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キングスレイヤー序  作者:
第2章 侵食の始まり

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91. 抜け殻と白金貨

 至高の魔剣が完成した瞬間、俺とサンデルの中で何かが「プツン」と音を立てて切れた。


 それからの数日間、俺たちは「鉄分過多による完全廃人化」とでも呼ぶべき状態に陥った。


 会話はない。


 思考もない。


 太陽が昇ればゾンビのように起き出し、無言で干し肉を齧り、日が沈めば泥のように眠る。


 ただ呼吸をして飯を食うだけの、何の役にも立たない生物。


 それが今の俺たちだった。


 そんなある日の昼下がり。


 工房の扉が叩かれた。


「おい、生きてるか?」


 聞き覚えのある声と共に、二人の男が入ってきた。


 アサータクと、ハインツ商会のケイルだ。


「......あ?」


 サンデルが床に寝転がったまま、焦点の合わない死んだ魚のような目で客人を見る。


 俺も椅子にもたれ、口から魂を半分出したまま首だけ動かした。


「ああ......アサータクさん、ケイルさん......」


「うわ、酷いなこりゃ。獣の巣かと思ったぞ」


 アサータクが鼻をつまみ、ケイルは苦笑いしながら足の踏み場を探している。


 部屋はゴミ溜めだが、その中央に一本の剣だけが、異質なオーラを放って鎮座していた。


「街中でばったり会ってな。様子を見に来たんだが......どうやら大仕事は終わったみたいだな」


 アサータクが俺の背中をバンと叩く。


 その衝撃で、ようやく口から出ていた魂が体内へ戻ってきた。


「遅くなってすまない。本店での検証に時間がかかってね」


 ケイルが部屋の隅にある椅子を引っ張り出し、ドサリと重そうな革袋をテーブルに置いた。


 ジャラッ......。


 その重厚な金属音は、銀貨や金貨の軽やかな音とは明らかに違っていた。


「防錆処理の再現、成功したよ。本店のお抱え職人が三人掛かりで、君のマニュアルと首っ引きになってようやくね」


 ケイルはホッとした様子で語った。


 完成した部品を過酷な酸性水でテストした結果、従来の部品よりもかなり高い耐久性が確認されたらしい。


「メンテナンスの頻度は劇的に減るだろう。それに、これはポンプだけじゃない。船の金具、農具、建築資材......鉄を使うあらゆる製品に応用できる。我々にとって、新たな鉱脈を見つけたに等しい大発見だよ」


「それは良かった」


「ああ。これが、今回の報酬だ」


 ケイルが革袋の紐を解き、中身をテーブルにぶちまけた。


 ガシャガシャガシャ......!


 眩い輝きが、薄汚い工房を照らす。


 金ではない。


 さらに白く、神々しい輝きを放つ「白金プラチナ」の山だ。


「は……?」


 床で寝ていた廃人サンデルが、バネ仕掛けの人形のように飛び起きた。


 目が限界まで見開かれ、顎が外れそうなほど落ちている。


「は、は、は、白金貨ァァァッ!?」


 サンデルの絶叫がこだまする。


 無理もない。


 白金貨一枚で金貨100枚。


 庶民が一生で一度拝めるかどうかの高額通貨が、そこには10枚も転がっているのだから。


 金貨にして1000枚、とんでもない大金だ。


「おい坊主、お前なんで平気なんだよ! 白いやつだぞ!? 本物かこれ!?」


 サンデルが俺の肩を掴んでガクガクと揺らす。


「落ち着いてください。アサータクさん知り合いの商人です、偽物ってことはないでしょう」


「ひっ、ひぃっ……」


 俺がなだめると、サンデルは過呼吸になりかけながら、恐る恐る白金貨の山を凝視した。


「サンデルへの依頼料と、アーノルの技術提供料だ。二人で分けてくれ」


 ケイルはサンデルの反応に満足したのか、ニッコリと笑って懐から羊皮紙を取り出した。


「ああ、それと二人とも。これに署名を頼むよ」


「署名?」


 渡された羊皮紙に目を走らせる。


 そこには美しい飾り文字で、今回の成果物に関する『全権利の譲渡』、および『他者への開示禁止』、さらには『類似技術の開発禁止』といった条項がびっしりと並んでいた。


 俺は一通り読み終えると、表情一つ変えずに羊皮紙をテーブルへ放った。


 ペラリ、と乾いた音が響く。


「書き直してください」


「……おや?」


 ケイルの笑顔が張り付いたまま固まった。


「不服かな? これは商会の標準的な手続きだよ。君たちが開発した技術を我々が買い取る。その対価としての白金貨10枚だ。破格だろう?」


「全ての権利を渡すなら、桁が足りない」


 俺は冷めたお茶を一口啜り、静かに告げた。


「この『付帯技術を含む』という一文……つまり、この金額で防錆ぼうせい関係の権利をすべて奪うということですよね?」


「……」


 ケイルの目が細められる。


「錆びない鉄は世界を変える。その利益を独占するなら、白金貨10枚なんて挨拶代わりにもなりませんよ」


 部屋の空気が冷たく張り詰める。


 すると、沈黙を破って「くくっ、がははは!」とアサータクが愉快そうに笑い出した。


「おいおいケイル、悪手だったな。こいつはただの若造じゃねえぞ。その辺の古狸よりよっぽど目が利く」


「……アサータク、この男はいったい?」


「さあな、でもこいつを型通りの契約で縛れるとは思わないことだ」


 アサータクはニヤリと笑い、俺にウインクを送ってきた。


 俺は小さく肩をすくめ、手近にあった紙とペンを引き寄せた。


「……とはいえ、このまま交渉決裂じゃあ、手ぶらで帰るケイルさんの顔も立たないでしょう。俺たちも、無下に追い返すような真似はしたくない」


 さらさらとペンを走らせ、新たな条項を書き込んでいく。


 迷いはない。


「こちらの譲歩できるラインを提示します。これでどうですか?」


 俺が提示した紙を、ケイルが覗き込む。


「……『防錆加工技術に関する、十カ年独占契約』……?」


「ええ。対象は『防錆技術』のみ。期間は十年間。その間、俺たちは他へ製造法を教えないし、売りもしない。商会の独占権は守られる」


 俺はペン先でトントンと紙を叩いた。


「ただし、『開発者本人の個人利用は認める』。俺やサンデルさんが自分の道具を作るのに、いちいち商会の許可なんか取ってられませんからね」


「十年か……。永久譲渡ではないのか」


「十年もあれば十分でしょう? もちろん、十年後にまだ必要なら、その時また改めて契約しましょう」


 俺は口の端を吊り上げた。


「もっとも、その頃には俺たちがもっとすごい技術を作ってるでしょうけど」


 ケイルはしばらく紙を睨んでいたが、やがて呆れたように深いため息をついた。


「……鍛冶屋の見習いかと思っていたが、とんでもない商売人だな」


「最高の褒め言葉ですね」


「参ったよ。本来、私の一存で商会の定型契約を変えることはできないんだがね……」


 ケイルは苦笑しつつも、その瞳には鋭い覚悟の色が宿っていた。


「だが、この条件でねじ込む。……いや、ねじ込んでみせるさ。この『金の卵』をみすみす逃すような真似はできない」


「ありがとうございます。サンデルさん、ここにサインを」


「あ、ああ……よく分からねえが、お前が良いならいいんだな?」


 状況についていけないサンデルも、俺に促されるまま署名をする。


 俺もその横に名前を書き入れ、即席の契約書が完成した。


 ケイルは大切そうにそれを懐にしまうと、満足げに頷いた。


「それじゃあ、私はこれで。次は西の商業都市、レーマネで会おう。君たちが来るのを待っているよ」


 ケイルが去った後、工房には俺たちとアサータク、そして白金貨の山が残された。


 サンデルは震える手で白金貨を掴もうとし――ピタリと手を止めた。


 そして、視線をゆっくりと壁に立てかけられた「黒と銀の剣」へと移す。


 沈黙が落ちた。


 さっきまでの賑やかな空気は消え失せ、職人の重い空気が満ちる。


 サンデルは剣を手に取り、鞘から抜いた。


 黒と銀のコントラストが、妖しく輝く。


 彼はまるで我が子を抱くように刀身を撫で、そして――。


 断腸の思いで、呻くように言った。


「......持ってけ」


 サンデルは鞘に収めた剣を、俺に突き出した。


 その顔は、身を引き裂かれるような苦渋に満ちているが、目は真っ直ぐだった。


「え......いいんですか? サンデルさんの最高傑作でしょう?」


「......お前の知識のおかげだ」


 サンデルがポツリと言う。


「合わせ鋼も、油の焼き入れも、あの黒い煮込みも。お前がいなきゃ、この剣はこの世に生まれなかった。だから、こいつはお前の剣だ」


 俺は剣を受け取り、首を横に振った。


「いや、サンデルさんの腕がないと作るのは不可能ですよ。俺は口を出しただけです」


「......ふん、分かってるよ」


 サンデルはニカっと笑った。


 自分に特別なスキルがあるなどとは夢にも思っていない、しかし自らの腕には絶対の自信を持つ、職人の笑みだ。


「まあ、金はあるからな。また打てばいい」


 彼はテーブルの上の白金貨の山を顎でしゃくった。


「材料費の心配はもうねえ。今度はそれよりもすごいのを、時間をかけて打つさ。俺は天才だからな。次はもっと化け物を作ってやる」


 そう言うと、サンデルは白金貨の山を無造作に半分に分け、5枚を俺に差し出した。


「じゃ、これを」


 俺は、その中から一枚だけを摘み上げた。


「え?」


 残りの4枚を、サンデルの手元に押し返す。


「俺はこれで十分です。旅費にしては多すぎるくらいですから」


「おい、バカ言うな。正当な報酬だぞ」


「いいえ、サンデルさんが持っていてください」


 俺は腰に差した剣をポンと叩いた。


「俺はこの剣を貰いましたから。それに......」


 俺はニヤリと笑った。


「金がなくてすごい剣が打てないなんて、世界の損失です。その金で、また俺が腰を抜かすような『すごい剣』を作ってくださいよ」


 サンデルは呆気にとられた顔をしていたが、やがて相好を崩し、嬉しそうに鼻を鳴らした。


「......へっ、生意気なガキだ。いいだろう、約束してやる。次にお前がここに来る頃には、神様でも斬れる剣を用意しておいてやるよ、もうくだらない仕事は、一生しなくていいだろうしな」


 俺は一枚の白金貨を懐に入れた。


 たった一枚だが、俺にとっては十分すぎる大金だ。


 その様子を黙って見ていたアサータクが、呆れたように、しかしどこか楽しげに突っ込んだ。


「......おいアーノル。お前、白金貨でしか商売しねえのか?」


「たまたまですよ」


 俺たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。


 こうして、長いターマインでの滞在は終わりを告げた。


 懐には一枚の白金貨、腰には最強の剣。


 俺たちの旅は、とんでもないグレードアップを果たして再開されることになった。


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