5 使徒見習い
ある夜、ボロ家の固いベッドで、アーノルの脳内に「その時」が訪れた。 脳を揺らす重厚な残響。前世の二日酔いなど比ではない、圧倒的な情報の波動。
「……聞こえるか」
(……管理者さんか。遅いぞ、もう転生して5年も経ってる。伯爵家の話も踏み倒しやがって……!)
アーノルが脳裏で毒づくと、見る者は抑揚のない、だが以前よりわずかに滑らかな、滑るような声で答えた。
「時期を待てとの指示だった。……お前の記憶の濁流で、幼児の脳が焼き切れるのを防ぐためにな。器が整わぬうちに神託を下せば、お前は一生、涎を垂らしながら『仕様変更の報告書』とだけ呟き続ける肉塊になっていたところだ」
「……あ、ありがとうございます……」 嫌なリアルさを伴う説明に、アーノルは思わず感謝を口にした。
「……それと、お前の提案した使徒だが……」 見る者の言葉の端々に、ほんの、針の先ほどのごく僅かな――本人が意識しているかすら怪しいレベルの――「悦び」のような響きが混じった。
「神に報告した。神は『効率的だ。その者を私の使徒として認めよう』と仰せになった。よってお前を正式な協力者とする」
(お、おじさん、今ちょっと嬉しそうだな? 自分じゃ何も決められないくせに、神様に褒められるとこれか) 相変わらず見る者の姿は見えず、表情もわからない。だが、その声の「揺らぎ」だけで、アーノルは彼が「指示を完遂した安堵」に浸っているのを感じ取った。
「だが、正式な使徒になるには、試練をクリアせねばならんと神は仰せだ。今の貴様は、『使徒見習い』となる」
「見習い? ホワイト企業なら試用期間中も給料が出るもんだが」
「黙って聞け。私は伝えるだけだ。……。試練は、後に起こる大きな災いに関わる『一人』を排除すること。……お前が住むこの王国の、第二王子。彼を、王位に就かせないこと。これが下された神託だ」
「第二王子を……? 殺せってことか?」
「……。王位に就かせなければ、生死も方法も問わぬと神は仰せだ。第一王子が王位を継承すればそれで良い。……私はそれを見守り、報告する」
アーノルは呆然とした。 現在の身分は、ウサギの肉を啜るド平民の5歳児。ターゲットは、一国の第二王子。
「……。あのさ、何度も言うけど、俺、伯爵家じゃなくて『木こりの家』にいるんだよ? 王子の王位継承を阻止しろって、難易度の設定間違ってないか? そもそも神様はなんで俺をこんな辺境に……」
アーノルが脳内で不満をぶちまけると、見る者の声は相変わらず無機質なまま響いた。
「……。そんなことはどうでもよい。もう一つ伝えることがある。試練を受けたくなければ受けなくてよいということだ。その場合、使徒にはなれぬが好きに生きよと」
「やらなくても良いのか?」
「神は強制しない」
「やらないと国はどうなる」
「知らん」
「神は困らないのか」
「神は困らん」
「……。わかった、考えておく」
(……。やらなくていいなら、やらないのが一番だ。王族の権力争いに、平民のガキが首を突っ込むなんて自殺行為でしかない。だが、もし第二王子が王位に就いて国が滅茶茶苦茶になったら、真っ先に切り捨てられるのは俺たちみたいな平民だ。その時、俺やケニは無事でいられるのか? 結局、自分の平穏を守るためには、元凶が大きくなる前に芽を摘んでおくしかないってことか。……。あぁ、最悪だ。転生してまで、なんでこんな厄介ごとに巻き込まれなきゃならないんだ……)
アーノルは深く、深く溜息をついた。
「……わかったよ。その試練、一応検討はしてやる。ただし、こっちからも条件だ。俺が必要だと思った時に、お前と連絡が取れるようにしろ。俺の『眼』で見える範囲なんてたかが知れている。王都の状況や王子の性格……お前が知っていることを、俺が必要としたタイミングで教えろ」
「了解した。呼びかければ応答する。私の知る範囲で情報を開示しよう」
見る者の返答は短く、そこに感情の介在する余地はなかった。
意識が現実へと戻る。隣で寝ているケニの寝息を聞きながら、アーノルは天井の染みを眺めた。
(はぁ……、バテンの攻略も、本当はやりたくないんだけどな。偏屈ジジイの相手なんて疲れるだけだ。でも、いざという時の蓄え……『食糧』のツテは持っておかないと、王子以前に冬を越せずに詰む可能性がある。……。仕方ない、動くか)
翌朝。アーノルは昨晩の母の言葉……「バテンは商人の息子と絶縁している」という、あまり触れたくない家庭の事情を思い返していた。
(家庭内トラブルに付け込むなんて最低の気分だけど、背に腹は代えられない。……あーあ、まともな貴族に生まれて、一日中寝て暮らしたかった……)




