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キングスレイヤー序  作者:
第2章 侵食の始まり

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86.腐敗の都と麦

「……やっと、息ができる気がする」


 王都を出てしばらく。


 遠ざかる城壁を背に、俺は馬車の座席に深く沈み込んだ。


 ジャミルという「爆弾」の近くにいるストレスは、想像以上だったようだ。


 御者台のアサータクさんが声をかけてくる。


 交渉事の得意なスネルさんは、これからの旅の戦力として同行することになった。


 アサータクさんが真面目な顔で地図を広げた。


 羊皮紙に大雑把に描かれた手書きのものだ。


 「よし、真面目な話をするぞ。目指すは商業都市国家レーマネだが、その前に大きな経由地がある。ヨンドカ王国西の拠点『ターマイン』だ」


 アサータクさんの指が図面の上を走る。


 「ターマインは、規模こそ王都に次ぐ第二の都市だが、金の動きだけで言えば王都以上だ。ここを治めているのはモグロン侯爵。……まあ、金のためなら何でもする古狸だ」


 「西には、大陸中の商人が集まる商業都市国家レーマネ。北にはサマラ王国。南西にはマッデン。そして南には、『テンス国』がある」


 「テンス……。アサータクさんが言っていた、食料がたくさんある国ですね」


 「ああ。ここが重要なんだ」


 アサータクさんは表情を引き締めた。


 「テンスは肥沃な大地を持つ、世界有数の農業大国だ。食料自給率は百パーセントを遥かに超え、飢えとは無縁の国だと言われている。だが、致命的な弱点がある」


 「弱点?」


 「鉱山資源が絶望的にないんだ。鉄も、銅も取れない。おまけに技術力も低いから、農具一つ作るのにも他国の鉄がいる。だから奴らは、作った作物を売って、鉄や道具を買うしかない」


 アサータクさんは図面の「テンス」と「レーマネ」の間にある「ターマイン」を叩いた。


 「テンスが商売をしたい相手は、大陸一の商人と品物が集まるレーマネだ。だが、地理を見てみろ。テンスの上にはヨンドカが蓋をしている。テンスからレーマネに行くには、ヨンドカ領であるターマインを通るしかない」


 完全に首根っこを掴まれている形だ。


 「もちろん、ヨンドカ側にとってもテンスの食料は重要だ。もし輸入が止まればヨンドカの食卓も寂しくなるからな。商売相手としても、食糧源としても、ヨンドカはテンスという国を離すわけにはいかないのさ。だからモグロン侯爵も、テンスの商人に対しては『多少』税を優遇してはいる」


 「優遇、ですか?」


 「ああ、ほんの『多少』な。結局は、足元を見てギリギリのラインで搾り取ってるのさ。テンス側も、ここを通らなきゃ鉄が手に入らないから、泣く泣く従ってる状態だ。テンスは極端な鎖国政策をとっていて、国境の要塞から先には外国人を入れない。謎の多い国だが、この『ターマイン経由』という首輪だけは外せないんだよ」


 そして到着した西の都、ターマイン。


 街の入り口にある検問所では、予想通りの光景が繰り広げられていた。


 衛兵が横柄な態度で荷物を検査し、難癖をつけては通行を止めている。


 「おい、新規定の追加税が足りないぞ。この荷物は没収だ」


 「そ、そんな! 突然倍以上の税なんて、払えるわけがない! 返してください!」


 「嫌ならお帰り願おうか」


 典型的な汚職だ。


 想定外の高い税を突きつけられ、全財産を奪われている商人があちこちにいた。


 俺たちの馬車の番になると、スネルさんがさっと前に出た。


 スネルさんはニコニコと笑いながら、役人の手に「何か」を握らせた。


 正規の通行税に色をつけた、いわゆる「袖の下」だ。


 役人は掌の重みを確認してニヤリと笑うと、荷台の中身もろくに見ずに手を振った。


 「よし、通れ」


 「へへ、ありがとうございます」


 馬車に戻ったスネルさんが肩をすくめる。


 こうして俺たちは、腐敗した街ターマインへと足を踏み入れた。


 街の中は異様な熱気に包まれていたが、その空気はどこか淀んでいる。


 「さて、明日の朝にはレーマネへ向かう。……だが、せっかくだ。少し『掘り出し物』を探しに行くか。この街の名物、『モグロン侯爵の没収品市』だ」


 連れてこられたのは、市場の裏手にある薄暗い広場だった。


 そこには、想定外の高い税を払えなかった商人や、難癖をつけられて荷物を奪われた者たちの「元所有物」が、雑に積み上げられている。


 その時だった。


 広場の隅で、みすぼらしい格好をした老人が、衛兵に引きずられているのが見えた。


 「離せ! 返してくれ! あれは……あれだけは!! 私の一生の全てなんだ!!」


 「うるさい! 税も払えん貧乏人が! ほら、さっさと失せろ!」


 衛兵が老人を蹴り飛ばす。


 老人は泥まみれになりながらも、一つの「泥だらけの木箱」に手を伸ばそうとしていた。


 俺は何気なく、その老人に目を向けた。


 【名前:コーロン】


 【年齢:68歳】


 【才能:農王】


 (……は!? 農王!?)


 俺は我が目を疑った。


 バテンさんと同じ、あの伝説級のスキルか?


 その「農王」が、死に物狂いで執着している箱。


 俺は小声でアサータクさんの袖を引いた。


 「アサータクさん、あの隅の泥だらけの箱……買ってください。俺の勘ですが、あれは絶対にゴミじゃありません」


 アサータクさんは俺の顔をじっと見て、ニカっと笑った。


 「お前の勘か。よし、乗った」


 アサータクさんは銀貨数枚で、その箱を競り落とした。


 俺たちは広場の外れでうずくまっていた老人、コーロンさんに声をかけた。


 「……おじいさん、これを取り返そうとしてたんだろ?」


 俺が箱を差し出すと、コーロンさんは信じられないものを見るような目で俺たちを見上げた。


 「な、なぜ……? あなた方が買い取ったのでは……。なぜ私に返してくれるのですか?」


 「まあ、あんたが命がけで守ろうとしたのが気になってね。事情を聴かせてくれないか」


 コーロンさんは震える手で箱を受け取ると、涙を流しながら中に入っていた種を愛おしそうに撫でた。


 「これは『月光麦』の種です。私が一生をかけて、ようやく固定化できた奇跡の麦なのです。ですが、これは独自の栽培方法とセットでなければ、決して芽吹きません。私はこれを売るために、高値で買い取ってくれる可能性のあるレーマネを目指していました」


 孫の重い病を治すための薬代を作るため、彼は一生の結晶であるこの種と栽培技術を売る決意をした。


 だが、この街の理不尽な没収で全財産を奪われ、路銀すら尽きてしまったのだ。


 「……なあ、爺さん。孫さんの薬代、急いでるんだろ。あんたの目は嘘をついてねえし、俺の連れもこれを信じてる。正当な対価を払いたい。いくらだ?」


 コーロンさんは覚悟を決め、消え入りそうな声で絞り出した。


 「……白金貨、一枚。それだけあれば、孫を救い、必要な全てが揃います……どうか……っ!」


 スネルさんが驚愕の声を上げた。


 アサータクさんも、流石に眉をひそめて黙り込んだ。


 「白金貨一枚か……。爺さん、流石にそれは……」


 「――アサータクさん。白金貨『二枚』、出しましょう」


 俺の言葉に、アサータクさんが弾かれたように俺を見た。


 「おい、アーノル! 正気か!? 白金貨二枚なんて、いくらなんでもやりすぎだ。一枚だって屋敷が建つ額なんだぞ!」


 「お願いします、アサータクさん。俺の勘を信じてください。この種と育て方は、それだけの価値があるんです」


 「反対だ! 投資にしてもリスクがデカすぎる。……二枚なんて、ありえねえ」


 アサータクさんは本気で顔を険しくして反対した。


 だが、俺は一歩も引かずに彼の目を見つめ続けた。


 しばらくの沈黙の後、アサータクさんは大きく溜息をついた。


 「……くそっ。お前がそこまで言うなら、何かあるんだろうな。……わかった、折れるよ。スネル、用意しろ」


 スネルさんは周囲の目を気にしながら、外套の影でこっそりと二枚の白金貨を取り出し、コーロンさんに渡した。


 「いいか、爺さん。これですぐに孫さんを救ってこい」


 アサータクさんが鋭く続けた。


 「その前に、育て方は教えていってくれよ。約束通り種と育て方はきっちり教えてもらうぞ」


 コーロンさんは白金貨を握りしめ、震える声で何度も感謝を口にしながら、俺たちに栽培の秘訣を伝授してくれた。


 夜の馬車の中で、アサータクさんが懐の革袋を逆さにして振った。


 「……さて、アーノル。今日のお前の大盤振る舞いのせいで、俺たちの手持ちは金貨3枚になっちまったぞ」


 「……えっ? たった3枚ですか? 揚水ポンプの儲けがあるじゃないですか」


 「ああ、あれか。あれにはまだ手を付けてねえよ」


 アサータクさんはぶっきらぼうに答えると、俺を睨みつけた。


 「おい、これ全部お前のせいだからな? どうすんだよ、この先」


 「……金貨3枚で、本当に旅続けられます?」


 俺の問いに、アサータクさんは頭を抱えて唸るだけだった。



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