65. 父の背中と不器用な優しさ
バテンの家を出ると、外は冷たい夜風が吹いていた。
空には月が浮かび、俺と息子の足元を青白く照らしている。
俺、ガリオンという男は、器用な生き方ができる人間じゃない。
口下手で、愛想笑いひとつ満足にできず、ただ毎日黙々と斧を振るい、木を切り倒す。
それが俺の人生のすべてだった。
そんな不器用さ故に、若い頃は浮いた話ひとつなく、俺に嫁の来てなどないと思っていた。
だが、見ていてくれる人間はいるものだ。
妻のティプだ。
彼女もまた、病弱だった父親の世話に明け暮れ、婚期を逃していた女だった。
そんな彼女が、なぜか俺の無骨な振る舞いの裏にあるものを「優しい」と言ってくれた。
俺が戸惑っている間に、彼女の方から猛烈に迫られ、気がつけば祝言を挙げていた。
あれは俺の人生で、最初で最後の「予想外の幸運」だったと思う。
いや、もう一つあったか。
隣を歩く、このアーノルのことだ。
こいつは、どこか変わっていたのかもしれない。
だが、俺にとっては初めての子だ。
比較する相手もいなかった。
こんなものなのか、としか思わなかった。
五歳になるまでは、意味の分からない言葉をブツブツと呟いていた。
それが五歳を過ぎたあたりから、訳の分からない言葉はなくなったが、今度は俺には理解できないことを言うことが増えていった。
それでも、俺は何も言わなかった。
理解できないなら、ただ見守ればいい。
それが俺なりの、父親としての在り方だと思っていたからだ。
だが、最近思うことがある。
こいつは、俺たちの想像を遥かに超えている。
村にさまざまな恩恵をもたらし、生活を一変させた。
悲劇もあった。
仲間が死に、血も流れた。
だが、極めつきは金だ。
アサータクが家に飛び込んできて話した内容に、俺は頭が真っ白になった。
バテンを助けるために必要な保釈金、白金貨二十枚足りない。
俺には、1枚さえも用意できない大金だ。
聞いた瞬間、終わったと思った。
バテンは死ぬしかないのだと、絶望した。
だが、息子はそれをあっさりと解決してみせた。
まるで、少し手の込んだ細工物でも作るかのように。
俺は、横目で息子の横顔を盗み見た。
十五歳になり、背も伸びた。
華奢だった肩にも筋肉がつき始めている。
アーノルは、俺の仕事を継ごうとしている。
毎朝森へ入り、俺の背中を追いかけ、斧を振るう。
「木こりになりたい」と口では言うが、俺には分かっていた。
あいつは、俺を尊敬してくれている。
だからこそ、俺が望むであろう「跡継ぎ」という形に応えようとしているのだと。
嬉しいことだ。
涙が出るほどに。
だが、同時に思う。
この小さな村の、ただの木こりという枠に、こいつを押し込めてしまっていいのだろうか、と。
「……アーノル」
家の灯りが見えてきたところで、俺は足を止めずに口を開いた。
「なに? 父さん」
アーノルが不思議そうに見上げてくる。
「他にも、やりたいことがあるんだろう」
俺は前を向いたまま言った。
「え……?」
「俺に気を使うな」
言葉少なに、事実だけを告げる。
「木こりの仕事は、俺一人でも十分回る」
「……父さん、俺は別に、嫌でやってるわけじゃ」
「分かってる」
俺は息子の言葉を遮った。
「やりたいことがあるなら、やれ。木こりは、いつでもやれる。」
俺はようやく立ち止まり、息子の方を向いた。
大きな手で、その頭をガシガシと撫でる。
「お前の帰る場所くらい、俺が守っていてやる」
月明かりの下、アーノルが少し驚いた顔をし、それから苦笑いのような、泣き笑いのような顔をした。
「……うん。ありがとう、父さん」
「ああ」
それだけの会話だ。
多くを語る必要はない。
俺たちはまた歩き出した。
家の扉を開けると、妻のティプが温かいスープを用意して待っているはずだ。
俺の不器用な言葉が、どれだけ伝わったかは分からない。
だが、隣を歩く息子の足取りが、少しだけ軽くなったような気がした。




