16
部屋を満たしていた白い光が完全におさまると、窓のない室内は一層薄暗く見えた。
明かりはあるけれど、部屋の四隅でぼんやりと光るそれは酷く心もとない。
密閉された空間は息苦しくもある。足の裏に感じるのは石のタイルの冷たさ。そういえば、裸足だったと今さら思い出した。
けれどそんな事は全て些細な事だ。私が今感じている温かい体温に比べれば。
あの白い空間の中で感じたのと同じように、シグの体は温かい。隙間もないくらいに強く抱きしめられると、苦しいはずなのに安心もする。
互いの間に言葉はない。
何か言いたいような気もする。けれどそれはもうしばらく後でもいい。
今はただこの温もりを実感していたいのだ。幻でも何でもない、確かに望んだ人がそこにいるという事実を。
指輪からあふれ出た白い光が私を包んで、そうして薄っすらと晴れた瞬間、見えたのは見慣れた部屋ではなく。明るくなった外の景色でもなかった。
光に混じって一番最初に視界に飛び込んできたのは、魔法使いか聖職者みたいな白いローブを着た私よりも背の高い人で。
今さら、どんな格好をしていても見間違えるはずもない。
焦がれた髪の色。
焦がれた黄色い瞳。
焦がれた温もり。
焦がれた、私に向かって差し出される腕。
一にも二にもなかった。
その場から駆け出して飛び込んだ。受け止められた瞬間、ふわりと香ったのは薬草みたいな不思議な匂い。
そういえば、あの白い空間で熱は感じるのに匂いだけはしなかった。
――と言う事は、これは確かに現実で。私は生身で、抱きついた彼もまた、同じ。
シグは私の存在を確かめるように、背中や肩や髪を撫でる。そしてぎゅっと強く抱く。
それを何度も繰り返す。まるで本当にここにいるのか確かめるように。
全部うまくいった事実はわかっていても、やっぱり確かめたくなるその気持ちはよくわかる。
言葉を連ねて肯定するのは簡単だけど、私はあえて何も言わず、ただその肩に顔をすり寄せた。
好きなだけ確かめて欲しい。
私がここにいることを。
同じ世界に立って、歩いて、呼吸をしているということを。
貴方が与えてくれた、一緒にいれるという未来を。
ひとしきり私の存在を確かめ終わると、シグはふっと息を吐いた。
「セツ」
すぐ耳元で聞こえる名前と、吐息。
くすぐったくて少し笑うと、彼はもう一度私の背中を撫でた。
「ようやく、会えた」
「うん、シグのおかげだよ」
「気分は、悪くない? どこか、怪我は」
「どこも。見てわかると思うけど、大丈夫だよ」
「……本当に?」
「うん」
「……見てわからない箇所に影響が出ていても問題だから、それは後で調べる」
「見てわからない箇所って」
「体の内側、とか」
「え、そんなのどうやって調べるの」
「魔力を……いや、後でやって見せたほうが早いよ。すぐ終わるから、とりあえず上に移動しようか」
「え、うん。……あ」
そういえば、靴、ない。
「どうしたの? やっぱり何か問題が」
「違うの、そうじゃなくて、靴が」
「え?」
「靴が、なくて、裸足だから……」
このまま歩いても問題ないといえばないが、石の感触は私を何となく心許なくさせる。
それに汚れた足で人様の、しかも好きな人の部屋に入るなど恥ずかしすぎる。
「ああ、そうか。セツの国は、家の中では靴を脱ぐって言ってたね」
「あ、覚えてた?」
「もちろん。……でもごめん、失念してた。靴は用意してないな……」
「私もうっかりしてたし、気にしないで。あの、後で汚れを拭くものを貸してもらえれば大丈夫だから」
「いや、怪我をしたら危ないから」
まがりなりにも家の中なら、歩くだけで怪我なんてしない。
そう返そうと思ったときには、もうシグに抱えられていた。横抱きではなく、片手でひょいと、まるで小さな子供を運ぶように。
うわあ目線一気に高くなった。って、シグ、見かけによらず力持ちだねー! その細い体のどこにそんな力が秘められてるの?
……いやいや、そうじゃないだろう私。
来て早々面倒をかけてどうする。
「えっと、シグ」
「不安定? ごめん、少し我慢してほしい。絶対落としたりはしないから」
そんな事は微塵も不安に思っていない。シグの肩に手を回して掴まれば意外と安定している。何より太ももをがっしりと支える腕が逞しく、その事にあらためて惚れなおすとか――いやいやいやいや、話がそれた。思いっきりそれた。
違う違う、そうじゃない。
「あの、歩けるから」
下ろしてと、続けた私にシグはにこりと微笑んで、そのまま無造作に扉を開けると、やっぱりそのまま薄暗い階段を上った。
こつりこつりと、石の床にシグ一人だけが歩く音が響く。
一番上まで上るともう一枚扉があって、そこを抜けると柔らかな光が差し込む廊下にでた。
そうか、窓がないと思ったら地下室だったのか。だったら、あの薄暗さも納得できる。あの不思議な石が何で光っていたのか、よくわからないけど。あれもやっぱり魔法なんだろうか。
廊下には見たところ、あの石は見当たらない。当たり前か、今はあの石がなくても充分明るい。
そうして連れて行かれたのは、どう見てもシグの部屋で。結局一度も下ろしてもらえぬまま目的地に着いてしまった。