73.恋する妹と、筋肉への差し入れ
隣町から帰還した俺は、上機嫌だった。
鼻歌交じりに馬車を返し、家に帰ると、玄関で仁王立ちしている小さな影があった。
妹のケニだ。
腕を組み、頬をぷくっと膨らませて、ジト目で俺を見上げている。
「……にぃに」
「うおっ、なんだケニ。玄関で待ち伏せか?」
「顔がニヤけてる。うまくいったんでしょ? ユーイさんに会えて、デレデレしてきたんでしょ?」
「デレデレはしてない! ビジネスパートナーとしての信頼関係を築いてきただけだ!」
「はいはい、そーですか」
ケニはくるりと背を向け、台所へと歩き出した。
「にぃにだけズルい。自分ばっかり幸せになって」
「……ズルいって言われてもなぁ」
まあ、自分だけ幸せになるのもよろしくないか。
俺は苦笑いしながら妹の背中を追った。
「分かったよ。で、ロバーソンに何を渡したいんだ?」
「えっとね、ハンカチとか? お花とか?」
「却下だ」
俺は即答した。
「いいかケニ。相手はあのロバーソンだぞ? 脳みその九割が『槍』で、残りの一割が『筋肉』でできている男だ。ハンカチなんて渡しても『これで槍を拭けというのか?』とか言い出すぞ」
「むぅ……。じゃあ、どうすればいいの?」
「奴が今、一番欲しているものを渡すんだ」
俺は日頃のあいつの行動を思い返した。
日々の激しい訓練。
酷使される筋肉。
消費されるスタミナ。
「ズバリ、『回復』だ」
「かいふく?」
「ああ。激しい運動の後に、素早く疲れを取り、筋肉を修復するための特別な食べ物だ」
俺は台所の棚を漁り始めた。
鶏の胸肉、柑橘系の果物、そしてハチミツ。
これらを使い、現代知識を応用した『特製ハニーレモンチキン・ジャーキー』を作ることにした。
「いいかケニ。これを渡すタイミングが重要だ。訓練が終わって、奴が一番疲れている時……身体が栄養を求めている瞬間に渡すんだ。そうすれば、胃袋と筋肉がその味を記憶する」
「……なんか、餌付けみたいだね」
「似たようなもんだ。男、特に武人は胃袋で掴めと言うだろ」
俺とケニは協力して特製ジャーキーを作り上げ、可愛らしい包み紙でラッピングした。
夕方。
俺たちは自警団の訓練場へと向かった。
ちょうど訓練が終わり、ロバーソンが汗だくになって槍の手入れをしているところだった。
相変わらず、近寄りがたいほどの集中力を放っている。
「……ロバーソン君!」
ケニが駆け寄っていく。
ロバーソンが顔を上げ、ケニに気づくと、その厳めしい表情を少しだけ和らげた。
「ケニか。どうした?」
ぶっきらぼうだが、声色は優しい。
やはりケニの魅力は、この堅物にも多少は効いているらしい。
「あのね、これ! にぃにと一緒に作ったの! 疲れが取れるんだって!」
ケニが包みを差し出す。
ロバーソンは不思議そうにそれを受け取り、中身をつまんだ。
「……肉か? 甘酸っぱい匂いがするな」
彼は疑う様子もなく、それを口に放り込んだ。
モグモグと咀嚼する。
俺とケニは固唾を呑んで見守った。
やがて、ロバーソンが大きく目を見開いた。
「……美味い」
彼は噛みしめるように言った。
「酸味が疲れに染み渡るようだ。それに、噛むたびに力が湧いてくる気がする」
「ほ、本当!?」
ケニがパァっと顔を輝かせる。
「ああ。これなら、明日の訓練も朝から全力でやれそうだ。ありがとう、ケニ」
ロバーソンが、大きく武骨な手で、ケニの頭をポンと撫でた。
その瞬間、ケニの顔が真っ赤に染まり、頭頂部から湯気が出そうになっているのが見えた。
「あ、う、うん! また作ってくるね! えへヘへへへ……」
完全に骨抜きにされている。
魅力の使い手が、逆に魅了されてどうするんだ。
俺はため息をつきつつ、少しだけ笑みがこぼれた。
ロバーソンは「力が湧く」と言ったが、それは栄養のせいだけじゃないだろう。
無口な親友が、大事そうに残りのジャーキーを包み直すのを見て、俺は作戦成功を確信した。
こうして、ガリオン家の兄妹は、それぞれ不純な動機を原動力に、着実に想い人との距離を縮めつつあった。




