78. 旅立ちの挨拶回り
アサータクへの返答期限である二十日目を迎え、俺はレーマネ行きを決断した。
出発までの数日間、俺は世話になった人々への挨拶回りに奔走した。
まずは早朝の広場。
日課となった自主練を終え、汗を拭いながら俺は口を開いた。
「……というわけで、しばらく村を空けることになった」
俺の報告に、ロバーソンは槍を突き立てたまま、短く「そうか」とだけ言った。
寂しさを微塵も見せないその態度は、逆に信頼の証のようにも思えた。
「お前がいない間、こいつらは俺が鍛えておく。……お前も、向こうで腕を鈍らせるなよ」
「ああ、分かってる。ロバーソン、頼んだぞ」
「……おう」
鋼のような筋肉を持つ親友と、拳をコツンと合わせる。
その横で、グレンが緊張した面持ちで直立不動になった。
「アーノルさん! 村のことは任せてください! 僕も、もっと強くなりますから!」
「期待してるよ、グレン。畑仕事で鍛えた足腰は武器になる」
「あはは、アーノル君がいなくなるのは寂しいけど、僕のスピードについてこれなくならないようにね?」
メイシーが軽口を叩きながら、素早い身のこなしで笑ってみせた。
見た目は可憐な少女のようだが、中身はれっきとした男だ。
その瞬発力は自警団でもトップクラス。
この三人なら大丈夫だ。
俺は安心して背中を預けられる。
その後、俺は鍛冶場へと向かった。
幼馴染であり、仕事仲間でもあるマンダルが、真っ赤に焼けた鉄を打っていた。
「おう、アーノル。……行くんだってな」
マンダルは鎚を止め、汗を拭いながら俺を見た。
「ああ。マンダル、今まで俺の無理な注文に付き合ってくれてありがとうな。お前がいなきゃ、ポンプも作れなかった」
「よせやい。俺も楽しかったさ。お前の図面は、いつだって俺の腕を試してくるからな」
マンダルは照れくさそうに鼻をこすった。
俺はふと、以前から話していたある理論を思い出した。
「そういえばマンダル。この前の『焼き入れ』の話だけど、油の温度管理についてなんだが……」
「え? 今その話する?」
「冷却速度が鋼の硬度に影響するっていう仮説なんだけど、植物油と動物油の粘度の違いを利用すれば、もっと靭性の高い農具が作れるんじゃないかと……」
「お、おいアーノル? 別れの挨拶に来たんじゃねえのかよ」
「いや、レーマネに行ったら新しい金属素材も見つかるかもしれないし、その前に基礎理論を共有しておきたくて。炭素含有量の調整についてだが……」
俺は寂しさを紛らわせるかのように、つい研究熱に火がついて早口でまくし立ててしまった。
マンダルは呆れつつも、職人の顔になって「……詳しく聞かせろ」と身を乗り出してきた。
結局、俺たちは出発直前まで鉄と炎の話で盛り上がってしまった。
これが俺たちらしい別れなのだろう。
鍛冶場からの帰り道、狩人のチャムソンに出くわした。
アサータクの旧友でもある彼に、一緒に行くことになったと伝えると、彼は背負っていた獲物を下ろしてニカっと笑った。
「そうか! アサータクの奴と行くか。あいつは口は悪いが、面倒見はいい。いい経験になるぞ」
「はい。向こうで珍しい動物を見つけたら、スケッチして送りますね」
「おう、楽しみにしてるぞ!」
チャムソンは豪快に笑い、俺の背中をバンと叩いた。
その足で、農地の方へ向かうと、ドンナとルンナの姉妹が作業をしていた。
「アーノル君……本当に行っちゃうの?」
ルンナが目を潤ませて駆け寄ってくる。
小さい頃から知っている妹のような存在だ。
「ああ。でも、ずっとじゃない。勉強して、必ず戻ってくるよ」
「……体に気をつけてね。無理しちゃダメよ」
姉のドンナは気丈に振る舞っていたが、その手は泥だらけのエプロンを強く握りしめていた。
俺は二人の頭を撫で、「畑を頼む」と告げた。
そして、シニカの家。
「ふん。どうせすぐに根を上げて逃げ帰ってくるのがオチだろ」
シニカは馬のブラッシングの手を止めずに、背中越しに冷たく言い放った。
「都会の商人に騙されて身包み剥がされても、泣きついてくるんじゃねえぞ。その涙は畑の肥料にもなりゃしねえからな」
相変わらずのひねくれた激励だ。
しかし、その愛馬の毛艶はいつも以上に丁寧に整えられていた。
「お土産、期待してますね。珍しい馬具とかあったらよろしく」
息子のトニカは抜け目なくねだってきた。
俺は『ミネラル・ブロック』の作り方を記したメモを彼らに渡した。
これで俺がいなくても、馬たちの健康は守られるはずだ。
そして、出発の朝。
家の前には、アサータクの馬車が停まっている。
「にぃに……」
ケニが、涙をこらえて俺を見上げている。
ロバーソンの前では乙女の顔を見せる彼女も、今は甘えん坊の妹の顔だ。
「ケニ。父さんと母さんを頼んだぞ。それと、ロバーソンへのアタックもほどほどにな」
「う、うん……。にぃにも、ちゃんとご飯食べてね。変なもの研究して爆発したりしないでね」
「善処するよ」
俺はケニを抱きしめ、頭をポンポンと叩いた。
【魅力】のスキルを持つ自慢の妹。
俺がいない間に、変な男が寄ってこないか心配だが、そこはロバーソンが追い払ってくれるだろう。
「じゃあ、行ってくる!」
俺は努めて明るく声を上げ、馬車に乗り込んだ。
動き出す馬車。
窓から見える家族の姿、そして見送りに来てくれた友人たちの姿が小さくなっていく。
こうして、俺は生まれ育ったクルム村を後にした。
揺れる馬車の中で、俺は前を向いた。
新しい世界、新しい知識。
そして、心の傷を癒やすための旅が始まる。




