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白い夢  作者: 山崎 空
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 夢の中に完全に落ちて、つま先まで染まってしまえば。あんなに恐ろしかった全てが、まるで酷く遠い昔の話のようだった。

 奈落の縁に立っているのは怖い。

 けれど一度飛び込んでしまえば、後はひたすら落ちるだけだ。

 落ちた先にはシグがいて、私の事を受け止めてくれる。だからもう、恐くはない。


 私が夢に落ちても、白い部屋の中は変わらない。

 色彩といえばソファーの色だけ。窓の外の景色も相変わらず白一色だ。

 長さだけが変幻自在のソファーは、今は二人座ると少しスペースが余る程度の大きさ。

 部屋は広いけれど私達の距離は短い。

 身じろぐだけで意図せずとも触れる体。互いの熱。存在感。

 私の手の中に本は既になく、シグの手にもない。

 左手を彼の右手に絡めて、その肩にもたれかかる私の中にあるのは、不安ではなく恐怖でもない。彼がそこにいるという安心感。


 会話の間にふと生じる沈黙も、今はこんなに心地よい。


「セツ?」


 眠い?と。そう問いかけるシグの声は優しい。いや、思えば彼の声はいつだって私に優しかった。

 だけど夢の中で眠いと聞かれるのも、なんだかおかしな話だ。そもそも寝ているからこそこの夢の世界にいる

 

「大丈夫、眠くない」

「私の話ばかりで、つまらなくはない?」

「全然。もっと聞きたい」


 思えば私たちは、互いの言葉を教えあう過程で、異なる互いの世界の事を何度か話したが、自分達の事についてはあまり話さなかった。

 私が知っているシグの情報といえば、エルイヒ・アイギアと呼ばれる研究者のような職業で、日々『ルマニャ』についての研究をしている。引きこもりのように滅多に他者に会わない。片付けもしないから部屋はいつも研究書類が積みあがっていて埃っぽい。その程度だ。

 けれどシグが日本語をマスターした今改めて聞いてみると、彼の職業は研究者というより物語に良く出てくる魔法使いに近い。

 ルマニャ、とは、何かを呼び寄せるための術。日本語だと召喚術と訳せるそうだ。一応その召喚術を含む、失われた魔術や全く新しい魔術の研究が主な仕事で、時々書類仕事もあるらしい。


 でも一番好きなのは術式?とやらを組み合わせてその結果を調べる事。話してることは半分も理解できなかったけれど、シグが凄く楽しそうなのはわかった。なんというか、目がきらきらしている。

 召喚術の術式は複雑で、その何百通りもの組み合わせを調べるのは面白いそうだが、今までは何かを召喚する事事態には興味をもっていなかったから、のらりくらりと研究をしていたそうだ。


 魔法使いに召喚術。まるでおとぎ話かゲームの世界だ。

 私が住む世界では魔法は架空のものだ。けれどシグの世界では、誰もが使えるわけではないが、それはきちんと認識され存在する。特に才能があるものは、親元から国の中枢に引き取られ育てられるという。

 シグもそうして赤ん坊の時に産みの親から引き離されたため、実の親の顔は知らないという。育ててくれた養父は師でもあり、共に物臭なため片付けは毎回四苦八苦しながら二人でしたそうだ。

 食事はもっぱら職場の食堂で、研究に没頭して食べない事もしばしば。職場には寝泊りできる部屋があって、たまにしか家に帰らない。料理はしたこがなく、養父が不器用に作ってくれた苦い卵焼きが、美味しくなかったのに何故か忘れられない。ぽつりぽつりと思い出話を語るシグの声はとても穏やかだ。


 今はその養父も亡くなり、彼は一人きり。

 とても大事だったのだろう。そう言う彼はどこか寂しそうだった。

 養父だという人が亡くなったのは、なんとなくあの時だと思った。

 一番最初に、この白い夢に訪れた変化。心なしか狭くなったような部屋。同じく縮んだソファー。そして膝を抱えるシグ。隣に座った私。

 全てがあの時からまわりだした。

 あれがなければ、私たちはいまだ自分の夢の中に存在する空気のような幻でしかなかったのだ。そうしてそのまま、白い夢は終わってそのうち忘れていたのかもしれない。


 今、傍らにある体温は夢の中とはいえ、幻ではない。シグはここにいる。ちゃんと存在して、私を好きだと言ってくれた。彼に縋った後も、私の現実は以前と変わらない。朝、目が覚めて仕事に行って、帰ってきて眠ってシグに会う。

 相変わらず夢はいつ終わると知れない。不安定なのに不安がない。それはシグがそれを覆す術をもっているからだろうか。そう、私は何も持っていないけれど、彼には力も術もあったのだ。


 召喚術。それが、彼の術に他ならない。

 異なる世界のものを、者、を彼の世界に呼び寄せ定着させる術。


 私は一方的に享受するだけだった白い夢で、シグは色々実験をしていたらしい。特に私が異なる世界の人間だとわかってから、現実から夢に干渉できないか、逆に、夢の中から現実に何か持ち出せないか試したそうだ。


「君が髪留めを出した時があっただろう?」

「ヘアピン? シグのその鬱陶しい髪の毛を留めた時の事ね」

「言うほど邪魔にはなっていないけど。……ああでも」


 ふと、私の顔を覗き込んできたシグに、なんだろうと首を傾げる。

 そのまま近づいてくる顔に、反射的に目を閉じた。

 自分のものではない熱が唇に触れて、名残惜しげに離れていく一連の動作に、慣れない心臓は急速に早鐘を打った。


「……こうして、キスをする時は少し邪魔かもしれない。セツの顔が、隠れてしまう」

「……それは、隠れたままでもいいんだけど」


 外国人はスキンシップが激しいとは言うが、はたして異世界人もそうなのか。それとも個人差か。

 私の顔が赤くても、シグの方は平然としているのが何だか悔しい。けれど反撃を試みたところでやり込められるのはわかっている。

 もう私は学習した。

 あの不穏な色を前面にだした金色の瞳と、対峙して勝てるとは思わない。藪を突いて蛇を出すのは愚かな行為だ、ここは無難にやりすごそう。


「それより、ヘアピンがどうかしたの?」

「ああ、君が先に目覚めてしまった後、ソファーに髪留めがひとつ落ちていて。ちょうどいいから、ここからそれを持ち出せるのか試してみたんだ」

「……え」

「結果は、どうだったと思う?」

「夢の中の物を現実に持ち出すって、そもそも想像がつかないというか」

「私の世界では、君の世界より不可思議が横行してるぶん、別に珍しい話じゃないんだ。夢に神々が出てきて、何かを実際に授かるという話はあちこちの国にある」

「……ということは」

「うん。君の髪留めは、今私の部屋にある。念のため私の血をつけて持ち出してみたんだ」

 

 簡単なことのように言うけれど、簡単ではないだろう。そもそも、血って何だ。

 感覚があるこの夢は、血まで流せるのか。


「君の所に、あの日ここで取り出した髪留めは全てある?」

「……確認はしていないけど、多分」

「戻ったら改めて確認してみてほしい。私の手元にある黄色い飾りがついた髪留めが一つなくなっているはずだから」


 確かあの時取り出したのは、四本ワンセットで買った花飾りがついた髪留めだ。花の中心にピンク色のビジューがついたものが二つ、黄色いビジューがついたものが二つ。けっこうお気に入りで、休みの日にたまに使っていたから、すぐに使えるように棚の一番上にケースを出して置いてあったはずだ。

 もしなくなっていたら、それは本当にシグの所にいったのだろう。

 何とも奇妙な話だ。

 けれどそれを言ってしまうと、そもそもこの白い夢という空間も奇妙なものだという結論にいたる。

 ここは本当に夢の中なのだろうか?


「思うに、ここは実際夢の中ではないのかもしれない」

「え」


 シグの言葉はあまりにもタイミングが良すぎて、一瞬心の中でも読まれたのかと思った。


「セツも、そう思わない?」

「……思った、けど」

「眠ってこの場にいるのは確かだ。けれど、夢はうつろうものだ。何度も同じものを見るというなら、それは何らかの記憶か、神々の干渉か。――それとも魂だけがこの空間に呼び出されているのか。まあそれこそ神々の気まぐれになるだろうけど」

「神々って、本当にいるの?」

「いるよ。セツの世界にも、きっといる」


 そういえば八百万の神々、と言う言葉がある。それだけたくさんの神様がいるということだが、今まで信じてもいなかったから、何だか胡散臭い。

 けれどそれを疑うと、この白い夢だって疑うことになる。それはだめだ。シグがここにいるのは確かなのだから。

でも、私が巻き込まれているこの一連の現象が、全て神々の気まぐれというものなら。もっと気まぐれをおこしてくれてもいいんじゃないかと思う。

 そういうところは、何だか意地悪だ。


「何にせよ、私がセツの物を持ち出せたということは、君にも同じ事ができるということだ」

「私も?」

「そう。それができれば、君を私の世界に呼び寄せるのが、ずっと安全で楽になる」

「……でも、実際に、できるかどうかは」


 シグは自分の血をつけて髪留めを持ち出した。つまり私も同じ事をしなければならないということか。シグはどうだか知らないが、私はあまり血に強いほうではない。できればそれはご遠慮願いたいのだけど、ダメだろうか。

 及び腰の私に気がついたのか、シグが笑った。


「安心して。別にセツの血は使わなくていいよ」

「……え」

「君にもって帰って欲しいのは、これ」


 手をだしてといわれて、差し出した右手の上にコロリと乗ったのは指輪。シグのものだろうか。随分大きいそれは、銀のリングの中央の台座に、赤い石がはまっている。中心部が黒にも見える濃い赤のそれは、今までの話のせいか血が固まったようにも見える。リングの部分にも、よく見ると文字のような細かい模様が入っていた。


「子供の頃に師からもらった、魔力制御のための指輪なんだ。石は途中で壊れたから、改めて新しいのをはめてある」


 子供の指にはめていたにしては、指輪が大きい気がする。

 まるでつい最近までシグがつけていたようなサイズだ。


「指にはめてくれると、嬉しい」

「え、でも大きいよ」

「大丈夫。はめてみればわかる」


 言われて、つい左手の薬指にはめてしまったのは願望が全面に出てしまったからか。

 やっぱりぶかぶかのその指輪は、根元まで通した途端、きゅっとそのサイズを縮めた。


「えっ」


 ぶかぶかだった指輪はもうどこにもない。指にはまっているそれは、まるであつらえたようにぴったりのサイズだ。


「え、え? シグ、この指輪、縮ん、だ?」

「持ち主の指にあわせて大きさを変えるから」


 何でもない事のように言うが、全然なんでもなくない。

 生憎私の不思議現象にたいする免疫力はゼロだ。

 目を白黒させて指輪を凝視する。指にはまったそれを上下に動かしてみたがびくともしない。本当に、ピッタリとはまっているみたいだ。


「君が向うの世界で目覚めたら、その指輪が指にはまっていうかどうか確かめてみて。後、髪留めの事も」

「う、ん。……でも、本当に大丈夫かな」


 シグと違って特別な力は何もない私に、同じ現象は望めるのだろうか。

 不安一杯の顔で指輪を見下ろす私の頭をシグが撫でて、不安を打ち消すように額に唇を押し付けた。まるで子供にたいするようなその一連の行為は、くすぐったくて気恥ずかしい。けれど嬉しい。


「大丈夫。願いは、そのまま力になる。君が願えば、目覚めた君の傍にその指輪は必ずある」


 願いは、力になる。

 それが本当なら、何も力がない私にもできるかもしれない。

 シグに抱きしめられながら、指輪がはまった左手を右手で握り締めて、私は願いをこめた。


 どうか、目が覚めてもこの指輪が私の傍にありますように。と。




 * * *




 鳥の声に目が覚めた。

 見上げた天井は見慣れた自分の部屋のものだ。

 何だか、いつになく濃密な夢だったように思える。いや、もしかしたら夢ではないのかもしれないけれど。


 しばらく目を閉じたり開けたりを繰り返して、ぼーっとその場で寝返りをうつ。

 今日は確か休みだ。早く起きる必要はないけれど、一週間ほったらかしの部屋の掃除をしなくてはならない。だったら早めに行動して、終わらせたほうがいい。

 そこまで思考をめぐらせて、はっとした。


 指輪!


 別に起き上がる必要はなかったのに、その場にがばりと起き上がって私は左手を見た。

 見慣れた指に――見慣れない、指輪。

 銀色の、赤い石がはまった。シグの指輪だ。


「っ」


 思わず歓声をあげそうになって、慌てて飲み込んだ。

 今は早朝。近所迷惑はご法度だ。

 そういえばと、棚の上のヘアピンの数を調べるべくベッドから抜け出す。


 低い棚の上にはテレビ。その横にはスタンドがついたA6サイズの鏡。そのさらに横に、目的のヘアピンケースがある。長方形の紺色の箱は五つに区切られて、蓋は透明なプラスチックだ。外から中に入ってるものがすぐにわかるようになっている。

 問題のヘアピンは一番右端の区切り。中に入っているのは、ピンクのビジューがついたヘアピンが二つ。黄色のビジューがついたヘアピンが……一つ。


 最後に使ってしまったときにはきちんと四本そろっていた。それから一度も、このケースは開けていない。

 ならばなくなった一つは、本当にシグの所にあるのだろう。


 それでも何だか全部夢みたいで、私は何度もまたたいてヘアピンケースと指輪を見た。





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