05
すみません、シリアス入りました……
ベッドに腰かけて、右手には携帯用の魔力測定器なる銀色の円錐の発光体を握りしめていた。モニターに投影された数字を見て、ユウは嘆息してベッドの上に寝そべる。
八九。それが現在のユウの魔力量の数値。
着実に爆弾に繋がれた導火線が短くなっている。今は火が点いていないが、ユウの意思で着火する。そしてその火は確実に爆弾へと向かって、勝手に消えていく。導火線は決して外れる事はない。
──もう少しなんだ。
もう少しであの少女は目覚めるはずだ。だからそれまでは……。
立ち上がる。襲ってくる軽い立ち眩み。今のこの状況は体調にもダメージを負っているようだ。
ユウは床に転がっていた鞄を拾い上げて中を漁る。目的の物を掴んで外へと引っ張り出す。それはカツラだった。それを被ればどっからどう見ても金髪の不良のようだ。一時期──というかたまにだが、学園の女子から追っかけられるときがあるので、このカツラは隠れるための変装用でもある。
ユウがこれを準備したのには理由がある。
そもそも今日は魔術学園の学園祭でもある『星華祭』初日なのだ。この日はマリアと一緒に学祭を回る約束をしている。ユウは今となっては良い意味でも悪い意味でも学内では有名人。そのままの姿ではいろいろな人に声をかけられて一緒に回るどころではなくなってしまう恐れがあるのだ。去年まではいくら有名人とはいっても今ほど声はかけられなかった。それに一緒に居るのはマリアだから、彼女に変な噂が立てられては困る。
「よし、行くか」
ある程度の身支度を終えたユウは、金髪のカツラを被ったままギルドの寮から外へ出る。暑い陽射しに思わず卒倒してしまいそうになる。
「アンタ、誰?」
そこで隣から聞き慣れた少女の声が聞こえた。無意識に振り返れば、そこには今日の『星華祭』のライブで切る衣装に身を包んだミヤがいた。
黒いノースリーブのジャケットの下には無地のシャツ、それに黒のショートパンツ。思わず格好いいと思いそうな出で立ちだが、スラリと伸びる健康そうな白い太股に思わず目がいく。
「すごく、良いです」
思わず親指をピンと立てようとするのを何とか堪えつつ、煩悩を追い払おうとドアの前で両手をついて何度もドアに頭をぶつける。
「何やってんの!? ……ってか、その声はユウか。何なのその頭?」
「いや、俺という目立つ存在を隠すためのカモフラージュだから、気にすんな」
「はぁ……?」
実際今日というこの日は学年の垣根を越えて、何の隔たりも無くなるのだ。マリアとの約束を果たすためにはいつも通りの姿だと何かと都合が悪い。
「そういえば、今日の学祭のライブって何時からだっけ?」
「二時くらいから」
「二時な……あいわかった。その時間になったら聴きにいくよ」
「……別に来なくても聴きたいときはいつでも……」
「? 何か言った?」
「何でもないよ」
途中ミヤの声が小さくなって聞こえづらかったのだが、何も無かったかのようにミヤはユウを通り越してさっさと学園の方に向かっていった。
取り残されたようになったユウは、どんどんと先に行って小さくなっていくミヤの背中に向かって「頑張れよ」と小さく呟いた。
ただユウもここでただボーっと突っ立っている訳にはいかない。今日はマリアと学園へ行く約束になっている。学祭中のほとんどの時間はマリアと共に過ごす事となる。一〇年前から何一つ変わらずに、ユウを兄と慕ってくれた妹に用意された時間だ。
マリアを迎えに行くために、あの家へと向かう。
家の前でリリアと出くわす。そういえばこの変装姿は以前見られていた事を思い出す。
……だからかもしれない。急に彼女が臨戦体勢を整える。
手には白い閃光が迸り、魔力で形作られた剣が握られている。
走り出したリリアはユウの眼前まで迫ると、その剣を降り下ろす。
咄嗟にユウは魔力を解放する。黒い一〇枚の翼が背から飛び出し、携えていた刀を鞘ごと抜き出して魔力を付与させる。
振り払うように刀を振るうと、光の剣は無惨にも砕け散る。
「急に何をするのかねチミは?」
「うっさい。何かお前見てるとムカツク」
ユウは嘆息する。先日倒れたときにリリアがリムに報せてくれたらしいが、こんな事ではお礼を言う気すら失せてしまう。
本当に彼女とは馬が合いそうにない……というより、ユウ自身がリリアを遠ざけている。
リリアの顔を覗き込むと、いつもの覇気が感じられない表情をしていた。目を合わせればつり上がっていた目はそれほどつり上がってはいない。
「……どったの?」
「何が……?」
「いや、いつもと様子が違うから」
「別に、何でもねえわよ」
すぐにそっぽを向いてユウから離れていく。
──調子狂うな……。
背中から生えていた翼は消え失せ、鞘に収まったままの刀を隠すように腰に差す。
最近リリアとは妙な距離感を感じる。カイトとのあの会話を聞かれてからだろうが、まさかあのリリアが心配してくれるとも思えない。
一方でこの距離感を保つか離そうかとしている自分がいる。今のままでも問題はないが、離れれば離れるほどリリアを巻き込まずに後は勝手に死ねる。けれど彼女に対してはそこまでする必要はないんじゃないかと思う。
結局ユウはリリアを放っておく事しかできない。無理にこちら側の穢れた世界に引き入れれば、見たくもないものを見せてしまう事になりかねない。
だからユウはリリアをわざと突き放しておく。自分の本心に嘘をついてまで。いつもそうやってきた。
「マリア、迎えに来たぜぃ」
ブライト家の玄関のドアを開けて名を呼ぶ。ほどなくして床を蹴る音が聞こえてきて──、
「お兄ちゃ~んっ!」
「ぐぉふっ」
マリアがユウの腹めがけてダイナミックなダイブをきめてきた。ユウの体がくの字に折れ曲がり、その反動で押し倒されるように地面に倒れる。
「ハァ、ハァ……」
胸板をぐりんぐりんと顔で撫で回すように擦り付けてくるマリアの鼻息が荒い。それに強く打ちつけてしまったのか背中がものすごく痛い。柔な鍛え方していないから何とか大事には至ってはないはずだが。
「まったく……」
マリアの頭越しにカイトの苦笑している顔が見えた。家出してからしばらく経ち、あれ以来一度も家に戻って来いとは言われてはいないが正直一番会いづらい人物でもある。勝手な理由で家出した後ろめたさがまだ残っているからかもしれない。
「とうさん、マリアの教育方針見直した方が良いと思う。このままじゃ痴女になる」
「そうなったら全部お前の責任だな」
「うぇぇ……」
それでも結局はまだこの人の事を『父』と呼んではいる。本当の親ではないにしろ、紛れもなくカイトはユウの父親なのだから。
「あれ、お兄ちゃんその頭どうしたの?」
「あ、俺もそれは気になってた」
今更ユウの頭が金髪になっていることに気づく親子。とりあえず説明はしておく。カイトは「なるほどな~、さすがシドの息子」と呟いて、マリアは少し膨れっ面になっていた。マリアの抱きしめる力が少し増す。
「手のひら返したように……今までお兄ちゃんに見向きもしなかったビッチ共が……」
「中等部一年の女子がビッチとか言うな」
どこでそんなこと覚えてくるのか。お兄ちゃんは少し心配になってくる。それはともかくそろそろ退いてほしい。いつまでマリアから馬乗りにならなくてはならないのか。
「マリア、そろそろ退いてやれ。ユウが困ってる」
「むぅ……」
渋々といった感じでようやくマリアが離れてくれてようやく立ち上がる事ができた。すぐに左腕にマリアが絡みついてきたが。
「あれ? さっきお父さん、お兄ちゃんに向かって『シドの息子』って言ってなかった? シドって男の人の名前だよね? でもお兄ちゃんのお父さんはお父さんだし……あれぇ……?」
ユウは盛大に溜め息をつく。カイトの呟きがしっかりとマリアに届いていたようだ。
「ああ、いや、それはだな……」
カイトが絵に描いたようにわかりやすい狼狽え方をする。ユウが本当はカイトの息子ではない事はこの家族にまでも秘密にしている。
「もうホントの事言った方が良くないか? うっかり口を滑らしたとうさんが悪い。詮索されてボロ出すよりよっぽど良いよ」
「そ、そうか。潔いなユウ。えっとだなマリア、実はユウは俺の実の息子ではない」
マリアがピクリと一瞬震えた。やっぱりバラさなければ良かったような気がしてきた。
「じゃあ、私とお兄ちゃんは敷き詰めれば赤の他人って事?」
「まあ、そうなる」
「よしお兄ちゃん、今すぐ結婚しよ! 誰にも後ろ指さされないよ!」
「いや待て待て、俺もお前も結婚できる年齢じゃないから」
やっぱり本当の事は言うべきじゃなかったな、とちょっと後悔。ジト目でカイトを睨むとまたもや彼は苦笑する。かと思えば、その顔がどんどん嫌みなものへと歪んでいく。
──また嫌な予感が……。
「そうだぞマリア、ユウには彼女がいるから結婚は無理だな~」
「はぁ!? なに変な事言ってんだよとう──!」
急に左腕を抱きしめるように絡んでいたマリアの腕が更に力を増してきた。女の子の柔らかい肢体が押しつけられる。
「誰? 誰なの? 私の知ってる人? でもアイツらがお兄ちゃんを力尽くで奪うような真似なんかできるはずないし……。ねえ、誰なのお兄ちゃん……?」
「とうさんのせいでマリアが壊れた!」
なんとか宥めようとする。実際のところユウに彼女がいる訳ないし、交際するつもりもない。どうせこの身はあともたない。それで誰かを悲しませるくらいなら独りで死んだ方が良い。
何とか自分に今付き合っている彼女はいない事を伝え、カイトの話が法螺話だという事を教えていつものマリアに戻させる。
「とうさんと大事な話がある」と言ってマリアを置き去りにしてカイトと庭に向かう。
「マリアに変な事言うな。スゲー怖かった」
「嫉妬深さはリリィ並だな。それより、どうしてまた『兄』を演じる? このまま繋がりを切るつもりかと思ったが……?」
「それは──」
誰も悲しませたくないから繋がりを切って独りで死のうとしていた。でもそうできない自分がいる。贖罪だの何だのと口実を作り、まだ繋がりを断ち切れないでいる。
でも──。
「せめて最後にさ、アイツに『お兄ちゃん』を見せておこうかなと思って。やっぱりこのままだと、さすがに可哀想じゃん?」
なるべくマリアの悲しみを最小限に留めるために、ユウは今一度『兄』になろうとしていた。それが虚像でしかないとしても。




