悪魔
地下牢は冷たく、光の差さない空間だったが、その陰湿さはヒデオが拷問を受けたテントに似ていた。唯一の明かりは檻の外に置かれた松明だけで、うすぼんやりとしたヒデオの影を石畳に投影していた。
ヒデオは血にまみれた両手を明かりにかざしながら考える。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。透明な悪魔の仕業なのだとして、そいつは何の意図を持って監視役の男たちを殺したのだろう。
薪の爆ぜる音だけがヒデオの思考をときおり妨害する。
見張りの姿はない。おそらく、地下牢から王城の廊下へと続く階段の先に控えているのだろう。
ヒデオは現在、ライドと兵士たちを殺害した危険な悪魔として拘留されている。ルークはなにも告げなかったが今頃どこかでヒデオの処分について話し合っているはずだ。
「悪魔の力、か」
皮肉なものだ。
たった一度、リエーヌを守るために使った力が結果的にヒデオもリエーヌも苦しめている。悪魔の力は、その名に相応しい未来をもたらすのだろうか。
「いっそ脱獄してみようかな」
これ以上リエーヌのそばにいることで彼女を不幸にするのならどこかへ逃げたほうがずっとマシだ。
ためしに牢の檻を叩いてみる。鉄の柵の冷たい反響は、それを素手で破壊するのが不可能であることを示していた。右腕を悪魔化させれば切り裂けそうではあるが、それができるならとっくに試している。
こうしてヒデオを牢獄に閉じ込めておいて、透明な悪魔にはメリットが有るのだろうか。ふとそんなことを考えつく。
「おれを殺すのは簡単だったはず――それに、リエーヌも。死んでいくのは周囲の人間ばかり。それで意味があるのか?」
自問自答する。
暗闇の時間は長い。頭を回転させる余裕は十分にあった。
ヒデオが物思いにふけっていると、一筋の光が地上から差し込んできた。目を細めて地上につながる扉が開いているのを認める。逆光になっている人影は脚を引きずりながら最下層まで下りると、壁にかけられた松明の横にもたれかかった。
流れるような銀髪が、光をちらちらと反射している。
ヒデオは驚いたように目を見開いた。
「――ルークのおっさんはいないのか?」
「あやつは会議中だ。結論など決まりきっているが、お前の処分について検討している」
「死罪は免れないんだろうな」
「その他の選択肢があると思ったか? あとはどうやって処刑するか延々とくだらない議論を重ねているところだ。斬首、拷問、晒しあげ――悪魔に対する恨みは晴らせばきりがない。どれだけ残酷に殺したところで、ほんの数分間だけ狂喜に身を委ねることになるだけだ」
「なら、どうしてここに」
「疑問に思ったことがある」リエーヌは赤く染まったヒデオの右手に視線をやった。「どうして私を助けた。あの場で殺せばよかっただろう」
「おれも、それについてずっと考えていた」
ヒデオは立ち上がると、痛いほどに冷えきった檻に手をかけた。
「どれだけ考えても答えは出なかった。こんなとき、自分が馬鹿だと嫌になる。小説の名探偵みたいにはうまくいかない」
「私の問いに答えていないぞ。兄上を殺したあの夜、なぜ私を生かしたのだ」
「おれはライドも監視役たちも殺してない。それが答えだ」
ヒデオはまっすぐにリエーヌの青い瞳を見返した。
「信じられんな」
「おれには真犯人がわかってる」
「ならばそれを証明してみせろ。私が納得できるようにな」
リエーヌの口元は嘲笑うかのように歪んでいる。ヒデオの釈明を、苦し紛れの戯言だと思っている口調だった。
「医者の爺さんがいってた仮説は聞いてるよな。透明な悪魔がいるという可能性について」
「それが真犯人だというのか。馬鹿らしい、そんなものがいるならとうに城内の人間は皆殺しだ」
「おれはおれが犯人ではないと知っている。だから、その悪魔がどこに潜んでいるのかずっと考えてた。そいつがどんな意図を持って、おれたちの周囲の人間を殺したのか――けど、そんなのわかるはずがなかったんだ」
ヒデオは語気を強めると、鉄檻を握る手に力を込めた。
「なぜおれが透明な悪魔にとらわれていたのか。ライドの死体に抵抗したあとがなかったからだ。だから、見えないところから奇襲されたんだと思ってた」
「……あやつは疑り深い男だった」
「そう、ライドは真面目で慎重で堅物で、おれを信用していなかった。おれを見かけたら用心しないわけがないんだ」
「……証拠はそれだけか?」
「もうひとつある。部屋にいた兵士たちは、部屋のなかで死んでいた。おれがやったのなら、部屋の外にいるはずじゃないか。おまけにうつ伏せに倒れていたということは、背中から切りつけられたはず。おれを警戒しているのに、そんな無防備に背後をとられるだろうか」
「なにがいいたい、はやく結論を出せ!」
苛立ったようにリエーヌが声を荒らげる。
「おれは勘違いしていたんだ。無軽快なのは悪魔が透明だからじゃない、味方だと思い込んでいたからだ」
「この城に裏切り者がいるとぬかすか!」
「悪魔のなかには特別な能力を有してた個体もいると聞いた。もしも人間に擬態できる悪魔がいたなら、すべて説明がつく」
「馬鹿を申すな、そんな、そんなことがあっていいはずがない!」
怒鳴る声は地下の空間に空虚に響いた。
「信じたくない気持ちはわかる。けど、そう推理するほかないんだ」
「悪魔がこの城でのうのうと闊歩しているなど……」
「おれには悪魔の正体も見当がついている。たったひとりだけ、この事件を起こして得をするやつがいる」
「それは――」
誰だ、とは問わなかった。
その答えを聞くのが怖いのかもしれないとヒデオは感じながらも、言葉を続ける。
「悪魔による襲撃だとわかるように痕跡を残すことによって不利益を被るのは誰かーーこのおれだ。すべてはおれを陥れるための罠だったんだよ。そして、おれの悪魔化の能力を知っているのは三人しかいない。ライドと、リエーヌと、それから――」
「姫様、探しましたぞ」
頭上からルークの場違いな声がした。
柔和な好々爺の表情を保ちながら、ゆっくりと地下牢へ続く階段をくだる。地上につながる扉は閉じられており、最下層にある松明の頼りない光が薄暗くルークの皺の多い顔に影を作っている。
リエーヌは身体を硬直させると、わずかに後ろずさった。
「どうしてここにいる。会議中のはずではかったか」
「あれはもう結審しましてな、今日の深夜に処刑することとなりました。姫様こそこんな危険な男と一緒にいてはいけません、すぐに帰りましょう」
「――いくつか聞きたいことがある」
気丈にもルークからヒデオを庇うように牢の前に立ちふさがる。長いスカートの裾からのぞく包帯に手を伸ばしながら、リエーヌはルークを睥睨した。
「貴様がこの城に来たのはいつからだ」
「おかしなことを質問されますな。私は姫様の生まれる前からサフランにお仕えしておりますぞ」
「ならば問おう。貴様、人間か?」
「……それはどういう意味ですかな」
「そのままの意味だ。貴様が人間かと聞いている」
「そこの悪魔からなにを吹きこまれたか知りませぬが、私は正真正銘の人間ですとも」
「最後にひとつ」リエーヌが人差し指を立てた。「ライドを殺したのは貴様か」
しばしの沈黙が降りた。
ルークはなんと答えるべきか逡巡するようにうつむいていたが、静かに笑い声を漏らした。
「なにが可笑しい」
「ただの愚鈍な男かと思っていましたが、さすがあの方の力を受け継いだだけある。やはり陛下の慧眼は素晴らしい」
「――やはりお前がっ!」
「改めて名乗りましょうか」
ルークは肩肘を曲げて一礼する。その仕草はまるで道化のようだった。
「私の名は悪魔――あなたに絶望を届ける者です」




