08
とうとう親睦会の当日がやってきた。会場となる魔王城では様々な人種が談笑しており、以前までのような人種間による差別や蟠りは影を潜めていた。
目の前に広がるこの光景こそが、本当の世界のあるべき姿なのだろうリリアは思った。
今の現状を──これから先良くなっていくであろう未来を、フリードの独裁で壊す訳にはいかない。
現在フリードは魔界に潜伏しているらしく、彼の理想の実現のために多くの人々がいるこの親睦会の会場を襲撃するはずだ。
『リリア、そっちはまだフリードの姿は見つけられたか?』
「いや、全然」
耳に装着した無線機にケントから連絡が入ってきた。
この会場は今や『ルーンナイツ』の守備下にある。会場を取り囲むように彼らを配置させ、フリードや怪しい人物を発見したらすぐに迎撃、捕捉できるようにしている。
『何回もシュミレーションしてるけど、もっかい確認するぞ。フリードを発見しても──』
「一人で突っ走らない。すぐに応援を呼ぶ。わかってるっての」
『でもお前の事だし……』
「そうしたくとも、できるかよ──」
ジトリ、と隣を見やる。相変わらずの無表情。それに髪で顔が隠れているのもあってますます感情を読み取りづらいバディの姿がそこにあった。
「余計なお節介焼きもいるしな」
『……それもそうだな』
通信を切る。
『ルーンナイツ』はこの会場を取り囲むようにして配置しているが、実際リリアとオロルはそうではない。
この親睦会の重鎮──つまり帝都の姫と魔王を直接護衛するために彼女らの側に居るのだ。
この会場はある意味世界の理想郷ともいえる。それが実現すれば、フリードが今までやってきた事は全て否定される。フリードも根はプライドの高い魔人だ。そんなの許すはずもない。アイリとカガリを殺害してしまえば平民と魔人のパイプは無くなり、以前のような関係になりかねないのだ。
彼女達がいるからこそ、今の関係が続いている。それを壊す訳にはいかない。
「ご苦労だよ、リリア」
「お疲れ様です」
アイリとカガリがリリアに話しかけてきた。二人の背後では今ではすっかりメイドとして板についてきたセレンがニコニコと笑っている。
そういえばこの三人とはそこまで親しい間柄ではない。ユウの知り合いだから何度かは顔を会わせている程度の関係だ。
アイリ──五年前まではサイガという名前で男性として振る舞ってきた。中性的な美貌を兼ね備えているが、すっかり長くなった銀髪やその雰囲気で今や男性して生活してきた面影は一切消えていた。まだ口調は男性的ではあるけども。
彼女が本来の女性としての生活を手にできたのは、ユウが帝都にあった『古代兵器』を破壊したからだ。それは皇族の女性の血があれば起動できるため皇族に女性が産まれる事は禁忌とされ、出産された子供が女の子であればすぐに殺害されていたらしい。だが事情でアイリは殺されず、サイガという偽名で男性として育てられてきた。その『古代兵器』が破壊された今となっては、アイリは男性として振る舞う必要がなくなり今に至る。今が在るのはユウのお陰いっても過言ではないだろう。
カガリ──リリスと同い歳で、若くして魔王の座に就任した。幼少期にユウと出会い、彼を追いかけるようにして高等部にて遂に魔術学園に入学してきた。魔王家系にのみ出る深紅の髪と瞳、魔王として貫禄が感じられない小柄な女性だが、今では立派に魔王として魔界を治めているそうだ。
彼女が若くして魔王に就任したのは、彼女の母親の死が原因だった。フリードの手先で言いなり人形だったモルスにより殺害されたらしく、彼女は心の支えを失ってしまっていた。それ以降はユウを心の拠り所としてきた節があった。だが現在ユウが居なくなっても魔王としての務めを果たしているのだから、随分と精神的に強くなったのだろう。
セレン──ユウとリリアの一個上の学園の先輩だった亜人だ。頭には猫の耳のようなものが生えており、背中には小さな翼が、その下には尻尾が生えている。何でも亜人の女王らしい。
極悪な商人のせいで商品となっていた亜人を救いだしたのがユウらしく、彼女らは多大な恩を抱えてユウのためにギルドで働き始めた。それから亜人達が世間で認知され、友好の人種として浸透していった。ユウがいたから今の彼女達はここに居る。
図らずもここに集まってしまったのは、ユウに助けられ縁のある人物達だった。それはリリアや、おそらくそこのオロルだって同じだろう。
「騎手の仕事、お疲れ様」
「あっ……」
アイリがリリアに労いの言葉をかける。学生時代には特に接点などは無く、こうして改めて話すのは何気に珍しい。
「アイツ──オロルとは上手くいってる?」
「……どうだかな? って、いきなりタメ口は失礼ですよね、いくら歳が同じでも」
「大丈夫、別に問題ないさ。アイツなんかいつもタメ口だしな。で、オロルとは?」
「……、あたしはやっぱりアイツの事は認めたくないけど、騎士としては尊敬はしてる。伊達に騎士団長じゃないよな」
「オロルってさ、認めた仲間以外にはすぐ壁を作ってしまうだろ? たぶんそれせいで騎士団長としてみんなに認められていない気がするんだ。リリアみたいに尊敬する騎士はいるんだけど、あくまでもそれは少数で……」
リリアだってオロルが微妙な立場に居る事は知っている。騎士団長としてこの作戦に全てを懸けている事も、それが最後だということも。
「ところでさ、アイリはギルドの事どう思ってんだ?」
ユウを死に追いやったギルド。そこの連中をリリアはまだ赦せないでいた。何年経とうとも、これだけは変わりはしなかった。
「俺は……もう赦してるよ」
そう言ってアイリは二人で談笑しているカガリとセレンの方を見つめた。
「あの二人はとっくに吹っ切れてたんだ。それで気づいたんだ、俺はずっと前を見てなかったんだって」
──前を見てなかった、か……。
何だか自分に言い聞かせられているみたいだ。
みんなはユウの死を受け入れ、前を踏み出している。
リリアだけ、あの日から止まったままのように思える。
でもどれだけ心が寛容になったとしても、あのギルドを赦す事はできないと思う。
リリアと彼女達と違う点は、仲が険悪だったという事。あの日ようやく仲直りできると思った矢先にユウは逝った。ギルドはその時間を与えてはくれなかった。
──時間? 時間ならいくらでも……。
強情でずっと意地を張っていた。そのツケがこの有り様だった。見苦しいにも程がある。
「私達も会話に混ぜてくださいです」
「にゃあ」
危うく自己嫌悪に陥りそうになったところで、魔王のカガリとメイド姿のセレンが加わってきた。
「オロルさんも! そんな離れた所に突っ立ってないで、こっちに来たらどうです?」
「……お──僕は遠慮するよ」
「オロルさんっていっつもあんな感じなんです?」
オロルを指差しながら、セレンに問いかける。
「えーっと……まあだいたいあんな感じにゃあ」
そして彼女は苦笑の表情を張りつけながらそう答えた。
そういえばセレンのギルド一員だったはずだ。
「んー、リリア、ワタシの事も赦せないのかにゃ?」
「あ、いや、アンタは何も知らなかったんだろ? だったら別に」
「……そっか」
セレンはばつが悪そうな顔で呟いた。
あのギルドは表向きはただの何でも屋。ペットの迷子などの小さな案件から要人の警護などの大きな案件など多種多様な依頼を有償で請け負い、それら解決していく。
そして裏向きは悪魔の処理。これはごく少数の構成員にしか知られていない極秘の仕事だった。セレンはその少数の人には含まれていなかった。ただそれだけ。
「リリア」
「あ?」
唐突にオロルから話しかけられる。
「ここは一旦キミに任せていいかな?」
「は? 急に何を──」
「すぐに戻るから。頼んだよ……」
そう言って、理由も告げないままオロルは姿を消してしまった。
「……どうしたんだ……アイツ……?」
髪で隠れてよく見えなかったが、ここのみんなを見ずに、ずっと目を伏せていた──そんな気がする。ただの思いすごしだとは思うが。
「オロルさん、どうしたんですかね?」
「知るか。まったく、アイツは騎士団長の自覚ホントに無いよな!」
「まあまあ、落ち着くにゃアイリ」
リリアは怒るアイリを宥めるセレンに苦笑し、ただオロルが去っていった方向をただ呆然と見つめるだけだった。
「どうしたんです? リリアさん」
「いや、ただアイツ……さっき、泣きそうだったのかな、て」
「え?」
カガリは素っ頓狂な声をあげ、目を見開く。確かにあのオロルがそんな風になる訳がない。
「ごめん、勘違いかも」
──そうだよ、ギルドの連中は血も涙もないだろ……。
だが本当にそうだろうか?
初めてオロルに会ったとき、彼は確かにリリア守ると言い、今もその言葉の通りにしてくれている。そんな人が本当に血も涙もないのだろうか?
そんな疑問とギルドへの怒りが、リリアの中でいつまでも葛藤していた。




