79.揺れる馬車と、勘違いな従業員たち
目指すは、アサータクの店がある町『コミン』。
そこを拠点に準備を整え、国境を越えてレーマネを目指す計画だ。
「さて、出発といこうか。まずは街道沿いに隣町ソーコを経由して……」
「行きません」
俺は食い気味に遮った。
ソーコ。それは隣町、つまりユーイのいる牧場のすぐ近くだ。
今の俺があの町に近づけば、情緒不安定になって爆発するか、未練がましく牧場の柵にしがみついて号泣するかの二択だ。
「……ほう? 補給にはいい場所なんだがね。美味しいシチューの店もある」
「行きません。野営でいいです。そのまま突っ切ってください。俺の今のメンタルは豆腐より脆いんです」
俺が頑なに拒否すると、アサータクは口の端をニヤリと吊り上げた。
「……まあ、いいだろう。商人は野営も経験しておいた方がいいからな。だが、後悔しても知らんぞ?」
アサータクの含みのある言い方が気になったが、今はとにかく距離を取りたかった。
しかし。その選択を、俺は半日で後悔することになった。
ガタガタガタガタ!! ドスン! ガタン!!
「……ぐっ! 痛ってぇ!!」
馬車の揺れが酷い。酷すぎる。
隣町までの短い距離なら気にならなかったが、整備されていない裏道や長距離移動となると話は別だ。
今まで気にならなかったのは、単に「恋に浮かれて感覚が麻痺していた」だけなのかもしれない。
「おい若き発明家。舌を噛んでも知らんぞ」
御者台のアサータクが楽しそうに声をかけてくる。
「アサータクさん……これ、わざと悪路を選んでませんか? ケツが四つに割れそうです」
「ハハハ! 街道を避ければこうなるのは道理だ。これも経験だよ、経験」
「くそっ……! サスペンションだ。板バネ……いや、コイルバネが必要だ。このままじゃ脳みそがシェイクされてバターになっちまう!」
俺は悲しい思い出を振り払うように、必死に馬車の構造改革案を脳内で練り上げた。
そして夜。
「……硬い。これ、本当に肉ですか? アサータクさんの革靴の底じゃなくて?」
夕食の干し肉を齧りながら、俺はジト目で訴えた。
「お前が『野営でいい』と言ったんだろう? 文句を言わずに食え。噛めば噛むほど味が出る」
「味なんてしませんよ。顎のトレーニング器具ですかこれは」
スープはただのお湯に塩を入れたような味気なさ。
寝床はゴツゴツした地面。馬車の荷台は狭く、アサータクのいびきは熊の咆哮のようだ。
「……帰りたい」
俺の不満は爆発寸前だった。
失恋の傷心旅行にしては、物理的なダメージが大きすぎた。
そんな苦行のような数日間を経て、ようやく俺たちは『コミン』に到着した。
アサータクの店は、大通りから少し外れた場所にあった。
店構えはこじんまりとしているが、裏手には不釣り合いなほど巨大な倉庫が鎮座している。
「戻ったぞー。留守中、変わりなかったか?」
アサータクが軽快に店の扉を開けると、奥から二人の従業員が顔を出した。
「あら、店長。お帰りなさいませ」
上品で、しとやかな声で出迎えたのは、小太りの女性だった。
年齢は二十代後半か。ふくよかな体型を包む服は清潔感があり、仕草もおっとりとしている。
【名前:ピュータ 年齢:28 能力:計算】
「あら? その後ろの方……新しい見習いさん?」
ピュータは俺を見ると、口元に手を当てて、困ったように眉を下げた。
「困りましたわ。わたくし、これ以上殿方に言い寄られても、対応しきれませんのに……。ねえ、そこの貴方. わたくし、ピュータと申しますの。最初に申し上げておきますけれど、わたくしに想いを寄せてはいけなくてよ? 仕事に支障が出てしまいますから」
「……あ、はい。善処します」
俺は死んだ魚のような目で答えた。
口調は丁寧だが、言っていることは以前会ったことのある「勘違いナルシスト」そのものだ。この人は一体、どこの世界線で生きているんだ。
「お帰りなさいませ、店長」
もう一人、ひょろりと背の高い痩せ型の少年が現れた。
ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべている。
【名前:ムトパス 年齢:15 能力:商人】
「へえ、君が新しい仲間ですか。僕はムトパスです。よろしく」
「アーノルだ。よろしく頼むよ」
「はい、お互い頑張りましょうね。……まあ、店長の連れてくる人間なんて、どうせまた『使い物にならない』んでしょうけど」
ムトパスは満面の笑みのまま、サラリと毒を吐いた。
「ん? 今何か言ったか?」
「いえいえ、これからの展望に胸を躍らせていただけですぅ」
アサータクが苦笑しながら紹介する。
能力【計算】を持つ勘違い系お嬢様(風)事務員のピュータと、能力【商人】を持つ毒舌ニコニコ少年のムトパス。
あと二人は王都の方へ行商に出ていて不在らしいが、この二人だけでも十分お腹いっぱいだ。
その時。
カランカラン、と店のドアベルが鳴った。
「おうアサータク! 帰ってるって聞いて鍋持ってきたよ!」
威勢の良い声と共に、大きな鍋を抱えた女性が入ってきた。
エプロン姿が似合う、肝っ玉母さんといった風情の人だ。
「ウモーンか。鼻が利くな」
俺はすかさず「見る力」を使った。
【名前:ウモーン 年齢:30 能力:馬】
(……え? 能力【馬】?)
俺は二度見した。
アサータクの能力も【馬】だ。同じ能力を持つ男女。
もしこの二人が結婚したら、生まれてくる子供はサラブレッド並みの脚力を持つのか、それともケンタウロスになるのか。俺の知的好奇心が不謹慎な方向に刺激される。
「あんたねぇ! また道中でロクなもん食ってない顔してるじゃないか! ほら、温かいシチューだよ。食いな!」
ウモーンはドカッと鍋をテーブルに置いた。
彼女はアサータクがこの町で見習いをしていた頃からの古い友人らしい。
「悪いな。ちょうどこいつが、干し肉の味に発狂しそうになっていたところだ」
「あら、かわいそうに。若いのに苦労させられてるんだねえ」
「ふん! あんたは昔から生活能力がないんだよ。商売ばっかり上手くて、自分の胃袋の管理もできないなんてさ」
「はいはい。いただきますよ」
二人のやり取りは、長年連れ添った夫婦のように阿吽の呼吸だった。
ピュータが「あら、また見せつけられてしまいましたわ」と優雅にお茶を啜り、ムトパスが「熟年離婚間近の空気感ですね」と笑顔で毒づく。
俺は出されたシチューを一口食べた。
野菜の甘みが溶け込んだ、優しい味だ。野営の泥水スープとは雲泥の差だった。
「……美味い。生き返る……」
「だろ? こいつの料理だけは、昔から一級品なんだ」
アサータクがニヤリと笑うと、ウモーンは「『だけ』は余計だよ!」とアサータクの背中をバシッと叩いた。
賑やかで、少し変わった連中。
俺はシチューの湯気の向こうで、久しぶりに少しだけ笑った気がした。
ここが、俺の新しい生活の拠点になるらしい。
前途多難な気もするが、退屈だけはしなさそうだ。
翌日。
在庫整理が一段落したところで、アサータクが背伸びをしながら言った。
「よし。今日の午後は自由にしろ。町を見て回るのも商人の修行だ」
「お、いいんですか? じゃあ遠慮なく」
「おう。案内役にピュータかムトパスをつけてやろうか? どちらも暇そうだし」
「全力で遠慮します」
俺は即答した。
あんな「勘違いお嬢様」や「毒舌笑顔少年」と歩いたら、俺の精神力が擦り切れてしまう。
「俺、腕っぷしには自信があるんで一人で大丈夫ですよ」
「……はあ? 何を寝ぼけたことを言ってるんだ」
アサータクが呆れたように俺を見た。
「お前、丸腰じゃないか。この町はそう治安が悪いわけじゃないが、旅人が手ぶらで歩くなんて『カモです』と宣伝してるようなもんだぞ」
「あ……」
言われて気づく。
俺は自分用の武器を持っていなかった。
村では自警団の備品の剣や槍を借りていたし、家では斧やナタを使っていた。
練習用の木剣しか持っていない今の俺は、ただの筋肉質な一般人だ。
「間抜けな奴だ。倉庫の奥に、買い取った武器の余りがある。好きなのを持っていけ」
「助かります!」
俺が倉庫へ向かおうとすると、入り口で在庫チェックをしていたムトパスが、ニコニコと話しかけてきた。
「えぇー? 店長、またタダであげるんですかぁ? たかが中古品とはいえ、売れば銀貨数枚にはなるんですよ?」
ムトパスは心底嫌そうに顔をしかめた。
「従業員の給料は渋るくせに、こういうドブに捨てるような真似は平気でするんですねぇ。僕、涙が出てきそうです」
「おいムトパス。そいつとんでもないやつだから侮るなよ」
アサータクが紙束をめくりながらボソリと言った。
「揚水ポンプの件で、俺に白金貨450枚もの利益をもたらしたのは、そいつだぞ」
「……はい?」
ムトパスの笑顔が凍りついた。
白金貨450枚。
それは、小さな商会どころか、城が一つ建ち、なおかつお釣りがくるほど金額だ。
「は、はく……? え? この、見るからに貧乏そうな彼が?」
「ああ。だから丁重に扱え。……あ、この話は他言無用だぞ」
アサータクは何食わぬ顔で書類仕事に戻った。
ムトパスは、口をパクパクと開閉させ、俺を凝視している。その目には、先ほどまでの侮蔑の色はなく、まるで「歩く金塊」を見るような畏敬と欲望が混じっていた。
「あ、あの……アーノル様? 剣をお探しで? 何なら僕が靴磨きでもさせていただきましょうか? それとも肩をお揉みしましょうか?」
「……結構だ」
金銭感覚が軽く破壊されているる少年を放置して、俺は武器置き場へ向かった。
雑多に置かれた剣の山。
俺は一本一本手に取っては、振ってみる。
「……重すぎる。……こっちは重心が悪い」
ロバーソンたちとの自主練で、体だけは鍛えられている。その筋肉の記憶が、しっくりくる一本を探していた。
その中で、一本の剣が手に馴染んだ。
飾り気のない鉄の剣だ。
振ってみると、風を切る音が心地よい。長さも俺の体格に合っている。
「よし、これにしよう」
俺はその剣を腰に差して、町へと繰り出した。
コミンは活気のある町だった。
通りには様々な店が並び、人々の声が響いている。
どこから見ようかとキョロキョロしていると、向こうから見覚えのあるエプロン姿の女性が歩いてきた。
「あら? あんた、アーノルじゃないか」
「あ、ウモーンさん」
買い物かごを下げたウモーンだった。
彼女は俺の腰の剣を見て「様になってるじゃないか」と笑いつつ、「迷子になりそうな顔をしてるから、案内してやるよ」と申し出てくれた。
俺たちは並んで市場を歩いた。
昨日の夕食の際、彼女とはかなり話が弾んだ。アサータクの昔話や、料理のこだわりについてなど、彼女の気さくな人柄にはすでに好感を持っていた。
道すがら、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「ウモーンさんって、昼間から買い物ですか? 仕事は?」
「……私は仕事はしてないよ。家事手伝いさ」
ウモーンが少し寂しげに笑った。
話を聞くと、彼女の実家はこの町でもそこそこ大きな商会らしい。アサータクも昔、そこの見習いだったそうだ。
彼女の上には二人の兄がいて、父と一緒に商会を切り盛りしている。
「父さんが古風な人でね。『女は商売なんてするもんじゃない。家にいて、良い旦那を待て』ってさ」
だが、その「良い旦那」のハードルが高すぎた。
父は、彼女への結婚の申し込みを片っ端から断ってしまったらしい。「お前には釣り合わん」と。
その結果、町では「あそこの箱入り娘は高嶺の花すぎる」という噂が広まり、申し込みは激減。
気づけば三十路。今では父も何も言わなくなり、彼女は家で料理を作るだけの日々を送っているという。
「……もったいないですね。ウモーンさん、あんなに手際がいいのに」
「ふん、言ってくれるじゃないか」
ウモーンは照れ隠しに俺の背中を叩いた。
俺は少し考え、核心を突いてみることにした。
「アサータクさんのこと好きなんですか?」
「ぶっ!!?」
ウモーンが咳き込んだ。顔が一瞬で茹でダコのように赤くなる。
「あの……今日もご飯もってくるんじゃないんですか?」
「な、なな、何言ってんだい! あんなガサツで、生活能力ゼロで、商売のことしか頭にない男に……毎日毎日世話焼く義理なんてないよ!」
「でも、昨日は『明日も来る』って顔してましたよ」
「うぐっ……そ、それは……あいつが餓死したら寝覚めが悪いからだよ!」
分かりやすすぎる。
俺はニヤリと笑った。
アサータクのような奔放な男には、彼女のような手綱を握れる女性が必要だ。
だが、俺の協力の動機は、そんな生ぬるいものではなかった。
アサータクの能力は【馬】。ウモーンの能力も【馬】。
この二人がくっつき、もし子供ができたら……?
(【馬】×【馬】……。一体どんな子供が生まれるんだ? 脚力が異常に発達した超人か? それともケンタウロス的な何かが……!?)
俺の知的好奇心が、猛烈に疼いた。
見たい。どうしてもその「結果」が見てみたい。
そのためには、この二人をくっつけるしかない。
「ウモーンさん. 俺、協力しましょうか?」
「……え?」
「俺もアサータクさんには借りがあるし……それに、二人が一緒になれば、あのアジトみたいな店も、もっとまともになる気がするんです(そして俺の研究データも取れる)」
ウモーンはしばらくモジモジしていたが、やがてガバッと顔を上げ、俺の手を両手で握りしめた。
その目は、獲物を狙う狩人のように真剣だった。
「……頼む! 協力しておくれ!」
「了解です。名付けて『アサータク捕獲作戦』ですね」
「おうよ! あいつという暴れ馬を乗りこなせるのは、私しかいないんだ!」
先ほどまでのしおらしさはどこへやら。彼女は完全にやる気になっていた。
「まずは胃袋の完全掌握からだ。今夜の献立、相談に乗ってくれるかい?」
「もちろんです。俺の故郷の味付け、教えますよ」
結局、その日は市場のベンチで二人して「対アサータク用戦略会議」に費やしてしまった。
町の観光? ああ、そういえば市場の野菜売り場しか見ていない気がする。
だが、俺のポケットには、新しい「武器(剣)」と、新しい「実験……いや、同盟」が入った。
悪くない収穫だ。俺は少しだけ軽くなった足取りで、店へと戻るのだった。




