74. 筋肉の餌付けと、商人の誘い
それから、俺は三回ほど隣町へと足を運んだ。
名目はあくまで『ミネラル・ブロック』の補充と、効果の確認だ。
成果は上々だった。
ゴズの牧場の馬たちは、ブロックを舐めるようになってから異食行動がピタリと止まり、毛艶も見違えるように良くなっていた。
「……また来たの」
三度目の訪問時、ユーイは呆れたように、しかし口元には微かな笑みを浮かべて俺を出迎えた。
彼女は芯の強い性格をしており、時折気性の荒い面も見せるが、根は人情に厚い。
最初は警戒されていたが、馬のためになると分かってからは、少しずつ距離が縮まっているのを感じる。
「減り具合の確認だよ。それに、新しい配合のサンプルも持ってきた」
「ふふ、熱心ね。……でも、助かってる。あの子、最近すごく落ち着いてる」
ユーイが愛馬の首を撫でながら微笑む。
作業着の袖をまくり、汗を拭うその姿は飾らない美しさがあった。
俺たちは並んで柵にもたれかかり、馬たちがブロックを舐める音を聞きがら、他愛のない話をした。
「アーノル君って、本当に物知り。木こりにしておくのは勿体ないくらい」
「ただの趣味だよ。……それに、ユーイさんの管理が行き届いているからこそ、効果が出るんだ」
「……」
ユーイは軽く俺の肩を小突いた。
その力加減が、以前よりも少し遠慮のない、親しいものに変わっている気がして、俺は心の中で小さくガッツポーズをした。
そんな充実した(不純な)日々の帰り道。
俺は借りていた馬車を返すため、シニカの家へと立ち寄った。
「おう、戻ったか。馬は無事だろうな」
シニカが馬の脚を入念にチェックしながら憎まれ口を叩く。
「無事も何も、行きより元気ですよ。向こうでいい草を食わせてもらいましたから」
「ふん。ゴズのところの草なんぞ、たかが知れてる。うちの干し草の方が百倍マシだ」
「はいはい。でも、ゴズさんも『シニカの馬は見立てがいい』って褒めてましたよ」
「……あぁ? あの筋肉ダルマがそんな殊勝なことを言うわけねえだろ。嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ」
シニカは鼻で笑ったが、その手つきは少しだけ上機嫌に見えた。
扱いやすい人だ。
俺は苦笑しながらシニカの家を後にした。
自宅へと続く夜道を歩いていると、向こうから大きな影が歩いてくるのが見えた。
以前よりも背が伸び、体つきが一回り大きくなっている。
鍛え抜かれた鋼のような筋肉が全身を覆っていた。
ロバーソンだ。
「よお、ロバーソン。奇遇だな」
「……アーノルか」
ロバーソンは足を止め、無愛想に頷いた。
「こんな時間にうちの方へ来るなんて珍しいな。何か用か?」
「いや。ケニが『新作が出来たから食いに来い』と言うのでな」
即答だった。
どうやら、前回の特製ジャーキー以来、彼は完全にケニによって胃袋を掌握されたらしい。
「そうか……。まあ、あいつの料理は悪くないからな」
「ああ。食うと力が湧く」
俺たちは並んで歩き出した。
沈黙が続くが、気まずさはない。
「そういえば」
ロバーソンが前を向いたまま口を開いた。
「最近、朝の訓練に来ないな」
「ああ……ちょっと今は、立て込んでてな」
俺は言葉を濁した。
「そうか。お前がいない間に、グレンも朝練に来るようになったぞ」
「へえ、グレンが?」
グレン。
農業スキルを持ちながら自警団に憧れ、剣を磨き続けている少年だ。
一度は俺が無理だとなだめたこともあったが、彼の決意は揺るがなかった。
「ああ。相変わらず動きはぎこちないがな。だが、メイシーがお前に教わったように、体の使い方をあいつにやらせている」
「メイシーが教官役か。それはいいな」
「悪くない。グレンのやつ、不器用だが根性はある。少しずつだが形になってきた」
ロバーソンの声には、仲間が増えたことへの微かな喜びが滲んでいた。
「……お前は、もう来ないのか?」
ロバーソンがチラリと俺を見た。
俺は苦笑いして首を振った。
「まさか。しばらくはこの『研究』にかかりきりになるけど、落ち着いたらまた顔を出すよ。俺だって鈍りたくはないしな」
「ならいい。……待っている」
短く言い捨て、ロバーソンはまた前を向いた。
家に着き、扉を開けると、意外な客の姿があった。
「おや、お帰り。噂の若き発明家さん」
テーブルに腰掛け、ガリオンや母さんと茶を飲んでいたのは、商人のアサータクだった。
「アサータクさん? どうしてここに」
「にぃに、お帰り! あ、ロバーソン君!」
俺が尋ねるより早く、台所からケニが飛び出してきた。
そして、俺には目もくれずロバーソンの腕をガシッと掴む。
「待ってたよ! ほら、こっちこっち! 今日のはすごいよ、スタミナ満点の特製シチュー!」
「む……それは期待できるな」
「でしょでしょ! 行こう!」
ケニは有無を言わさず、鋼のような体のロバーソンを台所の方へズルズルと引きずっていった。
まさに拉致である。
ロバーソンも抵抗する気配が全くない。
「……相変わらず賑やかだねえ」
アサータクが可笑しそうに笑った。
俺はため息をつきつつ、アサータクの向かいに座った。
「それで? 今日はまたどういう風の吹き回しですか」
「何、君がまた面白いものを作って、木こりも休んでいると聞いてね。様子を見に来たんだよ」
アサータクの目が光った。
情報は早いらしい。
「大したもんじゃありませんよ。ただの馬用の飴玉です」
「ほう? 馬飼いのシニカが唸るほどの飴玉か。君の『ただの』は信用できないからね」
アサータクは茶を一口啜り、それから少し声を潜めた。
「まあ、今日は世間話半分、誘い半分だ」
「誘い?」
「ああ」
アサータクはニヤリと笑い、俺の顔を覗き込んだ。
「アーノル。俺とちょっと、レーマネまで行かないか?」
レーマネ。
それは、西の商業都市国家だ。
俺は思わず眉を上げた。
「レーマネへ? 俺がですか?」
「そうとも。君に見せたいものがあるし、君のような人間に、一度広い世界を見てほしいと思ってね」
アサータクは穏やかに言ったが、その瞳の奥には、単なる親切心だけではない光が宿っていた。
この少年には才能がある。
発明家としてだけではない。
物事の本質を見抜き、人を動かす力。
アサータクは密かに考えていたのだ。
このアーノルという原石を、ゆくゆくは自分の片腕――あるいはそれ以上の商人として育て上げられないかと。
俺はその視線の意味をまだ知らず、ただ未知の都市への興味に胸を躍らせていた




