会議
無機質な純白の会議室にはヒデオと凛を含めて六人が座っていた。古来より、円卓というのは上座や下座を設けないことで序列にこだわらず会議を行う目的で用いられると聞いたことがある。リエーヌがこの会談に望んでいるのも、そういう対等な関係なのかもしれなかった。
各人の前には一枚の資料もない。
みなリエーヌが発話するのを静かに待っていた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。こうしてダンク国で再会できたことを心より喜び申し上げると共に、場を提供してくれたミヒャエルに感謝の言葉を述べたいと思う」
ダンクの王子が頭を垂れる。これは儀式的な挨拶のようだった。
「この機会を借りて私、リエーヌが新たにサフラン国の王位に就きましたことを報告させて頂きます。各々につきましては更なる発展と進歩を祈って挨拶に致します」
「永遠の昼と朝が訪れんことを」
三人の最高権力者たちが唱和した。権威ある場には伝統的なしきたりがある。その義務を立派に果たしてこそ王位を継ぐものだと認められるのだ。
「さて、永らく対峙してきた悪魔軍に異変があったことを知らせたいと思う。ご存知の通り我々サフランは最前線にて日夜彼らとの交戦を繰り返してきた。ここ数年は動きも穏やかで膠着状態が続いていたが、それも真の平和ではなく、たんに一時的な小康状態にあったにすぎない。その忌むべき敵の軍勢が近々に大掛かりな侵攻に移るだろうという情報を得た。かなり信頼のおける情報だ」
「なるほど、それは憂慮すべき事態だ」
ダンク国第一王子のミヒャエルが彫刻のように端正のとれた顔をわざとらしく歪ませる。
隣に座るセーラー服姿の凛は、重苦しい空気が苦手のようで居心地悪そうに縮こまっている。深刻な問題を取り扱っているホームルームでも同じように押し黙っているのだろうと容易に想像できた。
「それはサフランだけで解決できる見込みはないのかい?」
「……長きにわたる戦争で国力は疲弊しきっている。兵は交代で戦場に送っているが、それにも限界はある。勝算の薄い戦いを挑めるほど奴等が軟弱な敵でないことは承知しているはずだ」
「それで僕らの力を合わせようと呼んだわけか」
「ああ。元よりこの件に関しては一国だけの問題ではない。大陸全土を挙げて闘争を繰り広げてきた宿敵が着々と準備をととのえている間に、諸国も力を貯めこんできたことだろう」
小国で立場が弱いことをつけこまれたった一国で悪魔軍と戦い続けてきたサフランからすれば大国に対する積年の恨みは嫌味のひとつやふたつでは解消できないほどつのっているだろう。
ヒデオは他のものに気付かれないようにリエーヌへ視線を送った。
「時は来た。我らの軍勢を結集し、ふたたび悪魔軍と相まみえることになる。今度こそ悪魔を完全に打ち払い、我らが祖先の悲願を達成するべきではないか」
「如何にも姫君のおっしゃる通りだ」
重々しく言葉を発したのはダンクと双璧をなす大国クガワの王、ジンだった。
ほとんどが若者で占められているこの会談において唯一の年長者ではあるが、見た目はまだ四十代というところだろうか。短く刈り上げられた黒髪に射抜くような鋭い眼光。浅黒い肌の下に忍んでいる筋肉は鍛え上げられ、歴戦の武人のような威圧感を放っていた。
和服に似た、浴衣のような着衣をまとっている。
「我等は此度こそ憎き悪魔軍を殲滅させ、この大地に恒久の平和と自由を奪還せねばならぬ。クガワの軍は精鋭揃い。いかなる局面でも決して退かぬ勇敢さを併せ持つ。我が国だけでも悪魔どもを蹴散らしてくれようぞ」
「それはありがたい。ぜひともお任せしよう」
「ミヒャエル!」
「冗談さ、リエーヌ。それにしても心強い。ぜひ一番槍はクガワに努めていただこう」
「貴様等のような軟弱者に譲る気は毛頭ない。小童が」
ジンは無駄のない筋肉をつけた腕を組んで、ミヒャエルを睥睨する。すくみ上がりそうな視線だった。
「もう話し合うことも残ってないだろう。儂は帰国して戦の用意をする」
「すこしお待ちくださいジン様」とリエーヌが止めた。「まだ終わってはおりません」
「――ふん」
上げかけた腰を下ろして鼻息を荒くする。
リエーヌは未だ発言していない少女へ視線を向けた。
「ユランが女王――マリアはどう考える?」
「そうですわね」ヒデオよりもわずかに若いくらいだろう金髪の少女が微笑しながら答えた。「ユラン国としてもこの戦争には全面的に協力していきたいと思っておりますわ」
「貴国のドラゴン部隊は戦場でめざましい働きぶりを披露するだろう。その力が得られるのは大いに助かる」
「ドラゴンは希少な種ですの。乞食に施しを与えるように他国へお譲りするわけにはいきません。馬や畜産ならいくらでもご提供いたしますわ」
人形のような金の髪を複雑に編み、唇はリンゴのように紅く、透き通る肌によく映えている。王族の代表として会議に出席するよりも王宮のベランダで優雅にティータイムを楽しんでいるほうがよほど似合うように思えた。
育ちの良いお嬢様の最上級。それなのに彼女の口から出た言葉は、いくらか厳しいものだった。
「マリア。あなたが毎年送ってくれる糧食と兵馬には感謝をしている。だが支援だけすれば良いという時代は終わったのだ。これからは厳しい冬が訪れる。悪魔との戦いは一枚岩でなければ勝てない」
「あら、リエーヌ。あなたこそ他国に不満があるのではなくて?」
挑発するように口元を隠して微笑する。愛らしい顔立ちであるだけに、かえってその不気味さが強調されていた。
「……サフランだけで悪魔に立ち向かう力はもはや残されていない。不憫だなんて哀れんでもらおうとは思っていないが、この地に生きるすべての人民を想えば協力を惜しむ国があるのは残念でならない」
「そもそもリエーヌの入手した情報だって怪しいものですわ。あなた、どこでそれを知ったのかしら?」
「悪魔と対決する機会は腐るほどある。彼らの動向に関してサフランの右にでる国はない」
「では、その痛ましい脚の怪我もそのときに負ったものなのかしら?」
マリアは悪魔のスパイだったルークの一件については知らないはずだ。サフランの威厳を保つためにもルークの事件は極秘裏にされている。悪魔の手先にいいように国を壊されていたと気付かれれば、ますますサフランの立場は弱くなり、犠牲の大きい役回りを押し付けられる。
しかし、わざとらしい笑みの裏には悟ったような余裕が感じられた。
「――そうだ。悪魔との戦いは楽ではない」
「それで、わざわざ敵の兵士が親切に教えてくださったのかしら? これから魔王さまが本腰を入れて攻撃をはじめます、と?」
「要約すればそういうことだ」
リエーヌは嘘をついている。
反発するように真っ向から見返すリエーヌの心中をヒデオは案じずにいられなかった。
「ねえリエーヌ。あなた隠していることがあるのではなくて」
「……いや」
「あなたの兄上のことは非常にお悔やみを申し上げるのだけど、それと前後して悪魔が攻め立ててくるなんて、すこし都合が良すぎるように感じられましてよ」
「私を、疑っているのか」
「率直にいえばサフランの国力を回復させるための陰謀ではないかと疑っているのよ。残された王位継承者はリエーヌひとり。悪魔との戦いを片手に国を復興できるほど政治は安易ではないですもの」
「僕もいくらか疑問を呈したい」ダンクの王子、ミヒャエルが口を挟んだ。「どうして今なのだろうか、いくらでも攻めようと思えば悪魔にも機会はあったはずなのに」
「おそらくだが」リエーヌはヒデオと凛を見やった。「日本からの客人たちの出現と関係がある。過去にも何度か訪問者はいたが、今回は事情が違う」
「……その方たちも日本から?」
マリアが声を上ずらせながら尋ねた。
「ヒデオ殿と妹君のほかにもふたりの友人がこちらの世界へ来ているかもしれないということだ。なにか心当たりがあるのか?」
「いえ……そういうわけではございませんの」
「事情が違うとはどういう意味だ」
威圧するような口調でジンが質問する。各人の興味はそこに集中しているようだった。
「四人もの人々が同時に転移してきたという報告はかつてなかった。加えて、ダンク国に保護されている妹君にはある特殊な力が備わっている。あちらの世界の常識ではあり得ない能力が」
ミヒャエルに確認するようにアイコンタクトを送る。彼は瞳を細めながら隣に座っている凛を示した。
「凛は僕の婚約者となる女性なのだけれど――魔法が使える」
「馬鹿なことをぬかすな」
ジンが派手な音を立てて円卓を叩いた。
魔法使いなどと説明されても信じられないのは当然の成り行きだろう。
ミヒャエルが「やってみてくれるかい」と凛を促すと、白い小さな掌のなかに炎が具現化した。マリアとジンの表情に驚愕の色が浮かぶ。何度見ても不思議だ。機械を使わないで炎を起こすなんて、どういう仕組みになっているのだろう。
「これがなによりの証拠だ」
「ダンクの技術でなくて?」
「いますぐ君の美しい髪を焼き尽くすことくらい簡単だよ。試してみるかい」
「……遠慮しておきますわ」
これで会議の主導権はダンク王国に大きく傾いた。しかしリエーヌはヒデオの悪魔化した両腕については打ち明けようとしなかった。この力は危険をはらむ。悪魔と戦うための会議で、悪魔に近い力を得ることのできるヒデオについて話すことはない。
「もちろん日本にも魔法は存在しない。このように特異な現象が発生していることと悪魔が動き出したことに関連性をもたせるのは、なにもおかしいことではあるまい」
「けれどリエーヌ。僕の大事な凛を戦場へ出すつもりはないよ。あまりに危険すぎる」
ミヒャエルがこれみよがしに凛の細い体を抱き寄せる。ショートカットの黒髪がはらりと揺れた。
「それはそちらの対応次第だ。十分な兵と装備を派遣すれば、婚約者を戦場に送ることにはならない」
「僕はそのつもりなんだけどね」
嘘だ、とヒデオは直感した。
政治的な口約束に過ぎない。四国が同盟を組むとなれば最大勢力のダンクが盟主となるのは必至で、そうなってしまえば他国へ出兵を強制しつつ自国の損害をできる限り微小にとどめようとするだろう。
悪魔と戦う上でダンク王国の貢献的な協力を得ることが最大の障害なのだとリエーヌはヒデオに事前に語っていた。
「ユランとしても農繁期ですから、あまり大勢の兵を送ることはできませんわ。どうか納得してくださいまし」
「この、臆病な子供どもが」
ジンが悪態をついた。
このままではまずい。諸国の連携を図るどころか、バラバラの心のまま戦争が始まってしまう。悪魔は人間よりも強い。その力関係を覆すには大陸に住まう全ての人々が共闘することが絶対条件なのに、それぞれが自国の利益ばかりを追い求めている。
どうにか彼らの気持ちを動かさなくては。
「あの――」
ヒデオが立ち上がるよりもはやく、リエーヌが起立していた。
「……議長たる私が真実を語らずして、賛成を得られるはずもないな。どうして私がここまでして協力を願っているのか、すべて話そう。隠していてすまなかった」
一拍おいて、リエーヌはよどみなく告白をはじめた。もう心のなかで何度も整理しなおしたことなのだろう。兄王の死からルークが悪魔としてサフランを内部から侵食し崩壊させたことまで、流れるように物語った。誰もが傾聴し、邪魔をすることはなかった。ヒデオの両腕に関する事柄を除いて、リエーヌは赤裸々に打ち明けた。
ルークの毒牙に蝕まれたサフランには、悪魔と戦いきるだけの力は残されていない。国の体裁を保ってはいるがその実態はシロアリに食い尽くされ空洞になった柱のように脆い。
そして、なにより。
「私は悪魔が憎い。私からすべてを奪っていった悪魔が。奴等さえ存在していなければ私と兄上が殺しあうようなこともなかった。サフランが気付かぬ間に国家の存亡に置かれるなんて失態もありえなかった。尊い数多の人命が失われることもなかった」
だから、戦う。
「大陸全土の人命を預っているなどという大義名分を掲げているが、この戦争は私のエゴだ。自己満足でしかない。悪魔を完全に討滅したい。みなの敵をとってやりたい。そのためにもダンク、クガワ、ユランの三国の支援が絶対に欠かせないのだ。どうか、頼む」
リエーヌは自尊心などというくだらないものを捨ててしまったみたいに躊躇なく頭を深く下げた。長い銀髪が垂れ下がり、表情を読み取ることはできない。
けれどきっとリエーヌは泣いているのだ。ヒデオは自らも立ち上がると王女の隣で直角に腰を折った。
「おれからも頼む。リエーヌの願いを聞き届けてやってくれ」
「……リエーヌ」
マリアが小さなつぶやきを漏らす。心なしか瞳が潤んでいるようだった。
「一緒に戦ってあげようよ」意外にも沈黙を破ったのは凛だった。「ほら、あたし強くなったしさ。いままではか弱い女子高生らしく守ってもらうつもりでいたけどリエーヌの話を聞いてたらどうしても協力しなきゃって思えた。誰かを救う力があるのに、それを行使しないのは、たぶん罪だよ。いけないこと」
「君は、それでいいのかい。命を危険に晒すことになるんだよ」
ダンクの王子ミヒャエルが正面から凛を見据える。ヒデオの妹は口元をほころばせながら首肯した。
「だって、王子様がそばにいてくれるもん。大切な人を守れない辛さは、あたしもよく理解してるつもりでいる」
わずかにヒデオの様子をうかがってから、凛は続けた。
「だから戦いたい。せっかく手に入れた能力なんだから、使わなきゃ損でしょ。きっと神様が頑張りなさいってプレゼントしてくれた才能なんだよ」
「――凛がそういうなら、僕に異論はない」ミヒャエルが頬を小指でかきながらいった。「それにリエーヌの家族は、悪魔さえいなければ僕の家族になっているはずだった。復讐を果たす義務が僕にはある。君はクールな女性だと思っていたのだけれど、情熱的なのも悪くないね」
「儂も悪魔共には一太刀といわずクガワの名を聞いただけで恐れ慄き動けなくなるほど蹂躙する所存。儂の仇討ちでもある」
ジンがぶっきらぼうに同意した。
「大切な人。か」マリアは遠くを見るような目つきで、「たしかに失いたくはないものですわね。リエーヌの気持ち、染み入るようにわかりますわ」
「みんなーー」リエーヌが面をあげた。彼女を見返す顔ぶれに、先ほどまでの迷いはなかった。「ありがとう」




