王子と妹
ロボットの残骸がくすぶる会議室を後にし、ヒデオたちは軽く怪我の手当を受けてから別室へと通された。今度の部屋にも同様に円卓がおかれており、まったく同じ造りとなっている。
「あのガリ勉たちはすぐに会議会議ってうるさいからそれ用の部屋をいくつも確保してあるわけ。ロボットが逃げ出すなんて聞いたことないけど」
とは凛の言葉である。
「へえ、そんな苦労をしてたわけね。ご苦労さまです」
ひと通りヒデオの辿ってきた境遇を説明し終えると、凛は感心したように拍手した。異世界に来ていてもマイペースで過ごせるあたりはさすがにタフだ。
悪魔化した両腕のことについても包み隠さず打ち明けたのだが、凛はそれに疑問を挟むことなく受け入れた。
「やはり兄妹水入らずの再会を邪魔しないほうがいいのではないか」
リエーヌが遠慮がちに尋ねた。バツの悪そうな顔をしている彼女に、ヒデオはゆっくりとかぶりを振る。
「ここにいてくれたほうが助かる。凛の事情も掴んでおいたほうが後々便利だろうし、なによりリエーヌを凛に紹介しておきたい」
「……リエーヌ?」
その名が意外だっというふうに凛はサフラン国王女の顔を凝視した。まるで間違い探しでもするかのように。
「どういうこと? 説明してよ」
「偶然か、運命か、どっちでもいいがそういうことだ」
「そんなわけないじゃん。生き写しみたいにそっくりなのに」
凛が声を荒らげテーブルを叩く。微かに空気中の静電気が反応したような音がした。
「ヒデオ殿にもいわれた。私は誰かによく似ているらしいな」
「似てるなんてもんじゃない、まさか双子だったなんて冗談はナシだからね」
「あいつは完全に一人っ子だった。頭を冷やせ。おれたちがいた世界とこちら側の世界はまったくの別物だ。たとえ同じ顔をした人間がいても不思議じゃない」
「でもそんな……あり得ないよ」
「凛。現実を直視しろ。リエーヌはここに生きて動いてる。その事実だけで十分だろ」
有無をいわさぬ口調で話題を切り上げる。それ以上の追求は許さないと暗黙のうちに語っていた。
凛はまだ喋りたそうに視線を泳がせたが、最終的には質問するのを取りやめ黙った。
「妹君はどのようにしてダンク王国にたどり着いたのか、教えてはくれまいか」
気まずい空気を払拭しようとリエーヌが明るい声を出して訊く。ヒデオも大きくうなずき同意した。
「凛のことはずっと気にかけてたんだ。どうか無事でいてくれって毎晩神様に祈ったよ」
「嘘つき。ねえ、暁さんと友月はどうなってるか知らないの?」
「あいつらの消息は不明。どっちも簡単に死ぬような軟弱なやつらじゃないと願ってる」
「まあ友月はなんだかんだしぶとく生き残ってそうなタイプだもんね」
納得した様子の凛はショートカットの黒髪を撫でつけてから語りはじめた。
「あたしは兄と違って目覚めたらここの医務室のベッドに寝かされてたんだよね。研究所の敷地内で発見されて気絶してる間に運び込まれてたんだって。色々検査したけど身体に異常はないってことで追い出されそうになったところを助けてもらって、なんだかんだと過ごしているうちに気づいたの」
「なにをだ?」
「あたし魔法の才能があるっぽい」
「はあ?」
いくら異世界に来たとはいえ一般人に過ぎなかった凛がいきなり魔法を使えるようになるものだろうか。
「リエーヌ、こっちには魔法なんてあるのか」
「物語の登場人物ならば魔法も操れるだろうな。あとは悪魔のなかでもごく一部の者が使用できるという信憑性のない噂を耳にしたことがある。噂好きの連中が尾ひれを付けて広めたのだろう」
ということはヒデオたちの世界と同じく魔法は存在しないはずだ。なんの勘違いか知らないがトリップしただけで魔法を体得するなどあり得ない。
「信じてないでしょ。さっきの暴走ロボットを倒したのも魔法なんだけど」
凛が前髪をいじりながら唇をとがらせる。
「たしかに遠距離から魔法のように雷を放っていたが……」
「わかったぞ」ヒデオが膝を打つ。「研究所の道具を借りたんだろう。懐かしき日本の青狸みたいに」
「あたしのは正真正銘、本物の魔法なんだから。ほら!」
凛が小さい掌を広げると、すっぽりと収まりそうな大きさの火炎がどこからともなく出現し、ろうそくの明かりのように頼りなく風に揺れた。
「CGか?」
ヒデオが試しに指先を近づけてみると確かに熱を感じる。覚束ない炎は本物のようだった。
「どこに機械を仕込んでるんだ。裸にして検査するぞ」
「それでなにも出て来なかったら殺すからね」
「ヒデオ殿、これは信じがたいが紛れもなく魔法だ。どんな文献にも記録にも残っていないが――日本から転移してくる際になにか特別な力が作用したのかもしれぬな」
「やっぱり麗子さんは話がわかるね」
「レイコ?」
リエーヌが怪訝な表情をすると凛はしまったというように舌を出した。
「なんでもない、気にしないで。そんなことより魔法ね。ダンクって国のことを少し教えてもらったんだけど、技術大国のここでも魔法はすごく珍しいってことで解剖されかけたんだよね。そしたら迫り来る魔の手から王子様が救ってくれたの」
「王子様だぁ?」
魔法に王子様だなんてメルヘンが過ぎている。
いまさら乙女らしく振舞ってもしょうがないというのに、なにを企んでいるのだろうか。
「まさか、あやつか?」
「そう、彼なの」
「悪いことはいわないからやめておけ。ナルシストで自意識過剰でキザったらしい男など関わらないほうがいい」
リエーヌが鬼気迫る剣幕で身を乗り出す。しかし凛はヒデオがここ何年か見たことのないような笑顔で続けた。
「すごく自分に自信を持っててロマンチストな王子様なの」
「手遅れだな。洗脳されているのかもしれないぞ、こうなればサフランで養生させたほうがいい」
「ああ、そうしよう。会議が終わったら連れて帰るぞ」
「待ってよ、どうしてそんな彼に否定的なの? あんなにカッコよくて優しい人ほかに会ったことないのに」
凛はうろたえながら拳を振り回して力説する。
明らかに冷静じゃない。ドライブ中に友月に見せていた楽しそうな目つきとは異なり、初めて出来た彼氏と結婚するといって聞かない妄信的な女子高生の瞳だった。
「目を覚ませ。あれはたしかに器量だけはいいが、性格を含めたその他の点で相応しくない。あれが甘い言葉をかけるのは妹君だけではないのだぞ」
「永遠の愛を誓ってくれたもんね。あたしも彼も愛し合ってる」
「……はあ」
ヒデオとリエーヌが合唱するように盛大なため息をついた。いまの凛にはどんな言葉も届きはしない。
「――あ! ちょうど来たみたい」
小動物のようにジャンプしながら凛がドアの方へ視線をやる。ヒデオの鋭敏になった感覚をもってしても扉の向こうの気配は感じ取れない。
コンコン、と軽いノックの音とともに黒いタキシードを優雅に着こなした男が従者を連れて入ってきた。金髪に碧眼という映画スターのような出で立ちで、王子というよりは俳優かモデルのほうがしっくりくる。彼はヒデオとリエーヌを認めると、口元をほころばせて一礼した。
「これはこれは。ずいぶん早い御到着だったようだね」
どこか少年っぽさの残るハスキーな声は、耳元で囁かれれば参ってしまいそうなくらい魅力的だった。
背はすらりと高く、外見だけはケチを付けるところもない。完璧な容姿を備えた王子。だが、ヒデオはその男の笑みの裏に隠されている醜悪な何かを感じ取った気がして身構えた。
「君と会うのも久しぶりだねリエーヌ。元気にしていたかい」
「たったいま絶不調になった」
「――その脚の怪我は?」
声をひそめて尋ねる。心から案じているような素振りだった。
「どうしてもダンクに来たくなくて階段から転んでみたのだが、結局うまくいかなかった」
「君は昔より辛辣な冗談をいうようになったね」ダンクの王子は軽く笑った。「そういうところも素敵だ」
白い歯がまぶしい。
凛は不満気に王子の腕をとって抱きついた。甘えるような上目遣いで猫なで声を出す。
「ねえ、リエーヌとはどういう関係なの?」
「元婚約者というだけのことだよ。凛が来るずっと前のことさ」
「婚約者?」
初耳だった。
つまりリエーヌはこの厭味ったらしい男のもとへ嫁ぐ予定だったのだ。大国に嫁に行くはずだったと聞かされたことを思い出す。ダンク王国はまがいなりにも大陸一の勢力を誇るというのだから、政略結婚の相手としては申し分ない。ヒデオの脳裏に自然と浮かんできたリエーヌと王子が並んで立つ姿は、悔しいほどよく似合っていた。
サフラン国の命運を大きく左右するかもしれなかった縁談はルークの陰謀によって阻止された。幸か不幸か分からないが、結果的にこの男と結ばれることはなかったのだ。
「君の兄上の件は残念だった。本当なら弔問に訪れるべきなんだが、こちらも色々と立て込んでいてね」
取ってつけたように悔みの言葉を述べる。リエーヌは返事をしなかった。
「うちの妹を助けてくれたらしいな。ありがとう」
ヒデオが代わりに会話を続行した。いくら気に食わなくとも最低限の礼儀は尽くす。道場で師範から厳しくしつけられたルールは離れないらしい。
「妹ということは、君が噂のヒデオ殿か。凛から話は聞いているよ。再会できて本当に良かった」
「――で、凛とはどういう間柄なんだ」
「そうそう。ご両親に挨拶に行けないからヒデオ殿が来てくれて都合が良かった。僕から説明してもいいかい、凛?」
「ううん。あたしからいうよ」
凛は王子に腕をからませたまま、ヒデオにぐいと顔を寄せた。輪郭の整った顔の形はヒデオにそっくりだ。
「あたし結婚するから。祝福してね」
「これから末永くお付き合い頂きますよ。お義兄さん」
「待て。すこし待て」
ヒデオは自分の頬をつねって痛覚が正常に機能していることを確認する。これが悪夢だという儚い希望は潰えてしまった。
凛と王子が結婚する?
すると凛はリエーヌと同じように姫になり、ヒデオは王族の親戚になるということだろうか。いや一夫多妻のシステムならば結婚という表面上の約束に惑わされて、実は愛人に過ぎないということもありえる。本妻は別にいて凛は数いる後妻のうちのひとりとして扱われるのだ。
「心配なさらないで下さい。僕はずっと凛だけを愛し続けますから」
「ほかに愛人を作ったり、そういうことなんだろ。あんたくらいの人間ならいくらでも候補者はいるはずだ」
「ちょっと兄! 失礼だよ!」
「いいんだよ、凛。ヒデオ殿はまだこちらの世界についてよく知らないだけなんだろう」
やんわりとたしなめる。セーラー服を着た女子高生はむくれながらも静かになった。
ここまで凛を手懐けた男がほかにいただろうか。ヒデオの答えは完全にノーだった。
「……ダンクは夫婦に関しては非常に厳しい規則がある。式を一度挙げてしまえば、そのパートナーが死別しない限り浮気も離婚も許されない。もしこの規則を破った場合には即刻死刑だ」
黙っていたリエーヌが口を開いた。
「だから結婚の前にダンクの男はあちこちの女性に手を出す。それはもう、冬眠前の動物のようにな」
「まーたまた。リエーヌは手厳しいなあ」
王子は凛の頭をなでながら苦笑した。うっとりした目つきの凛は魔法にかけられたようにおとなしい。
「私と婚約している間にもいったい何人の女を泣かせたのだ」
「若さ故の過ちというものだよ。高潔で無欠ないまの僕には関係のない話さ」
なるほど自信に満ち溢れている、とヒデオは変に感心した。おそらく反省という単語が彼の辞書には載せられていないのだろう。すぐにでも追加する必要がある。
「この国の権力を握る僕と、世にも珍しい魔法の才覚を持った凛が協力すれば成し遂げられないことなんてひとつもない。リエーヌが食い止めてくれている悪魔軍だって壊滅させられるだろうね」
いいようにサフランを盾にして自国を発展させてきたダンク国の王子が放つ言葉は傲慢に満ちているように聞こえた。彼が惚れ込んだのは凛ではなく、その魔法の力。
まあ、本人がいいと主張するなら無理に別れさせるようなことはしないつもりだ。
「お前のその無尽蔵の自信が頼もしく感じられたのは初めてだ」
リエーヌが真剣な表情でつぶやいた。それに呼応するように王子の口元が引き締まる。
「戦争になるという話だったね。詳しく聞かせてくれないか」
「――これはダンクとサフランだけの問題ではない。諸国が連携して解決しなければならない火種だ。詳細については会議中にみなに発表する」
「まっさきに僕に話を通してくるかと思っていたけどね」
「そのようなプライドに構っていられる事態ではないのだ」とリエーヌはいった。「生きるか死ぬか、残るか滅びるか。勝つのは片方だ」
「任せておいてよ」王子はリエーヌの肩に手を置きながらいった。「ダンク国第一王子であるこの僕――ミヒャエル・ダンクにね」




