90. 黒と銀の狂宴
それからの日々は、まさに「鉄と炎の戦争」だった。
「違う! 剥がれた! クソッ、温度差がありすぎるんだ!」
サンデルの怒号が響く。
俺が提案した「合わせ鋼」――芯に軟鉄、外に硬鋼を合わせる技術は、理論で言うほど甘くはなかった。
膨張率の違う鉄を、ハンマー一本で結合させる。
少しでも温度がズレれば、餅のように剥がれ、歪み、鉄屑へと変わる。
「アーノル! 藁灰だ! つなぎに灰を噛ませろ!」
「はいっ!」
俺は顔中煤だらけになりながら、焼けた鉄に藁の灰を振りかける。
これは俺のアイデアではない。
サンデルが数十回の失敗の末に、「鉄が滑りたがってる」と言い出して見つけた、この世界独自の接着剤代わりだ。
カーン!
カーン!
打撃音が変わる。
鈍い音から、甲高い、一つになった音へ。
「よし! 食いついた!」
だが、難関はそこだけではなかった。
「サンデルさん、剣の真ん中に『溝』を掘りましょう」
「あぁ? 血抜き溝か? そんなもん飾りだろ」
「違います、軽量化です。真ん中を削っても強度は落ちません。むしろ軽くなって振る速度が上がります!」
「......正気か? 鉄を削って強度が変わらねえだと?」
半信半疑のサンデルに、俺は図面を書いて説得し、試作させた。
出来上がった溝付きの剣を振った瞬間、サンデルの目が飛び出た。
「......軽ッ!! なんだこれ、羽か!? なのに芯がブレねえ!」
俺の怪しい現代知識と、サンデルの【鋼王】の腕。
二つの歯車は、噛み合うたびに火花を散らし、異常な速度で「剣の常識」を書き換えていった。
そんな狂騒の最中、アサータクがひょっこり現れたのは、季節が一つ変わる頃だった。
「よう。......うわぁ」
工房の扉を開けたアサータクは、俺たちの姿を見て一歩後ずさった。
俺もサンデルも、髪は伸び放題、肌は煤で真っ黒、目は落ち窪みながらもギラギラと怪しく光っている。
完全に妖怪の類だ。
「まだ......終わらなそうだな」
「アサータクさん! 見てください、この断面! 鉄のミルフィーユですよ!」
俺が失敗作の断面を突きつけると、アサータクは顔を引きつらせた。
「お......おう......」
言葉が出てこないらしい。
ただ圧倒され、ドン引きしている。
「俺は南の商人と一仕事してくるわ。......生きてたらまた来る」
彼は差し入れの干し肉を置くと、脱兎のごとく去っていった。
この部屋の空気を吸い続けると、脳みそが鉄屑になると本能が警鐘を鳴らしたのだろう。
賢明な判断だ。
そして、季節は巡る。
ターマインの街に冷たい風が吹き始めた頃。
ついに、その「一振り」は形になった。
「焼き入れ、完了」
ジュワアアア......!
油の中に沈められた刀身が、悲鳴のような音を上げる。
水ではなく油を使った冷却。
これも「割れにくく、粘り強くする」ための俺の提案だ。
引き上げられた剣は、美しい曲線を描いていた。
だが、まだ終わりではない。
ここからが本番だ。
「煮込むぞ」
骨と酸のスープ。
俺たちが数ヶ月かけて完成させた「防錆の魔液」に、その名剣をドボンと沈める。
通常の鍛冶師が見れば発狂する光景だ。
グツグツと煮込むこと半刻。
取り出された剣は――漆黒に染まっていた。
光を一切反射しない、闇のようなマットブラック。
「......できた。最強の剣だ」
サンデルが震える手で柄を握る。
そして、試斬用の薪に向かって振り下ろした。
ガッ!!!!
鈍い音が響き、剣は薪の途中で止まった。
割れてはいるが、切れてはいない。
「............」
沈黙。
サンデルの額に青筋が浮かぶ。
「......切れねえじゃねえかッ!!!!」
ガシャーン! とサンデルが剣を床に叩きつけた。
「鈍らだ! ただの頑丈な鉄の棒だ! 表面に膜なんか作るから、刃先が丸くなっちまったんだよ! 俺の半年を返せクソガキ!」
「待って! 落ち着いてサンデルさん! 想定内です!」
俺は慌てて剣を拾い上げた。
防錆処理は、鉄の表面すべてに膜を作る技術だ。
つまり、せっかく鋭く研いだ刃先の上にも「厚い膜」が覆い被さってしまっている状態なのだ。
これでは切れるわけがない。
「塗装を剥がせばいいんです!」
「あぁ?」
「全体は黒い膜で守ったまま、この『刃先』の数ミリだけを研ぎ直すんです! 中身の鋼を出せば切れ味は戻ります!」
俺の言葉に、サンデルはハッとして砥石を掴んだ。
シャリ......シャリ......シャリ......。
静寂な工房に、研磨の音だけが響く。
サンデルの目は血走り、その手つきは鬼気迫るものがあった。
ただひたすらに、黒い刃の「一線」だけを研ぎ澄ます。
どれくらいの時間が経っただろうか。
時間の感覚が麻痺するほどの集中。
やがて、サンデルの手が止まった。
黒く染まった刀身の、ほんの切っ先だけが削り取られ、下から凶悪な「銀色の鋼」が顔を出していた。
そこにあったのは、異様な迫力を持つ剣だった。
刀身は、光を吸い込むような艶消しの黒。
だが、その輪郭を縁取る刃先だけが、妖しく、鋭く、銀色に輝いている。
黒と銀のコントラスト。
それはまるで、闇夜に走る稲妻のようだった。
「......」
サンデルは無言で薪に向き直った。
ヒュッ。
風を切る音すらしない。
スパン。
薪が音もなく両断され、上のパーツが重力に気づいていないかのように、一瞬空中に留まってから落ちた。
「......化け物だ」
サンデルが呟く。
芯には柔らかい鉄があり衝撃を殺す。
表面は黒錆の膜で守られ、水も泥も弾く。
そして刃先は、カミソリのような切れ味を持つ。
「完成、ですね」
俺が息を吐くと、サンデルは工房の窓を開けた。
外から吹き込んできたのは、冬の匂いを含んだ風だった。
「......おい坊主。俺たちがこもってから、どのくらい経った?」
「えっと......」
俺は指折り数え、そして苦笑した。
「たぶん、半年くらいですね」
金貨3枚から始まったターマインでの足止め。
だが、その半年は無駄ではなかった。
俺たちの目の前には今、世界中の剣を求める者が全財産をはたいてでも欲しがるであろう、至高の剣(傑作)が鎮座していた。




