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第一〇章・前編ラストです。
『記憶廻廊』を彷徨い、とうとう現れてしまった記憶のユウ。その姿は亡くなる一七歳のものと全く同じだった。それほどまでにリリアの中ではこの姿のユウが強烈に記憶されているのだろう。
「ユウ……」
涙ぐんで上ずった声がリリアから漏れ、直後、彼女は記憶のユウに抱きついていた。
もう離さないと言わんばかりに、その体をきつくきつくしめていく。そこに居るユウを確かめるように抱き寄せていく。
『何だよリリア、そんな急に……気持ち悪いじゃんかよ……お前らしくもない』
「うるさいっ! 勝手にいなくなって、勝手に死んだくせに! バカ!」
『バカって……いや、まあそうなんだけどさ』
記憶のユウもまんざらではなさそうだ。だってユウはリリアとの険悪な関係を改善したいと思っていたのだから。それはリリアも知っている。だからようやく会えたユウとここで仲直りしたいと思っているのだ。
あくまで記憶の中のユウでしかないのに、幻で本物のユウではないのに。
「ユウ!」
「先輩!」
同じく『記憶廻廊』に閉じ込められたアイリとカガリもユウに駆け寄っていく。失ったはずの想い人が側に現れたのだ。本物ではないとしても、告げたい事、伝えたい事、いろいろあって歯止めが利かなくなってしまったのだろう。
「オロル……」
彼女達とは対象的にセレンがオロルの側まで歩み寄ってきた。その猫目で何かを訴えるかのように見つめてくる。
「これで、良いのかにゃ?」
その言葉を聞いて、とうとうオロルでさえも抑えきれなくなってしまった。
ただそれは死んだ仲間に出会って懐かしむような態度ではなく──。
「良い訳……ないだろッ」
ただ怒鳴り散らす怒号だった。
オロルの珍しい大声がリリア達の肩を震わせた。振り返り、訝しげにオロルの方を見てくる。
「いい加減にしろよ! いつまで居ない人間の事を想い続ければ気が済むんだ!?」
そのオロルの激昂は、明らかに彼女達の心を昂らせる。
そうなる事はわかっていた。わかっていたから、わざと口にしなかった。
昂らせてしまえば当然──。
「黙れッ」
思いきり頬を叩かれる音がこの空間内に響き渡る。
口よりも手が先に出るのはこの中ではリリアが一番だ。だから今の言葉を吐き捨ててしまえば、こうなるのは予想がついていた。
「いって……」
よろめきながら、オロルはリリアを睨んだ。
リリアの顔は泣きじゃくって目は真っ赤になっており、そのくせ怒りで口元と肩は震えていた。
拳をつくり、血が滲み出そうなくらい強くきつく握っている。
「やっと……会えたんだよ……! このユウは本物じゃないけど、あたしにとってはコイツが全てだったんだ! こんな所まできて、アンタに邪魔されたくねえのよ!」
「……支離滅裂だな……」
この空間はある意味理想郷みたいなものなのだ。記憶さえあれば、死んだ人はここで生きているのだから。
それで──別の時間軸のユウは敗れた。
「信じられないかもしれねーけど、別世界のユウはこの魔術で負けた」
「なに……言って……?」
「たった一人の女の子のために、ユウは何回もフリードに挑んで、何十回もこの魔術に嵌められたんだ」
ユウの記憶を読み取れば、そこには死んだ実父もいる、実母もいる、初めて好きになれた女の子もいる。ずっとそこに留まりたいという今のリリアと同じ気持ちがフリードの討伐を上回り、戦意喪失の果てに敗れたのだ。
「五年前のあの日──キミをフリードから救いだそうとしたあの日、ユウはこの『記憶廻廊』にかかるはずだったんだ」
フリードの元へ辿り着いたユウはことごとくこの魔術にかかり、永遠に帰ってくる事はなかった。
そこに理想があったからだ。もう叶えられない理想があったのだ。何がなんでもすがりつきたかったのだろう。だから闇の魔力を発散して、その空間を破りもしなかった。
「ユウが『記憶廻廊』に落ちれば失敗だったんだ。その度にアイツはやり直して、次のユウに未来を託すしかなかったんだ……!」
レイヴンはその最悪な結末をかえるため、命を削って何回もやり直したのだ。文字通り身を削ってまでだ。決定づけられたバッドエンドから逃れるためだけに。
『それをやうやく回避してここまでこれたんだぜぃ、リリア。だからこれ以上、そいつを責めんなよ。そいつもずっと必死だったんだ』
記憶のユウがそう語りだした。
おかしい。なぜこのユウがそんな事を語れる?
そう疑問に思った途端、一つの確信がオロルの中で生まれた。
ここはリリアの『記憶廻廊』ではない。オロルの『記憶廻廊』なのだと。
フリードが『記憶廻廊』を発動した際、割った入ったせいで対象者がすり変わってしまったのだろう。
「やっとここまで来れたんだ」
『フリードを倒せる、この時間までな』
「全てを台無しにはできない」
『レイヴンと約束したからな』
いつの間にか記憶のユウは彼女達を押し退けてオロルの眼前まで迫ってきていた。そのユウがオロルに話しかけてきた
『もう隠す必要なんか、ないんじゃないか?』
「……そうだな」
リリアの心は壊れかけている。いつ精神が崩壊して廃人同然となってもおかしくはない状態だ。そんな彼女を治すためにはどうしたらいいか、ずっと考えていた。でも何も思い浮かばなかった。最後の手段があったから、他の案なんて考える必要がなかったからかもしれない。結局ここまでズルズル引っ張って、その奥の手を使う事になってしまった。
そもそもこれが最良の選択なのだろう。
ならば、もう嘘の時間はおしまいだ。
次の瞬間、記憶のユウが武人の姿になったかと思えば、すごい勢いで髪が伸び始めた。
「そんな……」
リリアが目を見開いている。信じられないものを見たかのように。
記憶のユウの髪はボサボサの伸び放題になり、前髪で目の所を覆うどことか顔の左半分すら隠してしまう程に。
「まさか……」
「オロルさんが……!」
アイリもカガリもリリアと同じ反応を示した。
だが彼女達の目に映ってるその光景こそが本物なのだ。長い時間をかけて、ようやく見つけだした未来がこれなのだ。
「僕が──」
『オロルが──』
オロルとユウが同時に言葉を発する。
「『ユウだ』」
オロルの首からぶら下がっていた黒い宝石から一気に魔力が漏れだした。
それは闇の魔力。
闇の魔力とは他の魔力を打ち消す力。
その魔力がこの空間を蝕み、侵食していく。
そして──ガラスが砕け散るように、『記憶廻廊』は音を立てて崩れ散った。
「会ったときから不思議だとは思っていた……」
『記憶廻廊』を脱出してすぐ、フリードはユウを睨みつけていた。
「なぜシドの魔力をお前が持っているのかを。もう存在しないはずなのにだ。ようやく合点がいった。解せないのは、なぜ貴様が生きているのかだ」
ユウは首に手を当てて闇の魔力をぶつける。直後、砕けるよな音が小さく響く。
変装魔術の一種である変声の術式を己の声帯に刻み込んでいたのだ。
「『夕凪 朧』……」
「なに?」
「幻術さ」
『夕凪 朧』とは、ユウの魔力が付着さえしていれば一度だけ幻術を見せる魔術だ。
五年前のあの日、ユウは『朧』を発動させ、モルスを除き全員にユウの死亡という幻術をかけたのだ。
初めての邂逅の際、ユウは脱出のため屋敷に己の魔力をばら撒いた。そのときにはすでにユウの魔力は付着済みで『朧』の条件は整っていたのだ。
「幻術だと……いつの間にそんなものを仕掛けた? そんな素振り全く無かったではないか?」
「逆に訊く。何で魔術なんて発動していない思った?」
「……!?」
その答えをフリードは答えれずにいた。それもそうだろう。ずっと彼を騙すために、ユウはずっとある事をしてきたのだから。
「正解は『無詠唱』だ。簡単な答えだろ?」
今までユウはずっと魔術の発動の際、魔術名だけを唱えて発動してきた。それが要だったのだ。
ずっとそれだけで発動し続けていれば、『魔術名破棄』はできない──つまり完全な無詠唱で魔術を発動できないと錯覚させたのだ。
一世一代の最後の大勝負。ユウはその隙を突いて無詠唱の幻術魔術に嵌める事に成功したのだ。
「後は俺が別の誰かになりすませばいいのさ。もう、別人になりきるのは得意だからな」
『コルウス』にしろ『オロル』になりきるための前段階みたいなものだった。もっとも、『オロル』という手は最終手段だったみたいだが。
「よくもまあ……騙ってくれたものだ」
「嘘つきだからな……!」
これがレイヴンが遺してくれたユウの生存のための道標。
ユウの死を騙し、別の人物になりすます。
その道はできれば使いたくはなかったはずだ。だから今までレイヴンはずっとこれを隠し続けてきた。この道は多くの人を悲しませ、また嘘で騙してしまう道なのだから。実際に、ユウの死は様々な人に影響を与えてしまったようでもあった。
初めてレイブンからこの最終手段を聞いたとき、ユウは震えたのを覚えている。もう死ぬしかないと思っていた未来に生きれるという希望を見出だして歓喜したからだ。
またみんなに嘘をつく事になっても、その先に本当に望む未来が見えたような気がした。
五年かかった。ようやくここまでこれた。だから後は、フリードを倒す。それでユウの死亡は完全に回避される。
「要は私に勝つための時間稼ぎだったという事か」
「そういう事。でも五年という時間はデカいぜぃ? 何せコイツに、それだけの力を蓄えられたんだからな」
いつも首にぶら下げてた黒い石のペンダントは、闇の眷属の力を利用して引き抜いたユウ自身の闇の魔力の『魔泉』を凝固したものだ。それでも『魔泉』の機能は失われず、この石の中で五年間も魔力を精製し続けていた。
「こいつはもう、五年分の魔力を溜め込んだ俺の魔力の永久機関だ。つまり俺は魔人と同等以上の魔力──いや、リリア以上の魔力を手にしたと言っても過言ではないよな」
ユウの外部で精製されたために、武人は大量の魔力をその身に内包できないという弱点を克服している。
ただ更なる問題点はある。それはもう二度と、この『魔泉』を再びユウ自身に取り込めない事だ。取り込めば最後、あっという間にユウの体は臨界を迎え絶命してしまう。ある程度は『魔泉』から取り出して再び取り入れるのは可能ではあるが。
ユウは『魔填器 』を取り出し、先端を黒石に当てる。
すると闇の魔力がチャージされていく。それと同時にユウ自身の光の魔力もだ。
その二つが混ざり合い、灰色の魔力となっていく。
それを『鏡純』に差し込むと、ガラス細工のとうな両手剣はみるみるうちに灰色に染まり、黒い電流を流した。
今までは闇の魔力が大半占めていた『黒い雷』。だが光属性をこの五年間で鍛え上げた事で二つの属性は均等に混ざり合い、完璧な『黒い雷』を作り出す事に成功している。
永久の魔力に完璧な『黒い雷』。
これだけ揃えば、もう負ける気など微塵もなかった。
という訳で伏線及びタイトル回収でした。
ちなみにですが
『コルウス』・・・ラテン語でカラス
『オロル』・・・ラテン語で白鳥
という意味です。外伝サブタイトルと、過去に出した短編の最後の一文に「今度生まれ変わるときは嘘で穢れた黒い翼ではなく、真っ白な翼を広げてキミに会いに行くから。」とあります。それらが今回の伏線のヒントとなっておりました。




