老医者の小屋
「さて――」
ヒデオは自室をぐるぐると回りながら考え込んでいた。それを監視係の屈強な男たちが冷たく見張っている。
どうにもこちらの世界に来てから疑われる回数が多い。それだけ異質な存在になってしまったということだろうか。
「大事なのはなぜ、誰が、どうやって殺したのか。その三つが判明すれば事件は解決する」
小説に登場する名探偵たちはどうやって捜査をしていたか。ほとんどが警察の知り合いに情報を横流ししてもらっていた記憶がある。事件の詳細を知らなければ犯人を見つけることもできない。
重要なのは天才的なひらめきではなく情報量だ。
ヒデオは事件の鍵となるような情報を握っていそうな人物を脳内でピックアップしていく。
リエーヌはもちろん、ルークも対象外だ。そのほかに事件について知っている人物は兵士ばかり。第一発見者も巡回中の兵士だったという。彼らはおそらくルークから緘口令が敷かれているので、簡単には口を開いてくれそうにない。
「……となると」
ヒデオの脳裏に泣き上戸な老医者の顔が浮かんだ。
彼は王族直属の唯一の医師である。有事の際の検死もおこなったに違いない。
「とりあえず行ってみるか」
そうつぶやいて部屋を出ようとすると、監視係が槍を交差させて尋ねた。
「どちらへ?」
「ちょっと下に」
「目的地を明確に指定されない場合、力づくで止めてもいいという許可があります」
「それは殺してでもってことだろ」
「端的に申せば」
ヒデオは肩をすくめてみせた。
ライドにも負けないくらいの堅物をルークは寄越したらしい。真面目すぎる人間が近くにいると行動しづらい。
「お医者様のところに行くんだよ。あんたたち、場所を知らないか」
「そこへは中庭を通っていけばよろしいでしょう。くれぐれも姫様に近づこうなどとは思わないで下さい」
「もしそうなったら?」
「姫様に接近しようとした場合は問答無用で殺せとのお達しです」
「物騒なことだ」
ルークも警戒しすぎではないだろうか。
だが城内でサフランの幹部が殺されたとあっては、いくら用心しても足りないのだろう。リエーヌを狙うのもライドを仕留めるのも、難易度的にはさほど変わらないはずだ。
ヒデオたちは老医者の住まう小屋へと向かった。
中庭にぽつんと建てられた木製の小屋は、まるで猟師が暮らしているような素朴な外観をしていた。余計な装飾はなく、むき出しの木材が朝露に濡れている。
「どうしてこんなところに住んでるんだ。いくらでも部屋は余ってるだろうに」
「当人の希望です。それに、我々のためでもあります」
意味深に兵士が応じた。
ヒデオが小屋の呼び鈴を鳴らすと、なかから「入れ」という声が聞こえた。
「失礼します――うわっ」
ドアを開けた途端に咳き込むような煙が立ち昇った。
なにかが燃えている匂いではない。ハーブのように強烈な香りが鼻孔を刺激する。
「おい、大丈夫なのか」
煙の向こうに老人はぽつんと座っていた。
その傍らに薬草を焚くための小鉢があり、紫煙をくゆらせている。ヒデオは童話に登場する悪い魔女を想起した。老医者が怪しげな薬品を調合している姿が目に浮かぶ。
「来ると思っていました」
枯れた声でヒデオを招く。
ヒデオは老人の横に座った。
「朝から涙が止まりませんでな、こうして精神を安定させる効能のある薬草を燃やしているのです」
弁解するように老医者が手を横に振った。普段よりもいっそう泣き腫らしていたのだろう、袖が濡れているのが見て取れる。
「茶を出しましょう。ここの庭は良質な葉がたくさんとれる」
それぞれにラベルの貼られた無数の引き出しを開けて、乾燥した葉を網目のある袋に詰めていく。背が届かない場所にははしごをかけて、危なっかしい所作で薬草をとった。
「薬草の博物館みたいな場所だな」
ヒデオが感心して棚を見上げる。部屋を覆い尽くすように棚が置かれているため、生活のためのスペースはほとんどない。
「この家には国中、世界中から取り寄せた薬が保管されておる。種類も数も質も、ここに敵うところはない」
老医者が袋をポットに入れ、沸かしたお湯を注ぎ込む。
「ほれ、飲みなされ」
出されたお茶はハーブ特有の鼻がスッキリするような香りだった。一口飲むと、苦味と甘味の混じった味が広がる。
「あまり美味しいものではないでしょう。このお茶もまた、気分を落ち着かせるためのものですから」
「砂糖はないのか」
「この年齢になると健康にも気を遣わなくてはいけませんからな。こんな悲しいことばかり続くようでは、そう長くは生きていられますまい」
「……ライドの件に関しては残念だったと思う。おれもついさっき知ったばかりだ」
「彼は良い青年でした」
老医者の瞳には涙が光っている。部屋の空気に蔓延している薬草の煙も、あまり役には立っていないようだった。
「若いながらも優秀な官僚だった。ライドの家系は代々サフランに仕えていて、彼の両親のこともよく知っている。どちらも頑固で融通のきかない役人だったが、仕事に関しては真面目に打ち込んでいた」
ライドの性格は遺伝だったのだろう。
ヒデオは老医者の語る思い出話に耳を傾けながら思った。
「そんなふたりが大恋愛をしたというから驚きだった。親の反対を振りきって、あれよという間に結婚してしまった。だが不幸なことにライドの母親は出産してすぐに死んでしまった。彼女を看取ったのはこの場所だった。赤ん坊のことばかり心配して、自分のことなど案じていないようだった。当時の王はライドを哀れんで、この城でともに育ててやることにした。姫様たちと混じって遊ぶこともあったでしょうが、父親の背中を追いかけるように勉強ばかりしていた印象があります。そして若いながらに働き出し、人材不足という事情も相まってトントン拍子に出世して行きました」
誰もが羨むサクセスストーリー。だがそんなライドを二度目の不幸が襲った。
「次の外務大臣はライドで間違いないと噂されていた時期に、彼の父親が亡くなったという一報が届きました。乗っていた馬が暴れだし、落ちたときの傷が悪化したのです。葬儀が終わったあとも、ライドは淡々と実務をこなしていきました。そんなライドのことを、姫様はよく知っていたはずです。本当に長い付き合いですから」
それ以上に、リエーヌには思うところがあったはずだ。両親を失った悲しみは、心の片隅を共有するのに十分すぎる原因なのだから。
「サフランにはあまりに悲しみが溢れている。医者という職業はそれを実感させられます。この国では多くの命が失われていく。それが悪魔のせいならば、彼らを断じて許すわけにはいかない」
老医者はカップに口をつけると、やけ酒を飲むようにひと息に茶をあおった。
ヒビが入りそうなくらい力強くテーブルにカップを置くと、ヒデオを射抜くように見つめる。
「――ひとつ聞く。ライドを殺したのはヒデオ殿か」
犯人であれば自白しそうな迫力だった。
ヒデオは静かにかぶりを振った。犯人を探すのに、自分が犯人だったという結末はあまりに酷い。
「その意思に偽りはないか」
「おれはライドを殺したやつを特定するためにここへ来た。あんたが知っていることをすべて教えてほしい。ライドがなぜ殺されたのか解明しないと、あいつも成仏できないだろう、それに――」
「姫様も悲しんでおられるはずです。加えて、すくなからずヒデオ殿を疑っている。違いますかな」
驚いたようにヒデオは目を見開いた。
「どうしてそれを」
「だてに医者をやっているわけではありませんからな。いわくありげな男が大怪我を負って、あんな塔に閉じ込められているとあれば、なにか裏があると思うものです」
「やっぱり、あそこは客人としてもてなされる部屋じゃないんだな」
「当たり前でしょう。あの塔は本来、高貴なる囚人のための部屋なのですから」
なんらかの事情があって高い身分にあるものを閉じ込めておかなければならないとき、塔の頂上にある小部屋に住まわせるのだという。逃亡することは不可能、石造の鳥かごだ。
「気分を害されましたかな」
「疑われるのはいつだって面白くはない」
「正直に申せば、ヒデオ殿を疑うのは筋違いというものかもしれません。ですが姫様を守るのに、本当に信頼できるのか確かめる必要があったのです。どうか許してくだされ」
頭を下げる老医者に、ヒデオが尋ねる。
「犯人がリエーヌを狙っている確証があるのか」
「ええ。それもかなり厄介な相手です」
「教えてくれ」
「あまり信じたくないことですが――下手人は悪魔です」
唖然とするヒデオに、医者が補足説明をする。
「彼の遺体を検分したときすぐに気付きました。若いころに戦地で医療兵として働いていたことがあります、そこに運ばれてくる身体に刻まれている傷痕の特徴は忘れません。鋭利な刃物で何箇所も刺したような断面に、激しく傷つけられた内臓。あの創痕はまさしく、悪魔によるものです」
「この城のなかに悪魔がいるってことか」
「確定事項です。ですが人のなかに悪魔が混じっていればすぐに悟られてしまいます。ましてや警備の厳しい城内になど潜伏できるはずがない」
老医者のいうとおりだ。
リエーヌによれば悪魔は漆黒の体躯をしておりヒデオの右腕のように強靭で鋭利な四肢を持つという。そんな出で立ちをしていれば、シマウマの群れに入り込んだライオンのように発見され、兵士たちによって葬られるだろう。
人間と悪魔は戦争をしている。そう簡単に敵国へ侵入できるはずがない。
「そこで一つの仮説を立てました。悪魔は透明になれるのではないかという仮説です」
「悪魔にはそんな特殊能力があるのか」
初耳だった。
人間を凌駕する身体能力を有しているとは聞いたが、透明になれる技能まであるとは。
「悪魔のなかには通常個体にはない特殊な力を持ったものもいます。その内容は様々ですが、数は決して多くないはずです。仮に透明になる能力を持った悪魔がいるとすれば、すべて説明がつきます」
「……そんな危険なやつがいたなら、とっくに潜入していたんじゃないか」
透明な悪魔などという便利な力があれば、人間と悪魔の長年に渡る対立はとっくに悪魔の勝利というかたちで終焉を迎えていることだろう。
それだけ目視できないというアドバンテージは大きい。
「能力になんらかの制限があるのかもしれません。あるいは、どこかで裏工作をしていた可能性もあります。どちらにせよ敵の目的がどこにあるのかわからないことには不気味ですが」
「……それはリエーヌたちにも話したのか」
「ルーク様と姫様には真っ先にお伝えしました。残念ながら、お二方ともあまり信じておられる様子ではありませんでしたが」
老医者の話を信用しないのも、仕方のないことだろう。
サフラン城内で透明な悪魔が闊歩していると考えるよりも、ヒデオの右腕を訝しんだほうがよほど理屈に合う。
「……けど、おれも無闇には信じられない。透明な悪魔だなんて、都合が良すぎる」
「そう考えるのに有力な証拠がもうひとつあるのです」
老医者はもったいぶらすようにポットからお茶を注ぎ、その匂いを嗅いだ。
「それは?」
「傷痕を詳しく調べてみたところ、正面から悪魔の腕で貫かれていることがわかりました。ライドは優秀な男です。ああ見えて反射神経も鈍くない。そんなライドがなんの抵抗もなく目の前にいる悪魔に殺されるものでしょうか」
医者のいわんとするところはヒデオにも理解できた。
優秀な生徒のようにうなずく。
「透明なまま殺したとなればいくらライドでも反応できない」
「いまは姫様の警備も厳重になっていますが、相手が透明だと知っているのといないのとでは警備の意識に大きな差が出る。だからこそ姫様を本当にお守りしてくれる人を探していたのです」
「おれなら、それができる」
「姫様を助けられるのはヒデオ様しかいないのです。どうか、お願い致します」
深々とたのみこむ老医者の肩を優しく叩く。
「ありがとう。お陰でどうすればいいか目処が立った」
ヒデオは微笑みながら声をかけた。
暗闇に閉ざされていた道に、朝日が差し込んだような気分だった。
「おれはリエーヌを絶対に殺させない。透明な悪魔がどこにいるのかわからないが、見つけ出して倒す」
「この老体に、お手伝いできることがあればなんなりと」
「おれを信じてくれ。それだけで心強い」
本当に信頼して欲しい人は違うのかもしれない。それでも、誰かが最後まで信じてくれるという事実は思っている以上に支えになるものだ。
ヒデオは残ったいた茶を飲み干すと、老医者に笑いかけた。
「ありがとう、美味しかった。けど次に来るときは砂糖を用意しといてもらえるか」
「はっはっは。その必要はない。なにせこの茶はお世辞にも美味いものではありませんからな。飲むための茶葉なら他にもっといいのがたくさんある」
「――それなら最後に飲み干すこともなかったのに」
「そう渋い顔をしなさるな。この茶も煙も、嘘をつけなくするための細工なのです。筋肉の緊張をほぐし、ありのままの感情を喋るようになってしまう効能がありましてな、おかげで朝から涙が止まらなくて大変ですわい」
老人が苦笑しながら種を明かす。
薬などなくとも泣いていそうだという感想は口に出さなかった。




