02
「……姉さんなら、昼過ぎくらいに学園に行ったよ」
仕事から帰ってきたカイトは、いつもの団欒の風景にリリアがいない事に気づく。その事をリリスに訊ねたらそう返ってきた。特に門限は設けていないが、リリアはあまり夜遅くまで外出した事がないので少々心配ではある。
それ抜きにしても、最近の家庭は少々暗めである。一番の要因はユウが行方知れずになったという事だった。
今までは、ユウが家出してしまっても学園には顔を出していたらしいのでまだ行方はわかっていた。だから彼女達との交流は少なからずあった。
しかし今はユウが殺人者となり逃亡の身になった事により完全に雲隠れ状態となっており、誰一人としてユウの足取りを把握している者がいない。
あの事件以来、ユウは自分達の前に姿を現していないのだ。
マリアは離れてはいたけれど支えでもあったユウがいなくなり、自暴自棄になっている。あれだけユウに依存していたのだから、当然といえば当然かもしれない。
リリスはいつも通りに振る舞ってはいるが、内心ではユウがいなくなった事を内心では哀しんでいるように思えた。一〇年間ずっと蟠りがあった状態で、ユウが記憶を取り戻した事によりやっと元の関係に修復できそうな矢先に家出。そして失脚。結局彼女の中では完全に蟠りが解消したという状態ではないのかもしれない。
そしてリリア。彼女が一番ユウの失脚に腹を立てているように見えた。そして彼女もまたユウと仲直りしたい一人のはずだ。それなのにユウがいなくなっては、それは叶わず彼女の中で煮えきらない思いが一杯になっている。
ユウという存在は彼女達の中で大きな存在になっていたのだ。下手をしたらもう二度と会う事はないのかもしれないという無情な不安が、彼女達を押し潰そうとしている。その不安が彼女達から覇気を奪い、この一家の空気を重くしていた。
「……姉さん、兄さんを捜しに行ったんだと思う……連れ戻す気だよ」
「だろうな。ただそう簡単にはいかないだろうな」
例え連れ戻したとしても、ユウの罪は消えた訳ではない。その罪を一生背負う事になるだろうし、そもそも今のユウがここに帰ってくる気が無いように思える。
ユウがここまでここに帰るのを拒んでいるのは何か理由があるはず。その理由が解明され、それを何とかできなければユウはここへは帰ってこない。
「そういえば昼過ぎに夜みたいに暗くなったよな」
「……そうだね」
「嫌な予感がするな」
関係ないとは信じたいが、とてつもなく悪いイメージが頭を過る。あの闇とリリアが関係ありそうで──そしてユウまでもが関わっていそうで……。
そのとき、家の電話が鳴り響く。
リリィがいそいそと電話の方へ向かっていき受話器をとる。
「もしもし──」
次の瞬間、リリィの表情が露骨に嫌なものへと変わっていく。リリィにここまで嫌悪感を抱かせるなど、かなり相手は絞られてくる。
カイトはリリィから受話器を取り上げると、それを耳を当てる。
「今リリアを預かっている」
「……ッ」
スピーカーの奥から聞こえた声は、とても聞き覚えのあるものだった。
かつての親友。しかし今は袂を分かった身。
カイトが知る中で、初めて魔界出身なのにも関わらず他の人種にも理解を示した男性。
「フリード……!」
「なんだ、もうカイトに変わったのか」
「何でお前がリリアを……!?」
今のリリアはフリードをユウ以上に毛嫌いしていたはずだ。どんな餌を吊り下げようと、彼の元には絶対に赴かないという自信はある。
「元は俺の物だ」
「ふざけるなよ……! 俺ぁ聞いてんだぞ! お前、ろくにリリア達に愛情を注がなかったらしいじゃねえか。なのに今更何が俺の物だ!!」
「まぁそうだな」
フリードの声はやけに落ち着いている。昔からそういう所は何一つ変わらない。肝が据わっており、何物にも臆さない態度。何も変わっていない。
何も変わってないはずなのに、いつの間にか彼は変わってしまっていた。
「今は確かに貴様が父親だ。だからこうして電話をかけたのだ」
「なに……?」
「リリアを返してもらおう。今日はそれを伝えにきた。紛いなりにしろ、今は貴様が父親だから伝えておく義務はあるだろう」
「フリード……!」
「騎士団には連絡しない方がいい。騎士団が我が魔界領内に入れば最後、戦争は回避できんからな。そうなれば戦火が首都にも及んで、私も貴様も無事では済まないだろうな」
これは決して脅しではない。フリードは魔界貴族の公爵という地位を手にしている。魔界の政治にも干渉できる能力があるのだ。
魔界の兵士をこちらに向かわせて戦争を起こす事は容易いのだ。
「フリード……お前、何で今更リリアを……?」
「私も最近気づいたのだ。リリアには素晴らしい力がある」
確かにリリアは魔人クラスでも規格外の魔力を有している。もしかしたら、彼女を兵士として本格的に育てていけば国家戦力になりうる可能性だって秘めている。
無論その事くらいならフリードだって承知している。
カイトが引っ掛かっているのは、フリードがリリアの持つ力に最近気づいたと言っていたところだった。
「ま、貴様にはリリアの持つ力の偉大さは理解できないようだがな」
「どういう意味だよそりゃ──」
「貴様と話す事はもうない。さらばだ」
通話が切れる。そうとわかっていても、カイトは無駄に受話器に向かって怒鳴り続けた。
当然返事は無い。
●
ユウが目を覚ますと、ファティマが心配そうにユウを見下ろしていた。気がついた事で彼女の表情は柔んで──、
「良かった……」
と心から安堵したような声を漏らした。
ユウはモルスに敗北したはずだ。そして気を失う寸前に見たのはレイヴンの姿だった。という事はレイヴンが助けてくれたというのだろうか?
体中に痛みが走るし、包帯が体に巻かれていて妙な圧迫感を感じる。
辺りを見回すと、ここはやはりギルドにある『ユウにしか入れない部屋』だという事がすぐにわかった。そして出口を塞ぐようにして立つレイヴンの姿を確認できた。
「レイヴン、アンタが俺を……?」
「ああ。お前には生きてもらわねば困る」
「……そりゃそうだな……」
まだ悪魔との決着もついていない。オロルとかいう後釜がついているにせよ、レイヴン曰く彼はまだ力不足らしい。
オロルが力を蓄えて『コルウス』という責務を全うできるまでは、ユウが現役のコルウスとして奮闘しなくてはならない。
「……それよりもリリアを──」
現在リリアは悪魔の首領であるフリードの元に幽閉されている。ユウが守れなかったばかりに、奴らにリリアを手渡してしまった。
なぜフリードがリリアを欲したのかはわからない。だがリリアを利用しようとしている事に間違いはないだろう。フリードの悪事の片棒を担がせる訳にはいかない。そもそもこんな血生臭い裏世界をリリアに踏み込ませたくはない。
もう手遅れかもしれないが、このままリリアをフリードの元に置くのはよろしくはない。
しかし足が思うように動かず、立ち上がろうとして転倒する。ファティマに支えてもらい何とか立ち上がるが、すぐに彼女の手によってベッドに腰かけられる。
「なにすんだよ……俺はリリアを助けなくちゃ──」
「私との約束、覚えてる?」
彼女が目覚めて、ユウが勝手に押しつけた『もう迷わない』という約束から上書きされた新たな約束がある。
「……わかってるよ」
それは『もう無茶な事はしない』というものだった。
何よりもユウの命を大事にする事。命を粗末に扱わないという彼女との誓い。そして死ぬしかないユウの未来を分岐させる選択肢。
「……だけど俺は──」
「ユウ、悪いがお前をここから一歩も出す訳にはいかない」
レイヴンが低い声でユウの言葉を遮る。
「そもそも今のお前に何ができる? モルスに惨敗したお前に、リリアを救えると思っているのか?」
「次は勝つよ……」
「モルスに勝ったとして、フリードはどうする? 今のお前の実力はモルス以下だ。勝てたら奇跡みたいなものだが、お前の体力もかなり削れるだろう? その状態でフリードに勝てるのか? フリードはモルスよりも強い。どう足掻いてもお前はフリードに勝てない」
「なんだよ……それは……」
ユウの口調がコルウスのそれに変化していた。
「じゃあお前は、俺じゃアイツは救えねえから指咥えて黙ってろっていうのか? リリアを放っておけとでもいうのかよ?」
「そうだ」
その即答が無性に腹が立つ。
やっぱりレイヴンは気にくわない。正体がわかる前からどこか気に入らなかった。なぜなら正体が自分自身だったからだ。
ユウは自分自身がどうしようもなく嫌いだ。だから自分自身であるレイヴンも嫌いだった。やはりユウはレイヴンとは相容れる事は不可能だ。
リリアを救うのは物理的にできない。だから何もしない──それは間違ってる。
「俺は行くぜ。リリアの所に向かう」
例えファティマとの約束を破る事になってもだ。
今にも飛び出しそうなユウを制するかのように、レイヴンがユウの頭を押さえつけてくる。
「今はまだ休んでろ」
そのままベッドに押しつけられた。ろくに体の自由が利かない今では抵抗できなかった。
改めてユウは自分の無力さを痛感した。
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