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キングスレイヤー序  作者:
第2章 侵食の始まり

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88. 骨と酸のスープ

 市場は相変わらず澱んだ空気に満ちていた。


 俺の【見る力】は、生き物や構造の解析には役立つが、ただの「物」の価値を鑑定することはできない。


 山積みにされたガラクタは、俺の目にはただのゴミの山にしか映らなかった。


 「おい、アサータク? ......そこにいるのはアサータクじゃないか?」


 背後から、不意に声をかけられた。


 振り返ると、そこには身なりの良い、しかしどこか疲労を滲ませた中年男が立っていた。


 ハインツ商会の紋章が入った外套を羽織っている。


 【ケイル】

 36歳 男

 能力:【商才】


 アサータクが目を見開いた。


 「ケイル......!? なんでお前が、こんなところにいるんだ?」


 男の名はケイル。


 かつてアサータクと商売をし、失敗して落ちぶれていた男だ。


 アサータクがハインツにポンプを売り込んだ際、自分の利益を削ってでも彼を雇うよう頼み込んだ経緯がある。


 「お前のおかげで、また商人の真似事ができてるよ」


 ケイルは再会を喜ぶと同時に、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。


 「......実は今、ハインツ様からの特命で動いてるんだ。ポンプは大当たりで金のなる木だが、ハインツ様は『改良』を急いでいる」


 鉱山の水質による錆や腐食。


 それを防ぐための耐久性向上が急務らしい。


 「俺だけじゃない。商会の人間が何人も、解決策を探して各地に散らばってる。早い者勝ちの競争さ。俺はこの街に、昔馴染みの腕利き鍛冶師がいるのを思い出してな」


 「なるほど、お前も必死ってわけか」


 「ああ。失敗すりゃまた逆戻りだ。......だが、肝心の鍛冶師が偏屈でね」


 俺たちが「何か手伝えるかもしれない」と申し出ると、ケイルは「藁にもすがりたい気分だ」と俺たちを案内した。


 街外れの寂れた鍛冶場。


 中に入ろうとしたその時、怒号と共に農民風の男が店から追い出されてきた。


 「二度と来るんじゃねえ! その薄汚ねえ鍋を持ってとっとと失せろ!」


 中から出てきたのは、ボサボサの黒髪に煤だらけの顔をした、眼光の鋭い男だった。


 【サンデル】

 54歳 男

 能力:【鋼王】


 (......っ!?)


 俺は息を呑んだ。


 【鋼王】。


 かつて俺に農業を教えてくれたバテンさんの【農王】と同じ、頂点を示す「王」の称号を持つスキルだ。


 まさか、こんな掃き溜めのような場所に、伝説級の職人が埋もれているなんて。


 「な、なんだよ! 鍋の穴をちょっと塞いでくれって頼んだだけじゃねえか!」


 「『ちょっと』だと? あの鍋は鉄が泣いてたんだよ! 全体を打ち直して焼き入れしなきゃ、またすぐ割れるって言っただろうが!」


 「だから、そんな金はねえって......」


 「なら金が貯まるまで指で塞いでろ! 俺は半端な仕事はしねえんだよ!」


 サンデルはそう吐き捨てて扉を閉めようとした。


 ケイルが俺たちに耳打ちする。


 「......見ての通りだ。腕は超一流なんだが、簡単な修理でも『完璧』を求めて一から作り直そうとする。おまけに説教付きだ。おかげで金にならない仕事ばかりで、いつも貧乏だ」


 妥協を知らない職人。


 それゆえの不遇。


 俺たちはそんな偏屈な男に、話を切り出した。


 工房の中は、雑然としているが道具の手入れだけは完璧に行き届いていた。


 ケイルが改めて「錆びない鉄」の話を持ち出すと、サンデルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 「そんな夢物語みたいな鉄があるか。(きん)じゃあるまいし、鉄は錆びて土に還るのが(ことわり)だ」


 「理屈は分かります。でも、表面を加工することで錆を防ぐ方法があるんです」


 俺が割って入ると、サンデルは「ガキが口を挟むな」という目で睨んできた。


 俺は怯まずに、用意してもらった材料――動物の骨を焼いた灰と、酸味のある鉱山の水――を並べた。


 「あぁ? 鉄を煮込めだぁ?」


 サンデルは顔をしかめた。


 「俺は鍛冶師だぞ。そんな毒薬を作るような鍋に、神聖な鉄を入れるわけにはいかねえ。鉄への冒涜だ」


 「お願いします。これなら錆びない鉄が作れるはずなんです」


 「......坊主。そもそも、なんでこんな気色の悪い方法を知ってやがる?」


 サンデルが疑わしげな目を向けてくる。


 俺は少し言い淀んだが、とっさに前世の記憶をぼかして答えた。


 「......昔、ある冒険者から聞いた『古い伝承』です。泥沼の戦場でも決して錆びなかったという『黒騎士の鎧』......その製法に、骨と酸を使ったという記述があったとか」


 (......本当は、歯医者の待合室で読んだミリタリー雑誌の『パーカライジング処理』の話だけどな)


 戦車の部品などに使われる、リン酸塩皮膜処理。


 専門的な化学式は知らないが、「骨の灰」と「鉄」を「酸性の熱湯」で反応させるという大雑把な理屈だけは覚えていた。


 「黒騎士の鎧......おとぎ話か。まあいい、端材で試すくらいならやってやる。失敗したら塩を撒いて叩き出すからな」


 サンデルは渋々、小鍋にドロドロの灰色の液体を作り、そこに磨いた鉄片を沈めた。


 「温度が重要です! 沸騰させちゃ駄目です、泡が少し出るくらいを維持して......」


 「チッ、注文の多いガキだな......」


 数十分後。


 鍋から引き上げられた鉄片を見て、サンデルは呆れ返ったように言った。


 「......おい。これで良いのか?」


 そこにあるのは、かつての輝きを完全に失った鉄だった。


 光を反射しない、艶消しの灰色。


 まるで死んだ魚の目のような、不気味な色をしている。


 「輝きが死んでるぞ。こんな薄汚ねえ鉄屑にするのが、お前の狙いか?」


 サンデルは乱暴にその鉄片を掴むと、酸の水が入った桶に放り込んだ。


 案の定、すぐに数箇所から赤い錆が浮き上がってくる。


 「ほら見ろ。とんだ茶番だ」


 サンデルが吐き捨てる。


 ケイルも残念そうに溜息をついた。


 俺は唇を噛んだ。


 やっぱり、素人の生兵法じゃ無理だったか......。


 だが、その時だ。


 「......ん?」


 桶の中を覗き込んでいたサンデルの目が、一点に釘付けになった。


 彼は荒々しく鉄片を取り出すと、布でゴシゴシと拭った。


 「......おい、ここを見ろ」


 サンデルが指差したのは、鉄片の隅にある、小指の先ほどの範囲だった。


 そこだけ、赤錆が出ていない。


 死んだ魚のような灰色のまま、酸に侵されず平然としていた。


 「他は全滅だが......ここだけ、妙な膜が出来てやがる。ヤスリでも簡単には削れねえぞ」


 サンデルの声が変わった。


 職人の目が、その小さな「成功」を見逃さなかったのだ。


 「温度か? それとも灰の混ざり具合か? ......この一点だけ、何かの条件が揃ったんだ」


 サンデルは俺を見た。


 その瞳には、先程までの不機嫌さは消え、未知への狂熱が宿り始めていた。


 「おい坊主。もう一度やるぞ。......俺がこの『膜』の正体を暴いてやる」


 そこからは、まさに泥沼だった。


 骨の種類、酸の濃度、そして何よりシビアな温度管理。


 少しでも条件がズレれば失敗する。


 俺の曖昧な知識と、サンデルの【鋼王】の感覚。


 二つが完璧に噛み合うまで、どれだけの時間がかかるか見当もつかない。


 そんな俺たちの様子を、工房の入り口でアサータクが静かに見つめていた。


 「......こりゃあ、当分終わりそうにねえな」


 「ええ。ですが、完成すれば間違いなく『革命』になります」


 スネルの言葉に頷き、アサータクは決断したように言った。


 「スネル、俺たちは一度コミンに戻るぞ」


 「......置いていくんですか?」


 「ああ。この旅はもともと、アーノルに広い世界を見せてやるための旅だ。あいつは今、夢中になれるものを見つけた。無理に引っぺがすより、ここで納得いくまでやらせた方がいい」


 それに、とアサータクは月光麦の箱を撫でた。


 「こいつを無事に届けるためにも、金ができるまで村で保管した方が安全だ。......行くぞ」


 こうして、俺は知らぬ間に一人ターマインに残ることになり、アサータクたちは麦を守るため、一時帰郷の途につくのだった。



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