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キングスレイヤー序  作者:
第1章 再誕と観測者

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50. 偶然の回転と、深夜の実験

 マンダルから貰い受けた、トゲトゲした紫色のクズ石。

 アーノルは家族が寝静まった深夜、納屋の作業台で独り、それを眺めていた。


 バテンが連れ去られてから、俺の心にはずっと「諦念」という名の冷たい霧が立ち込めている。この理不尽な世界で、目立つことは死を意味する。だから俺は、もう「変化」を望まないはずだった。

 だが、俺の魂の根底にある「未知への探求心」だけは、どうあっても殺しきれなかった。


「まずは、汚れを落とすか」


 鉱山から出たままのその石は、泥や赤サビのような汚れがこびりつき、くすんでいる。

 アーノルは、母ティプが鍋の焦げ付きや農具の手入れに使っている洗浄液が入った瓶を持ってきた。

 森で採れる酸味の強い木の実の搾り汁に、粗塩を混ぜたものだ。木こりの家では、樹液でベタついた斧やのこぎりを洗うのによく使われる、強力な汚れ落としである。


 アーノルは陶器の小皿にその透明な液体を注ぎ、木箸で紫色の小石を一つ、ぽちゃん、と浸した。

 ……プクプクと小さな泡が出るだけで、特に変化はない。


「汚れが酷くて落ちないな。少しこするか」


 アーノルは箸を置き、指先で直接石をつまんで布で拭おうとした。

 その時だ。


「っ、……」


 石の表面にある鋭利なトゲが、指の腹にチクリと食い込んだ。

 反射的に手を引っ込めるが、指先にはぷっくりと赤い血のたまが浮かんでいる。

 その血の一滴が、ポタリ、と小皿の液体の中へ落ちた。


 その瞬間だった。


 カカカカカッ!!


「うわっ!?」


 静寂を切り裂く激しい音が響いた。

 液体が飛び散り、小石がまるで生き物のように皿の中で暴れ回っている。

 アーノルは慌てて布で皿を覆い、飛散を防いだ。


「……なんだ? 虫でもついてたのか?」


 恐る恐る布をめくる。小石の動きは止まっていたが、液体は少し赤く濁り、渦を巻いた跡が残っている。

 ただの石が、勝手に動くはずがない。


(もう一度だ)


 彼は別の小石を手に取り、再び洗浄液に入れた。まだ血は入っていない。

 ……無反応だ。ただ沈んでいるだけ。

 アーノルはゴクリと唾を飲み込むと、指先の血を絞り出し、意図的に一滴垂らした。

 赤い糸が水に解けた、その刹那――。


 ギャリリリリッ!!


 石自体が猛烈な勢いで回転を始めた。トゲトゲした形状が皿の底に引っかかり、その反動で跳ね回っていたのだ。


「……回ってる?」


 濡れた石をつまみ出すと回転は止まる。再び赤い液につけると、また暴れだす。

 アーノルは額の汗を拭い、息を吐いた。


「間違いない……。この石は、『酸』と『塩』、そこに『血液』が混ざると、勝手に回り出すんだ」


 化学的な理屈は分からない。前世の知識に照らしても、こんなエネルギー保存の法則を無視したような物質は知らない。

 たぶん、血液に含まれる微量な魔力か何かが反応しているのだろう。

 理由は不明だが、目の前の事実は、この石が燃料(酸と塩と血)さえあれば動き続ける「心臓」になり得ることを示していた。


 今は形が歪だから暴れるだけだ。

 だが、もしこれを正確な球体に削ることができたら?

 そして、中心に軸を通すことができたら?


 アーノルの脳裏に、水車も風車もないこの村で、自律して回り続ける車輪のイメージが浮かんだ。


「……マンダルだ」


 アーノルは興奮で震える手で、石を布に包んだ。

 この石を正確な形に削り、制御するには、俺の技術だけでは足りない。信頼できる本職の職人が必要だ。


 明日、鍛冶工房へ行こう。


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