87. 緩衝地帯の闇
金貨3枚。
これが、白金貨2枚の「月光麦」を買った俺たちの残金だった。
「......どう計算しても、まともな護衛を雇えば3日で破産ですね」
スネルが帳簿を閉じ、お手上げといった様子で肩をすくめる。
だが、俺には疑問があった。
「アサータクさん、そもそもそんなに護衛って要りますか?」
俺は自分の腕をさすった。
「俺、これでも結構強いですよ。そこらの山賊くらいなら追い払えます」
自分一人なら逃げることも戦うこともできる。
そう考えての発言だったが、スネルは真剣な顔で首を横に振った。
「アーノル君、甘いですよ。君が強いのは知っていますが、数の暴力は侮れません。最近はこの国内ですら治安が悪化していて、十人以上の徒党を組む盗賊も珍しくないんです」
「十人......」
「ええ。ですが、これから向かう場所はもっと危険です。問題は国境ですよ」
スネルが地図を広げ、ヨンドカ王国と隣国レーマネの境界線を指さした。
「この間には、どちらの国にも属さない『緩衝地帯』があります。そこが完全な無法地帯なんです」
「レーマネ側も治安維持をしたいのですが、ヨンドカ側が領有権を主張して譲らないんです。気に入らなければすぐに戦争をちらつかせる国ですから、レーマネも強く出られない」
アサータクが忌々しそうに吐き捨てる。
「一部じゃ、ヨンドカが裏で盗賊を容認してるって噂もあるくらいだ。通行料代わりに略奪品の分け前を貰ってるってな。だから、あそこに出る盗賊団は規模も質も違う。20人、30人の組織だった集団だ。中には軍隊崩れの傭兵も混じってる」
「20人の元軍人......」
「ああ。いくらお前が強くても、四方八方から同時に襲われて、荷車と馬と俺たちを守り切れるか?」
......それは無理だ。
個人の武勇でどうにかなるレベルではない、国家間の闇が絡む場所。
それが国境だった。
「なら、金を作るしかないですね......。アサータクさん、例の『防錆加工』のアイデアを売りませんか?」
俺は鉄を錆びさせない技術のレシピ化を提案した。
だが、アサータクは首を振る。
「ここは腐敗したターマインだ。足元を見られて買い叩かれるのがオチだ。未来の巨万の富を、目先の金貨数枚にするのは惜しい」
「なら、借金は?」
「お待ちください」
スネルが鋭い声で制止した。
「それだけは絶対にお勧めしません。この街の金貸しは、法外な利子だけでなく、担保契約が曖昧なんです」
スネルは足元の「月光麦」の箱を指さした。
「『荷物の中から相当額を徴収する』と書かれます。もし彼らが、この箱を見て『何か金目のものが入っているかもしれない』と踏んだらどうなります?」
「......中身がただの麦だと知らなくても、ですか?」
「ええ。奴らはプロのハイエナです。厳重に梱包された箱があれば、中身の価値が分からなくとも、とりあえず奪っていきますよ。返済しようとしても難癖をつけて拒否し、担保としてこの麦を奪う......それが奴らの手口です」
借金は、虎の子の麦を奪われる招待状になりかねない。
「八方塞がりだな......」
結局、俺たちはリスクを冒さずに稼ぐ方法を探すため、再び薄暗い没収品市場へと足を向けるしかなかった。




