06
そのぬくもりを感じた途端、ピシリ、とどこかで音がした。
片側の腕に、じんわりと暖かい体温があった、
夢の中でも確かに暖かいと感じるそれは私以外の誰かの体温。
反射的に顔を上げて、隣を見た。予想通りの人を見つけて、またピシリ、と音がした。
私が顔を上げたことに気がついたのか、シグは読んでいた本から顔をあげて私を見た。
いつかのように真っ直ぐな視線で私の顔を見て、彼は読んでいた本を静かに閉じる。
ピシリ、とまた音がする。
ピシリ、ピシリ。何かが壊れる音が立て続けに私の中に響く。
何の音なのか自分もよくわからない。
ただ音は止まらず、ピシリ、と私の中に響いていく。
私は多分、強張った顔をして、震えていたのだろう。増していくその何かの音に。隣にあるシグの体温に。
その場から走って逃げ出したかった。
でも私は膝を抱えて隅っこで固まるだけ。シグから視線を逸らす事もできず、息を吸うのさえ苦しくて震えていた。声を出したら涙まで出てきそうで、何だか怖くて声をだせなかった。
シグが膝を抱えて丸まっていた時と、まったく逆の立場で。でも状況はまったく違う。
いつの間にか部屋は更に大きくなっていて、ソファーの長さはありえないほど横に伸びていた。
もう片方の隅っこはすっかり離れてしまって、今なら二十人ぐらい座れるかもしれない。それなのにシグは私の隣にいた。
隙間もないくらいぴったり隣に。
本を読むのを止めた彼は、震える私の肩を気遣うように抱きしめた。
やめて、触らないで。
拒絶の言葉は音にならない。ただ、私は怯えるように短く息を吸い込んだ。
ピシリ、ピシリ、ピシリ…。
壊れる、壊れる。
私の中で私が叫ぶ。
実際の私は引きつったような呼吸を繰り返すだけ。
壊れる、壊れるよ!
取り返しの付かない事にっ
声が叫び終わるよりも早く、何かは最後の音を立ててカシャリと崩れた。予想したよりも静かでいっそ穏やかに壊れ、粉々になって、消えた。
「セツ」
シグが私を呼んだ。
ポロリと涙がこぼれた。
この時ほど、名前を呼んで欲しくないと思った事はなかった。
呼ばないで欲しかった。触れないで欲しかった。ほうっておいて、欲しかった。できれば今日は、会いたくなかった。(でも会いたかった)
一人きりにになりたかった。一人きりでいたかった。せめて今日だけは。完全に心が冷えてしまうまで、楽になるまで、蓋をして鍵をかけて、心の底で凍らせてしまうまで。真っ白になるまで。
だからこんなに部屋を広くして、ソファーの端を遠くに追いやっったのに。
シグは隣にいる。
私のすぐ隣に、隙間もないくらいぴったりと、私の肩を抱いて。
「セツ」
もう一度、名を呼ばれる。
彼の声はとても優しい。だから辛い。耐えられなくなって顔を膝にうずめた。ようやく視線を逸らせて少しだけ心は楽になったけど、私はまだ震えていた。ぎゅっと両腕に強く力をこめて、自分以外を遮断しようとした。
「―――」
シグは何かを言った。言葉は教えてもらった事のないもので、生憎理解できなかったけれど、どこか懇願するような響きだった。こちらを気遣ってくれているのがわかる。
私はただ首を振った。訳も分からないままただ首を振り続けた。
彼の温かい腕に、言葉にすがってはいけない。
彼は幻だ。所詮手には入らない幻。今だけ触れられる幻。
すがったら最後だ。私はますます、現実で生きていけなくなる。
後悔したくないと思う。
なのに私は今後悔の真っ最中だ。
あああの時、シグの隣に座らなければ良かったと。
そうすればこの「恋心」も、きっと凍らせる必要すらなかったのに。
シグは私の肩を抱いたまま。私は膝を抱えて顔を上げないまま。
その日の夢は、それで終わった。