『いびられてる』を信じてもらえない公爵夫人が、聖人トメとエネ夫にざまぁするまで
エンガル王国宰相の娘である私は、「和平の象徴」として帝国の筆頭公爵家に嫁ぐことになった。
「メーニッヒ公爵ルドルフである」
「パウリーネ・バートリーでございます」
「こちらが、母のヨハンナ・メーニッヒだ。家のことについては、万事母を頼るように」
「はい。不束者ではございますがよろしくお願い申し上げます」
緊張している閣下の隣で、義母はにこっと笑顔を浮かべた。
「娘ができて嬉しいわ。どうかお義母様と呼んでちょうだいね」
「帝国民は、騎馬民族由来のエンガル王国を下に見ている」と思っていた。けれどこの公爵家の人たちは、そうではないらしい。「いいところに嫁げたようだ」とほっとする。
「エンガルからメイドを連れてきたの?」
「はい」
「けれどパウリーネ、この結婚は和平と融和の象徴よ。いつまでもエンガルの人間をそばに置いていては『公爵夫人は融和をはかるつもりがない』などと、悪く言われかねないわ。それに彼女たちもエンガルに家族がいるのでしょ?婚礼期間が終わったら、故郷に帰してあげない?」
確かにそうかもしれない。彼女たちを家族から引き離すことには、私も心を痛めていた。
「アドバイスありがとうございます、お義母様」
結婚式を滞りなく終えると、メイドたちは私との別れを惜しみながらエンガルに帰った。
「パウリーネ、初夜の前にはこれを飲んでね」
「お母様、これは…?」
「子どもが宿りやすくなる薬が入っているの」
「お、お義母様…!」
「あらあら、照れちゃって。大丈夫よ、ルドルフに任せておきなさいね」
「…はい」
そうして、初夜を終えた夫は多忙になった。
――同時に、義母が豹変した。
いや、正確には…人前では何も変わらない。
けれど二人きりでいるときには、挨拶しても話しかけても、私を無視。たまに「喋りかけるな!馬臭い!!」という罵声が返ってくることもある。
「騎馬民族が公爵夫人だなんて、本当に最悪よ。あなた、ルドルフとの床は今後一切拒否なさい。メーニッヒ公爵家の跡継ぎが蛮族の血を引くだなんて、恥晒しもいいところだわ。ルドルフには帝国出身の愛人を作らせましょ」
「そ、そんな…!」
「やめなさい、その声!馬のいななきのようで癇に障るわ」
そうやって耳を塞いで、けれど使用人やお客様の前では「可愛いパウリーネ」と腕を回してくるのだ。
罵声、猫撫で声、義母への礼賛。そしてまた罵声、猫撫で声、義母への礼賛。
《ああ臭い臭い!一匹でも屋敷中が厩舎みたいだわ!》
《あらまあ、パウリーネを褒めていただいてありがたく存じます。本当に素朴で愛らしい公爵夫人でございましょう?私も本当の娘のように可愛がっておりますの》
《大奥様って、本当に素晴らしい方ですよね!年に三回も賞与をいただけるのは、公爵家だけなんです!大奥様がお優しいから、お休みもいただきやすいですし!私たちにとっては最高の奥様です!》
着実に、私の心は削られていく。
◆
「旦那様」
私はようやく家に帰ってきた夫に、泣いて訴える。
「実は、お義母様が…」
義母が私に対してどんな態度なのか説明したけれど、彼は首を振った。
「母上がそんなことを言うはずがない。『メーニッヒの聖女』と称されるお方だぞ。いつも笑顔を忘れず、領民にも使用人にも分け隔てなく親切で慕われている人だ。社交界でも悪い噂など聞かないし」
「でも本当なんです、信じてください!」
「では母上に直接確かめてみよう」
「だめです、直接言うだなんて…」
だって、義母がそんなことを認めるはずもない。
「ルドルフ、実は…私からは言いにくくて黙っていたのだけれど」
「なんですか、母上」
「実はパウリーネに『恋人』からの手紙が届いていてね」
「な、なんのこと…」
「これよ」と義母は偽の手紙を旦那様に見せる。
「実家の厩舎番かららしいけど、とにかく熱烈な恋文でしょう。この子はこれが明るみに出ることを恐れて、いじめなどという嘘で私を貶めたのではないかしら」
「そんな、違います…!うちの厩舎番は老人ですし…!」
夫が私をぎっと睨む。
「見損なったぞ。私を騙そうとしたんだな」
「違います!旦那様、信じてください…!」
「結婚早々に不貞を働いた妻」という濡れ衣を着せられて部屋に閉じ込められた私のもとに、義母は毎日のようにやってきた。
夫や使用人たちの前では「罪深い嫁のことすら気に掛ける聖女」を演じ、私の前では「差別主義の加害者」として暴力的な欲望を吐き出すために。
エンガルの家族に助けを求める手紙を出したけれど、返事は来ない。
「助けなんて来るはずないでしょ」という義母の言葉で、彼女が私の手紙を処分していたのだと悟る。
絶望した私は、くらりと倒れた。
「まさか妊娠!?床は拒否しろとあれだけ言ったのに!!」
「ちゃんと拒否してます!」
「嘘おっしゃい!だったら子どもなんてできるわけないでしょ!初夜には避妊薬を飲ませたんだから!」
義母は私を床に引きずり倒して、お腹を踏む。
「エンガルの女がルドルフの子を妊娠するなんて、ありえないわ」
「お義母様、やめてください…!妊娠ではありません、つい先日月のものが終わったばかり…!」
義母は私の言葉など、まるで聞いていない。
「子どもさえ産めば立場がよくなるとでも!?許さないから!」
「やめて、やめてぇ…!」
私が嘔吐して、義母は「下からは出てこないようね」とようやく満足した。
「いいこと?もし妊娠なんてしたら、二人まとめて踏み殺してやるから」
「うっ…うう…っ」
いつか本当に子どもができたら、子どもごと殺される。
それなら、今ひとりで死んだほうが楽なのでは。
《早く死ねばいいのに!ほら、ナイフを貸してあげるわ》
義母の声が蘇って、ナイフを握って、つーっと流れてくる涙に気づいて、ふっと我に返る。
――このまま死ねない。
「パウリーネ、泣いちゃだめ。考えるのよ」
◆
屋敷から逃げ出せるだろうか。できない。門には警備もいるし、塀は高い。
ならば、義母の嘘を暴くような証拠を手に入れられるだろうか。できない。私が暴力を受けているところを記録できるものはないから。
「何とかして、味方をつくらなきゃ」
人は自分で見たものしか信じない。だったら、見てもらわないと。
けれど夫は信じてくれないし、無理やり行動させることもできない。
「だったら…」
私はベッドから這い出して、鞄の底に隠していた宝石を取り出した。
《今の今まで敵だった国に嫁ぐのだから、何かあったときのために》
両親がそう言って持たせてくれたものだ。若くて情の深そうなメイドのアンネが食事を持ってきたときに、祖母の形見のエメラルドを渡して頼む。
「アンネ、どうか今日の夜九時前にこの部屋に来て、隠れていてほしいの。何が起こるか、ただ見ていてくれるだけでいいから。どうかお願い…!」
義母がメイドたちの前では聖女ぶって「パウリーネは罪を犯したけれど、私たちと同じ神の子」と言っているおかげで、アンネは戸惑いながらも、邪険にせず頷いた。
そして約束通りクローゼットに隠れ、義母が嬉々として私を罵倒し、「妊娠を予防しなくちゃ」と腹を踏みつける日課を目撃した。
義母が去った後で、彼女はかたかた震え、ロザリオを握りしめながら出てくる。そして私のそばに座り込んで、お腹をさすってくれた。
「大奥様が、あんな…あんな!?」
「私には、ずっとああなの。お願い、助けて」
「私に何ができるでしょうか、奥様」
私も彼女も、立場が弱い。弱い者が強い者と戦うには、どうするか。
仲間を集めるのだ。
アンネは自分が見たことをメイド仲間に伝え、「正直者のアンネが言うなら」と一人、また一人とメイドたちは私のクローゼットに潜んだ。
《なんてこと…!》
《あれは本当に大奥様なのですか…?》
《まるで悪魔に取り憑かれたかのような…なんてひどい…!》
長年義母に仕えてきた長老格のメイドは「絶対に嘘だわ」と怒りながらクローゼットに隠れ、ぼろぼろと泣きながらクローゼットから出てきた。
「…奥様。いくら仲間を集めても、メイドの集まりでは意味がありません。全員クビにされ、大奥様から奥様の監視が厳しくなって終わりでしょう」
「じゃあどうしろと…!」
「私の日記を、お渡しします」
そのメイドがくれた古い日記の内容は、衝撃的だった。
「信じられないかもしれませんが…」
「いえ、信じるわ。でもどうして教えてくれたの?あなたはお義母様の忠実な侍女だったじゃない」
「…信じていたお姿が、偽物だったと気づいたので。それならば私ももう楽になりたいのです」
私はすっかり老いたメイドを「ありがとう」と抱きしめた。味方になってくれたメイドたちと一緒に部屋を出て、夫と義母がいる食堂へ向かう。
「旦那様、お義母様」
一瞬ぎょっとした表情を浮かべた義母は、「どうしたの、パウリーネ?部屋から出てはいけないとルドルフに言われているでしょう?」と、優しい声で取り繕う。
「そうだぞ、パウリーネ!部屋に戻りなさい!」
「いいえ、戻りません。戻るなら、私はエンガルに戻ります」
「何を言っている、私たちの結婚は国策だ!私だってこんな結婚は嫌なのに、離婚できずに我慢しているんだ!」
「大丈夫、離婚できますよ」
だってあなたは、先代公爵の息子ではないのだから。
夫の生年月日から逆算すると、彼が義母のお腹に宿ったとき、先代公爵は出征中で屋敷にいなかった。
「…そ、早産だったのよ」
「そうやって乗り切ってきたんですね。でもすべてこの日記に書かれています。お義母様が真実を打ち明けたメイドの日記に」
開かれたページを読んで顔色を変えた義母は、私の手から日記をひったくり、私のうしろにいた老メイドを日記で殴る。
「貧乏な底辺貴族のお前を取り立てていい待遇を与えてやった恩を忘れたの!?恩に報いるためになんでもすると言ったのに、嘘つき!裏切者!卑怯者!」
不倫と托卵の片棒を担がされた罪悪感を抱えながら、「奥様のたったひとつの嘘だから」と信じて、ずっと黙ってくれていた、忠実なメイドを、何度も殴るのだ。
「エンガルの馬女に騙されて、私を裏切るの!?」
「は…母上!?」
母親が見せた初めての暴力的な行動と差別的な言葉に、夫は思わず立ち上がる。
義母は髪を振り乱して振り向き、はっと我に返った。
「あ…ああ…っ!ルドルフ、違うのよ!違うわ、今のは…」
「違いますね。いつもはお腹を踏むのですものね、お母様は」
「可愛いパウリーネったら、私がいつそんなことを…?ふふ、おかしなことを言うのね…」
「言い逃れできませんよ。大半のメイドたちが、お義母様から私への暴力を目撃していますから。お母様が私を踏みつけているとき、クローゼットに隠れていたんです」
殴られたメイドを抱え起こそうとしていたメイドたちが頷く。
「違う、違うわ…!あれは誤解で…ただ偶然、かっとしてしまって本当に一瞬だけ…」
「それが毎晩続くのでしょうか、奥様」
「私たちは、この目で見たのです」
義母は崩れ落ちた。彼女の言うことを信じる者は、もうここには誰もいないだろう。
彼女が使用人にいい待遇を与えてきたのが本当だとしても、優しい気持ちがどこかにはあるのだとしても、きっともう信じてはもらえない。
――それがどれだけ孤独か、味わえばいい。
「パウリーネ…」
夫がふらふらと私に近寄ろうとして、私は思わず二歩下がった。
「君が言ってたことは全部…?」
「本当のことです」
「私が父上の血を引いていないのも…?」
正直、日記は状況証拠にしかならない。けれど義母の態度からして、事実なのだろう。
「そのようですね。私は公爵の妻になるためにここへ来たのに、あなたは厩舎番の息子でした。ですからもちろん離婚を申し立てます」
「ま、待ってくれ…!そんなことをしたら私も母上も…」
「ええ、破滅してください」
夫が私の前に両膝をついた。
「悪かった、許してくれ!君を信じるから…!」
どうしてだろう。
その言葉が欲しくて欲しくてたまらなかったはずなのに、もう何の感情も湧いてこない。
「あなたに信じてもらうことに、今さらなんの価値が?」
最初に私が義母から受けた仕打ちを打ち明けたときに、ほんの少しでも信じてくれていたら。半信半疑でも、行動を起こしていてくれたなら。
人は自分で見たものしか信じない。ならば、そもそも見ようとしなければ始まらない。少しでも見ようとしてくれていたら、あなたまで破滅することはなかったのに。
「頼む、どうか慈悲をくれ…!」
「私は『メーニッヒの聖女』ではありませんので、私を苦しめて捨ておいた人への慈悲は、持ち合わせておりません」
先代公爵に忠誠を誓っていた執事に、日記を渡す。
近いうちに、夫は「どこの馬の骨ともわからない男の子ども」だと知られて、公爵位を失う。
そして義母は「どこの馬の骨ともわからない男の子どもを、公爵家の跡継ぎだと偽っていた悪女」だと知られて、聖女の仮面を失う。
――私は、帰ろう。
泣いて説明しなくても、私を信じてくれる人たちのもとへ。




