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「テメェ! 来んの遅すぎんだよ!」
「悪かった。勝手に持ち場を離れた僕の失態だ。すまない」
オロルはリリアに怒鳴られていた。容赦なく顔面を殴られるが、随分と体力を磨り減らされたのかまるで力が籠ってない。
「すぐに戻ろうとはした。けれど途中、ご丁寧に魔術人形の魔方陣を張られていたよ」
「……それで来るのが遅くなったってか?」
「うん。そのせいで、彼から託された闇属性の魔力の底が尽きてしまった」
何の色にも染まっていないガラス細工のような両手剣から空の『魔填器 』を取り出し、見せびらかすように振ってみせた。元々この『魔填器 』にはユウの闇の魔力が入っていた。五年前からずっとやりくりして使ってきたが、無駄使いが多くて使い果たしてしまった。本来ならまだ使うべき場面があったはずだ。
「しかし困った」
「あ? 何で?」
ほぼ一人言のように呟いたはずだが、どうやらリリアの耳に届いてしまったらしい。
「あぁいや……えっと、闇の魔力が無ければこの空間からの脱出は難しいんだ」
「この空間──え?」
リリアは目を丸くしているようだ。それもそのはずだ。ここはさっきまで居た親睦会の会場なんかではない。
数多に住宅が建ち並ぶ街。その風景はリリアからしたら馴染みがあり、一番見た景色で間違いはない。
そこにはリリアが住んでいた住宅街があったのだ。
「何で? どうしてここに? 早く会場に戻らねえと──」
「そこにフリードはいねーよ」
おそらく、そこにフリードは居ない。もし居たとして、倒したとしてもそれはまるで意味は無いのだ。
「いい? ここは現実の世界じゃねーんだ」
「幻術って事かよ?」
「一応そういう事になるかな。ここは、キミの記憶を元にして作られた空間なんだよ」
「え?」
「さっきフリードの魔力に包まれたはずだ。そのときに発動したんだよ。『記憶廻廊』が」
『記憶廻廊』は対象の記憶を読み取り、それを元に別空間で記憶と全く同じ空間を作り出す。たったそれだけの魔術だ。しかも探せばちゃんと出口は見つかる。
何の効果をもたらさないどころか欠陥のある魔術なのだが、ある特定の人物がこれに嵌められると出口を見つけられなくなる──というより、出口を探さなくなってしまうのだ。そうなってしまえば、脱出は不可能となってしまう。
「面倒な事になる前にここを脱出しねーと──」
「だったら──リン!」
リリアの呼び掛けによって出てきたのは彼女の使い魔であるケットシーだった。光と闇の二つの魔力を併せ持つ珍しいタイプの妖精でもある。
しかしそのケットシーの力をもってしても──。
「ハァッ!」
ケットシーの鳴き声のような咆哮と共に闇の魔力が発せられた。だがこの空間に亀裂が入るどころかうんともすんともしない。
「リン、どうした?」
「ダメなようです。わたくしの魔力じゃとても……」
「やはりダメか──ん?」
ギロリ、と怒りを露にしたような目付きのリンに睨みつけられる。直後に小さな白い雷が脳天めがけ落とされた。
地味に痛いし痺れる。相変わらず躾がなってない。
「やはり、とは何ですか? ただの人間の分際でわたくしをみくびらないでほしいものです!」
「おまけに顔を引っ掻こうとするな」
前足から爪を出して、顔面をガリガリと爪を突き立てようとする猫妖精を引っ込めるようにリリアに言うが、彼女は渋々といった感じで嫌々と戻す。気に入らない事があれば口よりも手が先に出るその性質は、今更ながら本当に似ている。
「ペットは飼い主に似るとはまさにこの事だ」
「何か言ったか?」
「何も」
「……ていうか、何でリンの闇の魔力でこの空間破壊できねえのよ?」
「ただの魔術なら闇の魔力でも破壊は可能だよ。けれどこれは、そんじょそこらの魔術は訳が違う」
この『記憶廻廊』は闇の眷属が使用する『死の世界』と同じ類いだ。一定空間を支配する──謂わばリリィの魔術と似たようなものなのだ。
例え一方向に闇の魔力を放ったとしても、ただ穴が開くだけ。こういう空間支配はその穴があればすぐに再生しようと動きだし、結果的に何の効果も得られない。
だからといって多方向に闇の魔力をぶつけようとしても、分散して威力は落ちてしまうし、そもそも穴が開くかどうかの保証もない。
「じゃあどうすりゃいいのよ?」
「闇の眷属なら、死の世界で上書きして一気に破壊できる」
オロルがずっとユウの魔力を『魔填器 』として保有し続けていたのは、この『記憶廻廊』に閉じ込められても迅速に対処するためだった。レイヴンの経験から、フリードはこの魔術を使う事はわかっていた。だが今までの度重なる戦闘でオロルは惜しみもなく使ってしまった。さっきだって、魔力を喰らう『無属性の炎』を掻い潜るために使用してしまった。いくら無属性が優劣の関係はなくとも、闇属性ならば破壊はできる。
「……アイツの魔力使い果たして、どうするのよこれから。出られなければ、あの糞親父の勝ちなんだろ?」
「出口を探す。それしかねーよ。それに姫達が巻き込まれてるはずだよ」
今はただどこにあるかもわからない出口を探すしかない。それにアイリ、カガリ、セレンもこの『記憶廻廊』に呑み込まれている。オロルとリリアだけ出口を見つけても、その三人も一緒に連れていかなければ、その三人は生涯リリアの『記憶廻廊』を彷徨う事になる。
──それに……。
オロルにはもう一つ懸念している事があった。それはある人物とここで遭遇する事だった。『記憶廻廊』にも当然閉じ込められた人物とは別の人物も出てくる。その人物は対象者の記憶に準える。
もしその『ある人物』にリリアが──否、彼女達が出会ってしまえば、この世界からは永遠に出られなくなる。
それより──。
「キミ、フリードとの戦闘で闇の魔力を使ったね?」
「え? いやだって、あのときは使わなきゃ何ともなんねえって思ったし……」
「もう使うな。キミがキミでなくなってしまうぞ」
一刻も早くここからでなくてはならないため時間が惜しい。本来なら説教の一つでもしてやるのだが余裕がない。とりあえずリリアが持っている闇の魔力が入った『魔填器 』だけは没収しておく。
「急いでここを出るよ。まずは一緒に呑み込まれた彼女達捜さないと──」
●
微弱な魔力の波動を辿っていく。フリードの『無属性の炎』によって彼女らの魔力が喰われてしまったのだろう。いつものセーブした状態より随分と弱々しい。
「お前、迷いなく歩いてるけど、アイツら居場所わかるのかよ?」
「ギルドの人間は大抵魔力探知は鍛えられるよ。完全に魔力を消されると厳しいけど、僅かな魔力の波動でも絶対に見過ごさねーよ」
「どこに逃げようが隠れようが筒抜けって訳だ。さぞかしギルド仕事では役に立つんだろうな」
「…………」
過去にユウが行方不明になった際、ギルドの皆は誰一人彼の消息を掴む事ができなかった。たぶんその事を皮肉っているのだろう。
「ここだ」
辿り着いたのは小さな公園だった。遊具も少ししか設置されていない。とはいっても、小さな子供ならばそこはただの憩いの場ともなる。
ジャングルジムに凭れるようにして、アイリとセレンが寝かせられていた。どうやらほとんど魔力を喰い尽くされたらしく、魔力枯渇による倦怠感のようなものが彼女達にのし掛かっているようだ。魔人ゆえに魔力量が一番あるカガリが二人を寝かせて介抱してくれているみたいだ。でも彼女自体も魔力は底を尽きかけているようだった。
同じ条件下だったのにも関わらず、魔力を喰われても使い魔を召喚できる程の魔力が残っていたリリアの魔力量には脱帽する。
「あ、オロルさんにリリアさん。無事ですか? それに私達どうしてここに居るんです?」
とりあえずこういう事になった経緯を説明する。出口を探さないといけない事も。
だがアイリとセレンは動く事がままならない状態だ。
「リリア、キミ確かまだ水の魔力のストックが残っているはずだよね?」
「あるけど……あたし治癒魔術は苦手だぞ」
「だったら──」
オロルはリリアに『魔填器 』を差し出した。これにチャージして後は自分でやる。
「そういえばオロルさん、手品みたいに『魔填器 』を出しますね。いくつ所持してるんです?」
最近は『魔填器 』を挿入した次世代型の魔装が流行してきている。『魔填器 』を差し込んで魔術を発動するため、その使用感はレプリカに近く、武人以外にも扱える。『魔填器 』に少ししか魔力がチャージされていなくとも何倍にも増幅した魔術を放てるため従来の魔装やそのレプリカよりも火力は高い。その代わり、『魔填器 』に魔力をチャージして魔装に装填するプロセスが必要になってくるが。
そういう性質からか、もはや武人でなくともいいとも思われているがそうではない。武人は魔装の扱いに長けている事もあり、使用魔力量を調節できるのだ。ちょびちょび使う事もできるし、一気に使い果たす事もできる。
「そうそう、あたしもずっと気になってた。どっから『魔填器 』出してるんだろって。場合によっちゃ、大量に出して防御にも使ってるよな」
「それが僕の魔装の能力だよ。『魔填器 』を無限に作れるんだ。ただ少し時間が経てば、作った『魔填器 』は全部消えちゃうけど」
「え? それってつまり、オロルさんの魔装は最初から次世代型って事になるですよ」
「召喚したのも、けっこう最近になるよな」
「……うん、そうだね」
水の魔力がチャージされた『魔填器 』をリリアから受け取り、『鏡純』を出して『魔填器 』を嵌め込む。
青く染色されたガラス細工のような両手剣。オロルはそれは地面に突き立てていく。
「全快の雫-medicos restituat-」
青い色彩を帯びた魔力がここ一帯を包み込んでいく。上級の治癒魔術だ。体力の回復はおろか、魔力の回復も早めてくれる。ただこれを扱うには繊細な魔力の制御が必要だ。騎士団の医療班でも扱える人は少ない。
「何でお前がそれできるんだよ?」
「魔力コントロールは全部魔装がやってくれる。『無銘』と同じだよ。僕はただトリガーを引くだけ」
そんな無駄話叩いてる間に、皆が全快状態となる。
「アイリ、セレン、体は何ともない?」
「まあなんとか」
「とりあえずは平気だにゃあ」
「そっか」
後は出口を探すだけだが、実はオロル一人ならばこの『記憶廻廊』は破壊できるのだ。
ただしどうしても、それはできない。
「……っ」
ただぎゅっと、首から下げた黒い石のペンダント握りしめる。
もし、オロルがこの空間を今にでも破壊しようものなら──、
オロルの正体がバレてしまう。
それは絶対に避けねばならない。しかしオロルの正体を知る者から次々とかけられた言葉がずっと頭の中で反芻している。
「どうした? オロル」
心配してか、アイリが顔つきが曇っているであろうオロルの顔を覗き込むようにして見てくる。
その顔に──何も知らない彼女達の顔に、何度偽りの顔を向ければ気が済むのだろう。何度も何度も胸の内では彼女達に謝りっ放しだ。
何も知らない方が幸せだと勝手に決めつけ、ずっと一人で苦しんでいる。
「何でもないよ」
すぐに出口を探す事に戻る。結局はこのままでいいのだ。オロルはそう結論づける。何も知らされないまま、穏やかに時を過ごさせれば何の問題はない。今更彼女達に介入する余地などどこにもないし、許されないのだから。
「……ッ!!」
だがここから脱出するのが困難になる出来事が襲ってきた。
絶対にここでは出会ってはいけない人物に出会してしまった。
黒髪黒瞳の中肉中背な少年。眼鏡をかけ、見た感じ平凡な印象を受ける。腰には父親の形見である刀を差しており、ただこちらをじっと見つめている。
「ユウ……」
リリアから涙ぐんで上擦った声が漏れた直後、彼女はその少年に抱きついていた。
ただそれは──リリアの記憶から作られた偽物のユウなのだ。
オロルはこれを恐れていたのだ。
リリアや他の彼女達がこの世界のユウと出会う事。
それだけは絶対に避けなければいけなかったのに。それはさも突然に、さも当然のように舞い込んだ。
脱出への道は閉ざされたも同然だった。
次話が第一〇章・前編のラストとなります。




