08
いつも引き篭もって研究塔から出てこない友人が、熱心に蔵書塔に現れると聞いてきてみれば、件の友人は半ば本に埋もれるようにして何かを調べていた。
遠目から見ると本の山みたいに見えて、それが思い出したように動くと、少し暗がりのせいもあってやや不気味な光景だ。
どうせいつもの研究に関する資料だろう。
それにしても、もう少しまともな状況で読むことは出来ないのだろうか。
適当に切られた髪はぼさぼさで、上に紙くずがのってる始末。こんなのが上司だと部下も大変だろうと、白の塔の魔法士達に何度目か分からない同情の念を送る。
今友人が研究しているのは召喚術についてだ。
異世界のモノを召喚する研究は、大分昔から行われてるにもかかわらず大した進歩はない。召喚術を扱えるだけの強大な魔力を有した魔法士がいなかったのが進展のなかった原因なのだが、今は数百年に一度の才能と謳われた友人が存在している。
伝説にある賢者にも匹敵する魔力と頭脳。
彼の元で必ず召喚術は完成するだろうと、魔法に関わる人間達は誰もがそう思ってるらしい。
にもかかわらず今までたいした進展がないのは、ひとえに友人のやる気がいまいち足りないせいだ。呼び出すものが明確に決まっていないのもあるのだろう。術式を組み合わせるのは楽しいらしいが、召喚する事事態にあまり興味をもてないらしい。
古い術式を掘り起こしたり新たな術式を書き連ねたりと、研究に集中している時はいいのだが、一度集中力が切れると何もかもがぴたりととまる。本当に何もかも、思考も止まって意識も落ちて、しばらく眠らなかったツケを払うように死んだように眠る。
そうして起きた後は、本を読み漁ったり、まったく別の研究に手を出したり。気分転換に書類仕事をしてみたり。また気が向くまで召喚術の研究は棚上げになる。
まあ、いずれにしろ研究室に引き篭もってでてこないのが日常だ。
一時期は茸でも生えてるんじゃないかと疑ったほどだ。
本を読み漁る友人は、一向にこちらに気がつかない。
もしかしたら扉から彼が入った事にすら気がついてないのかもしれない。
よくこんなのと二十年も友達やってられるよな、俺。
ちょっと誰かに自分を褒めてもらいたい瞬間だった。うん、帰ったら奥さんに褒めてもらう。
「アデル、また飯食ってないんだって?」
こちらに気づくまで待つつもりだったが、飽きてさっさと声をかける。
元々そんなにこらえ性がある性質でもないのだ。
友人は彼の声にも反応せず、微動だにせず本を読む。…寝てるんじゃないのかこいつ。
「アーデール! シグウェル・アーデリー・アイブラーサ、聞こえてたら返事!」
嫌味をこめてフルネームで、すぐ近くで叫んでやるとようやく本の山がもそもそと動いた。ざんばらな前髪の奥から黄色い光がこちらを凝視している。睨まれても今更ひるむ彼でもない。
久方ぶりに見る友人は、相変わらずすごい有様だった。
ぼさぼさの髪に加えて無精ひげ。落ち窪んだ目に明らかに栄養が足りてなさそうな青白い肌。自分と同い年のはずなのにこれでは世捨て人の老人のようだ。
友人の養父が生きていた頃はもう少しまともな恰好だったはずなのだが。
「……何か」
不機嫌さも隠さず友人が呟く。大方、読書を邪魔されたのが気に食わないのだろう。
「何か、じゃねえよこの馬鹿! あれほど飯だけは食えって言ったじゃねぇか! そのうち本も持ち上げられなくなるぞ!」
「……ちゃんと、食べた」
「四日前にか」
「……」
沈黙は肯定だ。
友人はそれの何がいけないのかと、ひるむことなく面倒くさそうにこちらを見上げている。
「そんなんでお前の生命活動維持できるわけねぇだろ。人並みに食え。いや人並み以上に食え。あと髭それ。お前が俺と同い年とか本当嘘じゃねえかと思うからとにかく剃れ。そんなんだから未だに嫁さんもこねぇんだよ!」
賢者の再来。希代の天才。十代の頃に新たに生み出した魔術の数々は今でも語り草で、噂と人づての話だけでこの友人に憧れて、白の塔に入った女性の魔法士は皆初対面で絶叫する。しかも女だろうが男だろうが容赦なくぞんざいに扱うのでもちろん女性はよりつかない。
すぐに憧れだけで職に就いた女性はいなくなり、白の塔は騎士団以上にむさくるしい事になってるそうだ。
女性に興味があればもう少し変わるだろうに、友人は研究と書物と一握りの人間以外に興味がない。
その一握りであった友人の育ての親が亡くなり、今では彼と数人しか、この友人に面と向かって声をかけられる人間はいない。
思えば友人の育ての親だったベルエスト老師が亡くなってから、元々引きこもり気味だった生活がさらに酷くなったのだ。
本当、何で死んだんですか老師。
どうしてこいつをもう少しまともな人間として更生しなかったんですか。こいつの結婚関係の事頼まれましたけど、絶対無理です。多分こいつに一生結婚とか嫁さんとか望めませんって。
頼まれた当時は、少しは努力もした。彼の妻の女友達を紹介したが全て全滅。髭をそってまともな格好をすれば普通に見られる容姿の癖に、彼はその性格でめぼしい女性をあらかた敵にまわした。何せ女性に対する気遣いとかがないのだ。だめもとで友人の部下である白の塔の貴重な女性魔法士にも声をかけてみたが、結果は全力で拒否された。
「…髭があると、だめなのか」
「そりゃおめえ、手入れしてるんならともかく伸ばし放題にほったらかしてるだけだしよ。何よりお前の顔に髭は、全然似合わん。違和感だらけ………って、え? お前今何つった?」
「…髭があるとだめなのかと言った」
「……おま、その言い方だとなんか嫁欲しいみたいに聞こえるぞ?!」
幻聴か。それとも栄養足りなさ過ぎてついに頭が壊れたか。
今まで友人がこの手の話に反応した事があっただろうか。答えは否だ。いつもいつも鬱陶しそうな目で睨んで無視するだけである。
熱でもあるのかと本気で心配すると、友人はそんな彼を無視するようにその場に立ち上がった。
「…髭をそってくる。ついでに食事と、水も。その本は後で研究室に運ぶから、そのままにしておいて欲しい」
「お、おお…え、おい、アデル」
言うや否や、友人の行動は早かった。あっという間に蔵書塔の外に消えたその後姿に、明日は嵐がくるかもしれねえと、彼は大きく身震いした。