09
「どうしたんだ?」
急にオロルがケントとカノンが警備している場所へやって来ていた。髪で隠れたその表情はどこか憂いを帯びているようだ。
「そっちで何か動きがあったの?」
カノンがそう訊くが、オロルはあっさり首を横に振って否定した。直後、オロルは言葉を紡ぎ出してきた。
「俺、あそこに居るの──もう限界だ」
弱々しく、今にも泣き出しそうなその声。
『僕』ではなく『俺』。ケントとカノンがオロルの正体を知っているからこそ漏れた弱音。
ケント達は知っている。どういう思いで今ここにオロルが立っているのかを。だからこそ彼は苦しんでいる事を。
「だったら、もう本当の事言っちまっても良いんじゃないか?」
「知り合いから、それはもう言われたんだ。『隠してるのは卑怯』だって、『本当の事言って楽になった方が良いよ。あの子達のためにも、キミのためにも』って……」
「だったら──」
「それはできない!」
強情というか何というか──変な所で頑固で素直になれない。あの頃から全く変わってはいない。根本が何も変わっていない──だからこそ安心できるし、全幅の信頼を寄せる事もできるのだけれど。
「しばらく、ここに居させてくれ」
「構わないけど、すぐに持ち場に戻ってね。キミの所は最重要部なんだから」
「わかってるよ、カノン」
ケントは嘆息し、周りに目を光らせる。
「あ……」
見覚えのある人を発見して思わず声が漏れた。
深紅の長い髪に頭には山羊のような角が二本生えた長身の魔人。女性と見間違うような風貌だが、ケントはこの人と会い、話した事があるために男性だと知っている。
「あの人は確か、〝狂炎〟……さん?」
「なに?」
ケントの言葉に反応を見せたのはオロルで、彼も視線を巡らせて彼を発見するとすぐ側まで近寄った。どうやら二人共知り合いらしい。すぐにオロルは〝狂炎〟の元へ向かっていった。
「モルス、来てたのか」
「父さんが来るかもしれないからね」
オロルはすぐに〝狂炎〟ことモルス・レア・ウィリアムの元へ合流していた。
相変わらず女性と見間違う風貌だ。燕尾服でキメているが、傍から見れば男装した麗人にしか見えない。
「……いっその事カクテルドレス着てきても良かったんじゃないか?」
「冗談はやめてくれよ……」
モルスは苦笑混じりに嘆息した。
「モルス、ここは俺達が何とかするから、お前が余計に責任背負い込む事ないんだぞ」
モルスは以前フリードのただの操り人形のような存在だった。彼の言葉を鵜呑みにし、外は悪だと吹き込まれ、外界から隔離させられていた。こうして世間を知らないモルスは、ただ父の言葉だけを信じ、従ってきた。
「それともお前、フリードの元に帰るつもりか?」
こうしてモルスが外の世界に居るのはユウ説得があったからだ。一度この世界を見ておくべきだと主張し、モルスはただそれに従っただけにすぎない。
けれどもしモルスが初めから今の世界に価値が無いと判断していたのなら、カイトの自宅に居候するなんて事はないし、密かにそこの家族を守っているなんて事はしないだろう。
オロルの中ではモルスに対して期待はしているが、やはり一抹の不安は残る。
「僕は──」
モルスが口を開き、それに耳を傾ける。
「父さんが間違ってるとは思えないんだ……」
その答えを聞いたオロルは、そっとバングルに手を当てた。すぐに避難勧告を敷けば、戦闘は始められる。
「ちょっと待って、僕は戦うつもりはないよ」
「なら──」
「あくまで平和な世界を築く──ていう点においてはね」
モルスからは一切戦闘のための魔力は感知されない。戦う気が無いのは本当のようだ。オロルも臨戦態勢を解く。
「キミ達も争いの無い平和な世界を築こうとしているのは知ってる。でもそれに最も現実的なのは父さんの方なんだ」
「…………」
返す言葉が見つからなかった。
『そんな事はない』と言うのは簡単だ、言うだけなら。だがそれが本当に現実になるとは思ってはいない。
「キミも思っている通り、全ての人がみんな他の人種を受け入れるとは限らないんだ。心の奥底では、まだ受け入れられない、受け入れたくない人だっている。姫君と魔王、彼女達やその取り巻きの人達で、そういう否定派の人達を変える事はできる?」
「……まあ、無理だな」
オロルはキッパリとそう言いきった。
人の心は思った以上に動かないときがある。他人を全く信用できない人だっている。そういう人達全ての感情を変えるなんて不可能なのだ。
フリードの思惑なら、それができる。元々人々がいがみ合うのは人種の差別があるからだ。その差別の壁を取っ払い、人種を統一するのがフリードの目的だ。
「けれどフリードのそれは──」
「わかってるよ。僕も父さんのそれだけは理解できないんだ」
「えっ?」
「本当にそんな風にしなきゃ、争いが無くなるなんて馬鹿げてるし、そんなものはまやかし物だ。だから僕は父さんを止める。その後の事は考える」
これでフリードの味方は『とある人』を除いて誰もいなくなった。残る強敵はフリードのみと言ってもいいくらいだ。
これからオロル達が実現しようとしているのはただの夢幻──ただの理想を追いかけているだけで叶えられないかもしれない。けれどここ数年で、皆が他の人種を受け入れ始めているのもまた事実なのだ。
──あと少しなんだ……絶対に邪魔などさせるものか。
「とりあえず、今は俺達の味方って事でいいんだよな?」
「うん、今はね。もしキミ達の理想が歪むのなら、僕は容赦なく刃を向けるよ」
「……それでいい。また相手になってやる」
ここで急に無線からスクードの声が聞こえてきた。何か動きがあったのだろうか?
『オロル、先ほどフリードらしき人物を見かけたとの連絡が入ったのだ』
「それは本当?」
『うむ、こんな所でコソコソしてる魔人貴族など十中八九奴であろうな』
そもそもプライドだけが高い魔人貴族など、わりと少なかったりする。その少数の貴族ですら堂々と他の人種と交流する者がほとんどだ。
フリードはこの親睦会を破壊し、全ての人種が手を取り合えるのが不可能だと証明しようとするだろう。そして彼が最も先に向かうべき場所は──。
「スクード、報告ありがとう。こっちはこっちでそろそろ任務を開始するよ」
『うむ』
「もし悪魔化の兆候が見られる人がいたら真っ先にケントに連絡するように。他のみんなにも伝えておいて。いいね?」
『わかったのだ』
スクードとの通信を終え、すぐにケントへ繋げる。
「ケント、フリードが現れたみたいだ」
『おう』
「おそらくウィルスの散布を始めているに違いない。感染された人を発見次第、キミの元へ連絡がいくようにした。そのときは頼む」
『あいよ』
通信を終え、モルスの方へと向き直る。
「手分けしてフリードを探すよ」
「行く宛はついているんだろう?」
「一応は。だけど外れたら後手に回る」
「わかった。無茶はしないようにね。キミとリリアは本当に無茶をするから」
「アイツと一緒にするな」
そう言葉を交わし、オロルは駆け出した。
向かう場所はアイリとカガリが居る所だ。今はリリアが護衛しているとはいえ、彼女を信用していない訳ではないが心もとない。
そもそも今のリリアの状態では、本当にフリードを目の前にしたとき冷静でいられるかどうか怪しい部分もある。
──すぐに行くからな。
●
あの日、親友だった武人の少年はこう言った。『争いのない世界を創りたい』と。
彼とは武人と魔人という関係だったけれども、彼は自分を友だと言い、自分も彼も友人だと思っていた。
だが幼い頃の自分にはそんな力持ってはいなかった。世界に変革をもたらすのは、何よりも強い力だ。そこから力に執着していった。
ある日を境に『人が変わった』と言われ、遂には友と対立し始めた。終いにはこの世から葬ってしまった。
仕方ない。仕方ない事なんだと自分に言い聞かせる。
「全てはシド……お前と共有した夢のためだ」
夢の実現のために犠牲はつきものだ。その犠牲がたまたま友だったという事だけ。
「もうすぐだ。もうすぐでお前と夢見た理想が実現するぞ」
それがシドが望んでいなかった形だとしても。
現在、世界はフリードの思わぬ方向で変革しようとしていた。だがあの小娘達の理想は所詮ままごとに変わらない。いつか綻びが生じ始める。例えユウという少年が犠牲になっていたとしても。
「まずは──」
目指していた場所に到達していた。フリードの魔力探知は例えどんなに微弱な魔力の波動でもキャッチできる精度だ。神経を研ぎ澄ませば、帝都の姫君と魔王の居場所くらい簡単に割り出せる。
「貴様らの理想を砕く」
姫君と魔王、そして亜人の姫。この者を消してしまえば、馬鹿げた理想などいとも容易く潰える。
腰に差した真っ赤な片手剣を引き抜く。
「させねえわよ」
フリードの前に立ちはだかったのは、実の娘であるリリアだった。復讐か、はたまた別の理由でもあるのか騎士団に入ってまで追ってきた。
「貴様では話にならんぞ」
「やってみなきゃわからねえだろうが」
リリアの拳には火の魔力が、足には光の魔力が集束されているのを感じ、次の瞬間にはリリアの拳が眼前にまで迫ってきていた。




