94. 狼の威光と、商人の算段
アサータクが金額のことをきり出すと
「金の話か? それはそこのモイコとしてくれ」
ガウスは興味なさそうに、ジョッキに残った酒を煽った。
「俺は、気に入った奴の仕事しか受けねえ。お前のその『目』が気に入った。だから仕事は受ける。だが、報酬の勘定は俺の管轄外だ」
リーダーがそう投げ出すと、隣でニコニコと様子を伺っていた優男が身を乗り出してきた。
「やあ旦那様方。俺はモイコ。この部隊の財布の紐を握ってるもんです」
モイコ(25歳)。
頭上に浮かぶ文字は【話術】。
交渉担当というわけだ。
彼は空いたテーブルの上を指でなぞりながら話し始めた。
「さて、行き先は西の商業都市レーマネ。ここから先のルートですね。南側に大きな川が流れている。だから、水場を確保している村や町はどうしても南側に集中する。律儀にそこを回ると大きく南へ迂回しながら進むことになり、宿泊回数も増えてだいたい25日くらいかかります。これが一番遅いが最も安全なルートですね」
「論外だ。無駄すぎる」
アサータクが即座に切り捨てた。
「俺は以前、一度レーマネに行ったことがある。あの辺の村や町を回ったところで、アーノルに見せるべきものもないだろう。今回の旅はこいつの見聞を広めるのが目的だが、今はレーマネへ向かうのを優先したいんだ。商売度外視の旅とはいえ、無駄な時間は死ぬほど嫌いなんだよ。もっと速いルートがあるだろう?」
「わかってるね旦那。話が早い」
モイコはニヤリと笑い、言葉を続けた。
「なら二つ目、交易路ルートだ。レーマネとの交易のために近年整備された村や町が三つある。少しだけ迂回しますが、野営地も整備されているから進みやすい。これなら18日だ」
「まだ縮められるはずだ。村など寄らなくていい」
アサータクの厳しい視線に、モイコは少しだけ真剣な目になった。
「……徹底してますね。なら三つ目、最短強行軍だ。寄る村や町は、中間地点より少し先にある一つだけ。あとはひたすら荒野を突っ切る。これなら宿泊の手間に縛られず、効率よく進める。馬車の速度次第ですが、だいたい14日で着きます。現時点では、これが最も速く移動できる方法ですよ」
アサータクが頷こうとしたが、モイコが釘を刺すように付け加えた。
「ただし、負担は大きいですよ。宿がない分、疲れが取れにくいし、日持ちする干し肉ばかりを食う日が増える。何より馬の管理がかなり難しい。道なき道を進み続けるのは、下手をすると途中で馬が動けなくなるほどの負担になりますからね。……俺たちが少数精鋭で、危険地帯を突破できる実力があるからこそ提案できるルートですが」
「馬の管理なら心配いらん」
アサータクが不敵に笑った。
「俺は商売柄、馬の扱いに関しては絶対の自信がある。そこらの御者よりもよほど上手く管理してみせるさ。お前たちは俺たちの安全と、最短距離の先導だけをこなせばいい」
モイコは驚いたように眉を上げたが、すぐに交渉人の顔に戻った。
「……へぇ。なら、報酬の話といきましょうか。うちは基本日当と完遂報酬の合算で受けてます。今回の条件なら、日当として金貨1枚、それに14日完遂のボーナスとして金貨21枚。合計で金貨35枚。これで手を打ちましょう」
「はぁッ!?」
冷静なアサータクが、素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい、正気か!? 二週間の護衛に金貨35枚だと? どんな高級貴族の巡礼だよ。日当は金貨0.5枚、完遂報酬は金貨1枚で十分だろう」
「旦那、それは買い叩きすぎだ。俺たちはこの少人数だからこその『速さ』と、荒野の危険から旦那たちを守り抜く『安全性』を売ってるんですよ。道なき道でこれだけの速度を維持しつつ、確実に届けるのはプロの技だ」
「…………」
アサータクは納得いかない様子で、苦虫を噛み潰したような顔をした。
確かに時間は買いたいし、安全性も重要だが、金貨35枚は商人の感覚として許容しがたい。
そこで俺が横から口を出した。
「アサータクさん、俺はいいと思う。確実に早く着けるなら、それだけ早く次の目的地での活動に移れる。彼らならその価値があるはずだ」
「……アーノル、お前なぁ。金は沸いてくるもんじゃないんだぞ……」
アサータクは唸ったが、俺の強い視線に少しだけ毒気を抜かれたようだった。
このまま平行線かと思われたその時、あくびをしていたガウスが口を開いた。
「……おいモイコ。いい加減にしろ。俺は行くと言ったんだ」
「ええ~、でもガウス、商売ですよ?」
「うるせえ。俺が気に入ったんだ。……おい商人」
ガウスがアサータクを睨む。
「総額で金貨12枚だ。それと、道中の飯と酒はそっち持ち。それで動く。もし途中で馬が潰れたら、俺たちにはどうしようもない。その辺は頼んだぞ」
リーダーの鶴の一声だった。
金貨12枚。
二週間の拘束としては悪くない稼ぎだし、アサータクにとっても今の法外な要求からすれば落とし所だ。
モイコは「ちぇっ、ガウスは商売ってのが分かってないんだから」と肩をすくめた。
アサータクは「……フン、認めよう」と、ようやくその場で契約を結んだ。
しかし、アサータクはまだ少々高いと思っているようで、「……実力も知らない傭兵にこの金額は」と小声でぼやいている。
出発してすぐに、俺はふと疑問に思って後ろを振り返った。
御者台には俺とアサータクが座っているが、ガウスたち傭兵四人は馬車の後ろを歩いてついてきているのだ。
馬車の速度は、人が早足で歩く程度。
決して走っているわけではないが、これを一日中続けるのは相当な体力を消耗するはずだ。
荷台にはアサータクが買い込んだ食料や物資が積まれているとはいえ、大人二人が座るスペースくらいは十分に空いている。
詰めれば四人だって乗れなくはない。
「ねえ、乗らないの? スペースはあるよ」
俺が声をかけると、すぐ後ろを歩いていたモイコが苦笑して答えた。
「お気遣いどうも。でも、俺たちは護衛ですからね。とっさの襲撃に対応するには、足が地面についていた方がいいんですよ」
「それ、本当に効率的かな?」
俺は首を傾げた。
「これから長い旅になるんでしょ。襲撃があるかどうかも分からない平坦な道で体力を削って、いざ戦闘になった時に息が上がってたら本末転倒じゃない? それに……」
俺は最後尾を歩く巨漢、ドッタに視線を向けた。
彼は全身に重厚な装備を纏い、背中には巨大な戦斧。
どう見ても長距離の徒歩移動には不向きな重量だ。
「彼の装備であの速度についてくるのは、相当な負担だよ。彼がバテて全体の行軍速度が落ちる方がリスクだ。ここでの消耗は『無駄』だと思うけどな」
「……ふむ」
俺の言葉に反応したのは、モイコではなくリーダーのガウスだった。
彼は歩きながら少し考え、御者台のアサータクに声をかけた。
「一理ある。……おい商人、荷台に乗せてもいいか?」
アサータクは振り返りもせず、大きくため息をついた。
「はぁ……勝手にしろ。馬が潰れない程度にな」
もう好きにしてくれ、といった諦めの境地だ。
許可を得たガウスは、ドッタに向かって顎をしゃくった。
「おいドッタ、お前は乗れ」
ドッタは無言で頷くと、走っている馬車の荷台に軽々と飛び乗った。
彼が乗ると馬車が少し沈み込んだが、車輪は問題なく回転を続ける。
「残りの一枠は交代制だ。索敵は、俺かヘイミーのどちらかいれば問題ない」
「了解。じゃあ最初は俺が楽しようかな」
モイコがひらりと身を翻し、荷台の空きスペースに滑り込んだ。
これで少しは効率的な旅になりそうだ。
「それにしても、よく走る馬ですね」
俺は目の前で力強く蹄を鳴らす二頭の馬を見やった。
ドッタという重量物が乗っても、速度が落ちる気配がない。
モイコが脅していたような過酷な荒野の旅に耐えられるのかと心配していたが、この馬たちはタダモノではない雰囲気がある。
「はっはっは! 分かるかアーノル」
アサータクが得意げに手綱を握り直した。
「こいつらは特別製だ。右の黒いのがシニカのところのやつ、左の栗毛はゴズのところのやつだ」
「ああ、シニカさんとゴズさんか! 懐かしいな、よく知ってるよ」
二人とも地元の古馴染みだ。
アサータクさんとも昔からの付き合いがある。
「おうよ。二人とも最初は『こいつだけは手放せねえ』って出し渋って、なかなか首を縦に振らなくてな。だが、この筋肉と毛並みに惚れちまった俺が、強引に言い値で買っちまったのさ」
アサータクは愛おしそうに馬の尻を叩いた。
そういえば、アサータクさんの持つ能力は【馬】だったか。
馬の良し悪しを見抜く眼力と、扱いに関しては右に出る者はいない。
彼が惚れ込んで大金を払ったというなら、この二頭は間違いなく名馬なのだろう。
こうして移動の体制も整い、国境までの二週間、俺は改めてこの奇妙な四人組を観察することになった。
先頭を行くのはリーダーのガウス(29歳)。
能力は【狼群】。
口を開けば愛想はないが、周囲への警戒は怠らない。
そして最後尾を歩くのが、交渉役のモイコ。
彼はよく喋る。
アサータクと並んで歩きながら、「昨日の35枚は冗談ですよ~」などと笑っている。
いま荷台にいる二人は、対照的に無口だった。
一人は、身の丈ほどの巨大な戦斧を背負った大男、ドッタ(22歳)。
彼の頭上の文字を見て、俺は少し首をかしげた。
【伐採】
(……【伐採】? 戦闘職じゃなく、木こりの能力か?)
だが、その丸太のような腕を見れば、彼がその斧を振るえば巨木だけでなく、人間も鎧ごと真っ二つにできることは容易に想像できた。
ある意味、技術に頼る戦士よりも、木を切り倒すように「作業」として敵を粉砕する彼の方が恐ろしいかもしれない。
もう一人は、唯一の女性メンバーであるヘイミー(23歳)。
ショートカットの髪に、鋭い目つき。
背中には長弓を背負っている。
能力は【弓士】。
彼女もまた、ドッタと同様に一言も発さない。
ただ黙々と周囲に目を光らせている。
「……静かな連中だな」
「仕事中だからな」
ガウスが前を向いたまま答えた。
「俺たちは友達ごっこをしてるわけじゃねえ。必要な時に、必要な動きができればそれでいい」
その言葉通り、彼らの行軍には無駄がなかった。
野営の準備も、見張りの交代も、言葉を交わさずとも阿吽の呼吸で行われる。
これが【狼群】の力なのか、それとも長い付き合いによるものなのか。
旅も中盤に差し掛かった、十日目のことだ。
人里離れた峠道で、不意にガウスが足を止めた。
「止まれ」
短く告げた次の瞬間、左右の茂みからゾロゾロと男たちが現れた。
薄汚い格好に、下卑た笑い。
街道を荒らす盗賊団だ。
その数、十人。
「へっへっへ。金目の物を置いていけば命だけは……」
盗賊の一人が定番の台詞を吐きかけた時だ。
ドッタが無言で背中の大斧を引き抜き、地面に突き立てた。
ズドォン!!
重低音が響き、地面が揺れる。
まるで巨木が倒れたかのような衝撃。
ヘイミーはすでに矢をつがえ、リーダー格の眉間に狙いをつけている。
そして、ガウスがゆっくりと前に出た。
武器は抜いていない。
ただ、その隻眼で盗賊たちを睨めつけただけだ。
「……あ?」
盗賊のリーダーらしき男が、ガウスの顔を見て動きを止めた。
そして、その顔色がみるみるうちに青ざめていく。
「お、眼帯に……そのボロい鎧……」
リーダーの足がガクガクと震え出した。
「お、おい! 引けッ! 全員逃げろォォォッ!」
「あにき? どうしたんで……」
「馬鹿野郎! 『人食い狼』のガウスだ! 関わったら全員挽肉にされるぞ!」
その名を聞いた途端、他の手下たちも悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ドッタが斧を構え直す暇すらない。
あっという間に、街道には静寂が戻った。
「……戦わずして勝つ、か」
アサータクが感心したように口笛を吹く。
「有名人なんだな」
「悪名だ。仕事柄、目障りな奴らを徹底的に潰して回った時期があってな。お陰で、俺の顔を見ると逃げ出す馬鹿が増えた。……まあ、剣が錆びなくていいがな」
ガウスはつまらなそうに鼻を鳴らすと、再び歩き出した。
モイコが「いやぁ、顔パスで済んでよかったですねぇ」と軽口を叩き、ドッタは黙って斧を背負い直す。
(……なるほど。金貨12枚、高くはなかったかもな。)
こうして俺たちは、何一つトラブルらしいトラブルに遭うこともなく、無事に西の国境へと到達したのだった。




