58. アサータクの大勝負2
車内には、陶器が触れ合う微かな音だけが響いた。
ハインツは茶を啜り、軽い口調で切り出す。
「……ナバラの連中は鼻が利く。ハイエナみたいな同業者も多い。この図面一つで世界が変わると本気で思うなら、模倣の危険はどうする?」
最大の懸念――模倣のリスク。
だがアサータクは眉一つ動かさない。
「真似をしたければさせればいい。……ただし“同じもの”は作れない」
「ほう?」
「心臓部は構造だけじゃない。革の質、木の繊維、鉄の癖。寸法の“遊び”は紙では写せない。経験がない職人が真似れば、弁は噛み、空気は漏れ、ただの鉄屑になる。現物を分解しても、戻せる者は限られる」
ハインツが喉を鳴らした。
「職人の腕を盾にするか。面白い」
「ええ。彼らが失敗して首をひねっている間に、あなたは市場を押さえられる。それに……」
アサータクはハインツの指輪に目を向けた。
「あなたほどの力があれば、契約で縛るのも容易い。逆らえば商圏から消える。その恐怖は、あなたの周りの者なら骨身に染みているはずだ」
「ククッ……私の名を番犬代わりに使う気か。いい度胸だ」
値踏みは終わった。
ハインツは深く息を吐く。
「……で、いくらだ?」
「白金貨、五百枚」
隣でケイルが息を呑む気配がしたが、アサータクは視線を逸らさない。
ハインツは指で膝を叩き、独りごちる。
「五百、か……大金だが、鉱山の数、この有用性……妥当。いや、安いかもしれんな」
アサータクの心臓が跳ねる。通った。
だがハインツは肩をすくめた。
「とはいえ旅先でそんな現金を積んでいるわけもない。即決はできん」
「なら条件があります」
アサータクは震えそうな膝を拳で押さえ、最後の交渉に出た。
「五十枚まけましょう。計四百五十枚で手を打つ。……その代わり、こいつの待遇を保証してください」
親指でケイルを指す。
ハインツは不思議そうに首を傾げた。
「この男に、白金貨五十枚もの価値が?」
「あります。俺の尻ぬぐいを何年も背負った男だ。ここで救えないなら、俺は商人じゃない」
ハインツは小さく鼻で笑い、懐から革袋を取り出してテーブルに置いた。
「手付として手持ちの白金貨五十枚。残り四百は本店で支払う証文を書こう」
羽ペンが走る。
さらにもう一通、手紙をしたため、ケイルへ渡した。
「それを持って本店へ行け。席を用意しておく」
「は、はいっ……! ありがとうございます!」
ケイルが涙ぐむ中、ハインツは満足げに頷き、アサータクへ向き直った。
「存外、楽しい時間だった。……レーマネに来る時は訪ねてこい。美味い茶を出そう」
馬車が去り、影が見えなくなった途端、アサータクはへなへなと座り込んだ。
背中は冷や汗でびっしょりだった。
「……ぁ……」
ただ、手の中の革袋の重みだけが勝利を告げていた。




