表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
L  作者: ひーこみーこ
1/1

プロローグ

夜。

彼女――北山 芽依(めい)の部屋には、まるで世界から切り離されたような静寂が満ちていた。

机のモニターには、複数の論文データがタイル状に並んでいる。

言語はバラバラ、法則性も規則性もない論文たちだが、芽依はそのどれもを“読む”ことはしない。

ただ、視線を滑らせながらスクロールしていくだけ。

ページの端を掠めただけの情報が、

自分の中にあったかのように次々と『理解』に変換されていく。

流し見しただけで、中身が分かってしまう。

努力でも訓練でもない、説明できない直感の処理。

だがその理解を、言語にしようとすると——


「……ダメだ。言えない」


誰に伝えるでもなく芽依は呟いた。

スクロールする指が止まり、眉間に皺が寄る。

浮かんだ構造が、言葉として形を持たない。


いつもの癖で、耳の後ろにそっと触れる。

そのわずかな手つきが、自分でも気づかない不安を露わにしていた。

明かりは机の上だけを照らし、外側のほとんどは影に沈んでいる。

その狭い光の範囲が、まるで彼女の孤独を表しているかのようであった。


翌日、教室。

数学の授業で当てられた芽依は、黒板に書かれた数学の問題を一瞥すると『=』と答えだけを淡々と黒板に刻んだ。

踵を返し席に戻ろうとすると、


「あのね、北山さん?確かに正解なんだけど……途中式も書いてくれないかい?」


困惑した教師が口を開く。

芽依は戻りかけた状態から再び黒板に向き直る。

言われた通り途中式を書こうとするが……手が止まる。

――説明ができない。

答えを理解しているくせに、言葉に、形にできない。

そのギャップが教室の空気をじわりと変える。

軽いざわめき。

なんだまたか、と言う笑いとも嘲りともつかない息づかいも聞こえてくる。

その時——


「先生、僕が書きます。」


後方から凛とした声が響き、北山 (かい)が立ち上がった。

芽依の兄であり、彼女を唯一“理解”できる人物。

灰は黒板の前まで歩くと、芽依の式に説明を加えながら途中式を付け足していく。

芽依自身ができない“翻訳”を当然のような顔で。


ひとしきり説明が終わると、教室の空気は元に戻る。

芽依は席に戻り、前を向いたまま無言。

灰はただ、その横顔を見て小さくため息をつく。


放課後。

帰宅した芽依は、鞄を置くとすぐにベッドへ倒れ込んだ。


(今日も理解されなかった。)


慣れているはずなのに、胸の奥が重い。

部屋の天井を眺めながら、自分の理解と世界の言語の距離について考える。

理解できる。

でも言葉にして伝えられない。

その繰り返しがどれだけ苦しいか。


(ダメだ……泣いてしまいそう…)


ふと、枕元に置いていたスマートフォンが震える。

小さなバイブ音が鳴り、画面に《未読1件》の通知が灯る。

件名は《──To: me》


芽依は身体を起こし、目を細めた。

自分宛て?

不審に思いながらも、メールを開こうとした時、


「あ……れ……?」


急な眠気に襲われた。

ぐるりと世界が回る。

起こした体が再びベッドに沈む。

芽依の意識はそこで途切れてしまった。




明かりが自動で消え、暗がりとなった部屋に芽依のスマートフォンだけが淡く光り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ