プロローグ
タグにもありますが、残酷な描写がでてきます。
銃弾は目に映らないが、銃口が向けられる様はずいぶんゆっくり見えるものだと、ずいぶん後になってから思い起こした。
日本の街中には不似合いな黒い筒状の先端がおもむろに狙いを定め、引き金を絞る。それだけの動作が何千倍にも引き伸ばされて再生される。
もしあの時間に砂時計をおけたなら、きっと砂粒は落ち切ったに違いない。
そしてすべてが終わった瞬間に、思い出したように時は歩みはじめるのだ。
夏なのに、どんよりと曇った空だった。
何種類もの絵の具を洗った水のような色の雲。もうじきに雨を降らせるだろうと天気予報士は告げていた。せっかくのデートにツレナイ天気ではあったが、彼は傘を手に待ち合わせ場所のビルの前に立っていた。
そこでランチをしてから、最近話題になっているアクション映画を見に行く予定だった。
外国の人気シリーズの続編で、彼女も新作が封切りになるのを心待ちにしていたのだ。
彼は時計をちらりと見る。
集合時間の五分前だ。彼女はいつも律儀に五分前にやって来る。ちょっとくらい遅れてきてもいいのにと思うが「会える時間が減ってしまうから」なんていわれると、反論できない。
彼の名前を呼ぶ声がして視線を上げる。
嬉しそうに片手を上げ、小走りに近づいてくる彼女がいた。
水色のワンピースにちょっとヒールの高い靴。一度だって、彼女は同じ組み合わせの洋服を着ていない。いつだって新しい魅力をさらけ出してくれる。
前とは違う彼女に出会うたび、また深く惹かれていく。
だが、その日だけは、彼女よりも視線を釘付けにするものがあった。
「あ……」
なによりも愛おしい彼女の横顔に、ゆっくりと銃口が向けられていく光景を、彼はたしかに目の当たりにしていた。
あまりにも非日常なシーン。
そこにいる誰もが認めながらも、受け入れようとしなかった。
唯一、彼女だけが気づいていない。
道路を挟んだ向かい側に、気が狂ったような無表情を張り付けて銃を握る男がいることに。
彼女は世界から取り残されたようにいつもの笑顔で手を振っている。
そう、彼女はこの世界から隔離されたのだ。永遠に。
なにも知らない無垢な笑顔。
初めて耳にする本物の銃声は、ひどく乾いていて、花火よりずっと淡白だった。
悲鳴と喧騒とサイレンの赤い音。
どうしてこうなってしまったのだろうと、ぼんやり考えていた。
力なく抱きかかえる彼女の身体はいつになく重たいのに軽すぎる。
かすかに動いた彼女の唇は、救急車と警察のサイレンに掻き消された。
何年も前の思い出を、いまでもよく夢に見る。
彼女と会えるのはもう、悪夢のなかだけだから。




