60. 帰還
夕闇が迫るクルム村の入り口に、一台の馬車が軋んだ音を立てて止まりました。
作業の手を止め、怪訝な顔で集まってきた村人たちの中から、アーノルとロバーソンが飛び出してきます。
「アサータクさん!」
御者台のアサータクは、疲労の色が濃い顔でニカッと笑い、荷台の幌をゆっくりと開けました。
「……丁重に扱ってくれよ。世界で一番高い『荷物』だ」
アーノルが荷台を覗き込み、息を呑みます。
そこにいたのは、ボロ布のように痩せ細り、土気色の肌をした老人――バテンでした。
「……じい、ちゃん……?」
アーノルの震える声に、バテンがゆっくりと目を開けました。
窪んだ瞳が、懐かしい村の景色と、成長した子供たちの顔を映します。
「……ああ……。帰って、これたか……」
その掠れた声を聞いた瞬間、アーノルの後ろから小さな影が飛び出しました。
「バテンおじちゃん!!」
10歳になったケニでした。
彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、バテンの細くなった体に縋り付きました。
「うあぁぁぁん! よかったぁ……! もう会えないかと思ったぁ……!」
「……おや、泣き虫ケニか。……すまねぇな、心配かけた」
バテンは震える手で、孫のような少女の頭を撫でました。
その手の温かさに、ケニはさらに声を上げて泣きじゃくりました。
その様子を、一歩引いた場所で見つめる男がいました。
父、ガリオンです。
彼は無言のまま、ゆっくりと馬車に歩み寄ると、アサータクに深く一礼し、そしてバテンの方へと向き直りました。
「……ガリオン、か。……随分と、老けたな」
「……あなたこそ」
ガリオンは短く答えると、ふらつくバテンの体を太い腕で支え、荷台から地面へと降ろしました。
その腕に伝わるバテンのあまりの軽さに、ガリオンの奥歯がギリリと鳴りました。
どれほどの苦痛が、この偉大な恩人をここまで削り取ったのか。
ガリオンは何も言わず、ただバテンの肩を強く抱きました。
その強面の瞳の奥には、熱いものが溢れそうになっていましたが、彼はそれを決してこぼすまいと、唇を噛み締め、静かに空を見上げました。
「……おかえりなさい、バテンさん」
ガリオンの絞り出すような声に、バテンは力なく、しかし確かに頷きました。
「ああ……ただいま。……いい匂いだ。俺の、土の匂いだ」
村人たちが歓声を上げ、ロバーソンやメイシーも涙を拭いながら駆け寄ります。
夕暮れのクルム村に、失われた日常が、傷だらけになりながらも帰ってきました。
アーノルは、アサータクと視線を交わしました。
商人は「うまくやっただろう?」と言いたげにウィンクをし、アーノルは小さく頷きました。
(失ったものは大きい。でも……よかった)
家族の涙と笑顔に包まれるバテンを見ながら、アーノルは自らの決断が間違っていなかったことを確信していました。




