったやつらなのだ。ルークのようにこちら側へ潜伏している悪魔もいるかもしれん――不安要素はいくらでもある」
「やっぱりおれの頭脳が必要なんじゃないか?」
「教育を受けながらろくに勉学も修めていない素人に頼りはしない。ヒデオ殿を戦場に出すというのは、やはり危険だ」
リエーヌは車椅子越しにヒデオの顔を見上げた。
今日はひとまず最前線の様子を視察に来ただけで、ふたりからいくらか離れた前後に護衛の兵士が付いている。他の兵士たちは大掛かりな開戦の準備に明け暮れていた。
「いやだね」
「では問おう。ヒデオ殿はいったいどうやって戦うつもりだ? あまりに不安定で得体のしれない悪魔の力を使って、悪魔と戦えるのか? 私はまだヒデオ殿の正体を誰にも明かしていない。いまその能力のことを知っているのは世界で私とヒデオ殿だけだ。それを急に受け入れてくれなどといって、兵士たちが納得すると思うか」
「……でも、リエーヌは戦場に出るんだろ」
「王族である以上、それは宿命だ。今までならば私自ら剣をとって悪魔に切り掛なければならなかったが、私たちの後ろには心強い仲間がいる。ジン王は武闘派でならした猛者だし、ミヒャエルも性格はあれだが有能な男だ。彼らがいるなら私の負担も減ることだろう。この手負いの状態では、後詰めにまわるかもしれん。私たちの作戦が思惑通りに進めば、さほど危険な場所にいなくてもすむだろう」
「おれは、その力にはなれないのか?」
「私の護衛でいてくれればいい。悪魔との戦いに身を投じる必要性はない」
それに、とリエーヌは前を向いた。
「ヒデオ殿が危機に陥ったら、私は無理をしてでも助けに行ってしまうかもしれないからな」
「――それは、どういう意味で?」
「命を救ってもらった。それだけだ」
そっけなく言い放って、リエーヌはヒデオが押す車椅子の背もたれに身を任せた。
ヒデオは久々に感じた想いを隠して、無表情を装った。笑っていると、彼女に怒られそうな気がした。
「ふん、ダンクの若造どもはまだ着いていないのか」
鼻を鳴らしながら腕を組んでいるのはクワガ王、ジンだ。
無駄のない胸筋が、浴衣のような服の間から覗いている。ヒデオは思わず彼の肉体を観察していた。がむしゃらに鍛え上げたのではない、武道の鍛錬によって体得した筋肉のように見える。
長年に渡る修練が、美しい体を作り上げる。
ジンの全身は、これ以上にないくらい頼り甲斐のある強さに満ちていた。
「クワガの精兵たちと違い、いつでも戦争に赴ける準備をしていなかったのだろう。真っ先にクワガ軍が応援に来たこと、非常にありがたく思っている」
リエーヌが丁寧に礼を述べた。
ヒデオたちが視察した最前線にはクワガ軍の主力部隊がすでに向かっており、その大将であるジンはそこよりもいくらか後方に位置する砦にいた。
「まあいい、到着していようといまいと、このちっぽけの拠点にとどまるつもりはない。我が兵をもってすれば悪魔を壊滅させることなど容易い」
ジンが苛立たしそうに机上の地図を叩いた。
前回のダンクでの会合の際に、おおまかな作戦方針は決められている。ダンクとユランの合流を待って、悪魔軍と相対する思惑だった。
「手始めに奴等に占拠されている城を奪還する。そうだったな?」
「悪魔が行動を起こす前にこちらから攻め立て、やつらの策を潰す。あちらの国のことは分からないが、勢いに乗って進撃、悪魔を駆逐する手筈だ」
「ならばここで手をこまねいて軟弱者たちを待っている必要はあるまい。今夜にでも奇襲をかける」
立ち上がりかけようとするジン。その背中をリエーヌが引き止めた。
「戦力の分散は悪手。そのくらい素人でも知っているでしょう」
「戦の要は速さだ、小娘。敵が察知できぬほど迅速に動き、準備を整える前に撃退する。これが唯一絶対の必勝法よ」
「ですが、せめてダンクの軍が着くのを待って……」
「あの生意気な小僧はせいぜい後からやって来て、損害を抑えるつもりだろう。そんな腐りきった魂胆の若造より戦意にみなぎる兵士たちの士気が高い内に攻め始めるのが常道。サフランの姫がなんといおうと、我等は止まらぬぞ」
「――これは一国だけの戦いではない。人類全体の戦いだとお忘れか」
「無論承知。だからこそ先陣を務めるのは我等クワガでなければならないのだ」
そういって、ジンは後ろを振り返ることもせずテントから出て行ってしまった。
リエーヌは疲れたように大きなため息をつき、背後に控えているヒデオを見やった。
「あの様子では止めても聞かぬだろう。サフランの軍も同行させるほかあるまい。緒戦は皆が考えているよりずっと重要な意味を持つ。あの城を取り戻すことは、人類の存亡に大きな影響を与えることになる」
「そこって、元は人間の城だったんだろ?」
「以前はサフランが管理していた、重要な防衛拠点だった。だが悪魔の苛烈な攻撃にあって陥落し、現在はやつらの出先として利用されている。いわば人間と悪魔の境、こちらとあちらをつなぐ穴のようなものだ」
「そこから以外は向こう側にいけないのか?」
「行けぬこともない」とリエーヌはいった。「だが道は険しく、着いた先がどうなっているかも分からない。そして最大の困難は山脈の頂上付近にはドラゴンが数多く生息していることだ」
「――ユランの特産品だっけか?」
ドラゴンが存在するなどとメルヘンチックな真実はいまだに信じられなかったが、とにかくそのドラゴンは凶暴で、人であれ悪魔であれ構わず襲っているという。
「ときおり、はぐれたドラゴンが山を降りてくることがある。そのなかでも人に懐きやすい個体を捕まえ、馬のように訓練するのだ。数年もすればドラゴンライダーが誕生する」
「面倒くさい行程だな」
「だから使うのを渋る。あの部隊がいれば戦局は大きく変わるかもしれないのに……」
「あれだけ説得してもまとまるのは難しい、か」
どんな場所であれ人間は変わらない性格をしているようだ。
ヒデオは悪魔の力を持った両腕を訝しげに見つめると、リエーヌの車椅子を押して外に出た。よく晴れた空が広がっていた。




