69. 凛とした笑顔と、ポンコツな少年
神父との一件を背に、俺たちはさらに街道を進み、やがて隣町ソーコに到着した。
町外れにある放牧地。
そこには、この町の馬飼いであるゴズという男が待っていた。
ゴズは熊のような巨漢で、シニカとは旧知の仲――というか、腐れ縁のライバルらしい。
「よう、シニカ。また痩せた駄馬を連れてきたのか? うちの馬と交換してくれなんて、相変わらず図々しい男だ」
ゴズがニヤリと笑って先制攻撃を仕掛ける。
シニカも負けじと鼻を鳴らした。
「ハッ! 目玉を入れ替えた方がいいんじゃねえか、ゴズ。お前の牧場、遠目に見たらデカいヤギしかいなかったぞ。まさか乳搾りでも始めたのか?」
「なんだとコラ」
「やるかコラ」
二人は至近距離で睨み合った後、示し合わせたように「ガハハハ!」と笑い合って肩を叩いた。
どうやらこれが彼ら流の挨拶らしい。
俺とトニカ、そしてガリオンは呆れてその様子を眺めていた。
「さて、本題だ。交換用の馬を選定してある。おい、ユーイ! 馬を集めろ!」
ゴズが放牧地の奥へ向かって叫んだ。
柵の向こうから、一人の少女が歩いてきた。
年齢は俺と同じくらいか。
作業着に身を包み、髪を後ろでひっつめている。
特別に美しいわけでも、可愛らしいわけでもない。
化粧気もなく、表情は硬い。
ただ、背筋がピンと伸びていて、凛とした空気を纏っていた。
「……はい、父さん」
彼女――ユーイは短く答え、牧草地に散らばる馬たちに向き直った。
「集まって」
彼女が声をかけ、手を叩く。
だが、馬たちの反応はバラバラだった。
彼女の指示を無視して明後日の方向へ駆け出す馬。
一応行くかとのんびり歩き出す馬。
草を食べるのをやめず、ノロノロと顔だけ上げる馬。
統率は取れていない。
シニカが「おやおや」と意地悪く笑いかけようとした、その時だった。
一頭の栗毛の馬だけが、彼女の声を聞いた瞬間に顔を上げ、一直線に彼女の元へと駆け寄ってきた。
他の馬が勝手気ままに振る舞う中、その馬だけが彼女の横にピタリと止まり、鼻先を擦り付けた。
それまで無表情だった彼女の顔が、ふわりと綻んだ。
「……お前は、いい子だね」
彼女は愛おしそうに馬の首を抱きしめ、微笑みかけた。
ドクン、と。
俺の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
凛とした硬い表情が崩れ、花が咲くような柔らかい笑顔に変わった瞬間。
夕日が彼女の横顔を照らし、舞い上がる砂埃さえもが光り輝いて見えた。
時が止まったようだった。
俺の目は、彼女の笑顔に吸い寄せられたまま、動かせなくなった。
(……え?)
分析も予測もできない。
ただ、綺麗だと思った。
「おい、アーノル。お前も手伝え」
シニカの声が遠く聞こえる。
「あ、え、は、はい! 天気! 今日はいい馬ですね!」
「あぁ? 何言ってんだお前」
俺は完全に動転していた。
その後、馬の選別や交換の交渉が行われたが、俺の記憶は曖昧だ。
ユーイが馬を引いて近くを通るたびに、俺は目で追ってしまう。
目が合いそうになると、慌てて空を見上げたり、何もない地面を凝視したりした。
「あの、その馬、脚が……い、いいですね」
勇気を出して話しかけた言葉がそれだ。
自分でも何を言っているのか分からない。
「……ありがとうございます」
ユーイは不思議そうに俺を一瞥し、淡々と作業に戻っていった。
その凛とした横顔を見るだけで、胸の奥が締め付けられるように苦しい。
結局、俺は何の役にも立たず、ただ挙動不審に牧場をうろついただけだった。
その日はゴズの家に一泊し、翌朝、交換した馬を連れて村への帰路についた。
帰り道も、俺の頭の中は昨日の光景で埋め尽くされていた。
あの笑顔。
馬に向けられた、飾り気のない優しさ。
思い出してはため息をつき、空を見上げ、またため息をつく。
馬の歩みさえも、行きより遅く感じられた。
「……アーノル」
隣を歩いていたガリオンが、低く声をかけた。
「な、何?」
俺はビクリと肩を震わせて裏返った声を出した。
ガリオンは前を向いたまま、ボソリと言った。
「惚れたか?」
「ぶッ!!?」
俺は咳き込み、危うく落馬しそうになった。
「な、ななな、何を! 馬鹿な! 俺はただ、その、隣町の牧畜技術の視察に……!」
「右の靴紐、解けてるぞ」
「えっ」
慌てて足元を見るが、解けていない。
「……上の空だ」
ガリオンが珍しく、本当に珍しく、口の端をほんの少しだけ緩めた気がした。
「ち、違いますって! ただ、ちょっと考え事を……」
俺は顔を真っ赤にして否定した。
よりによって、こういうことに一番疎そうな父に指摘されるなんて。
俺の動揺を見透かしたように、ガリオンは再び前を向き、淡々と言った。
「助言はできんぞ」
(……知ってるよ! 期待してない!)
俺は心の中で盛大にツッコんだ。
不器用な父に、恋愛の助言なんて端から求めていない。
村で少しばかり「知恵の回る少年」と持て囃されていた俺だが、今の俺はただの、初恋に慌てふためく十五歳のガキでしかなかった。




