43. 砕かれた心
冬の足音が聞こえ始めたある日、村に一台の馬車が滑り込んできた。
かつての活気はなく、泥を跳ね上げながら力なく進むその馬車から降りてきたのは、商人アサータクだった。
だが、その姿に村人たちは息を呑んだ。
質の良かった衣服は泥と血に汚れ、何よりその顔は別人のように腫れ上がっていた。
片目は塞がり、唇は切れてどす黒く変色している。
王都で情報を引き出される際、凄まじい暴力を受けたのは明白だった。
「……アーノル、すまない。俺のせいで、こんなことに……」
アサータクは震える声で絞り出した。
彼が悪いわけではない。
だが、琥珀酒がもたらした希望は、王家の理不尽な暴力の前に無残に打ち砕かれていた。
アサータクは懐から、バテンからの必死の言伝を携えていた。
「バテンからの伝言だ……。『もう酒からは手を引け。これ以上関われば、村ごとなくなるぞ』と……。奴らは、我々のような人間を人間とも思っていないんだ」
アサータクの言葉は、冷たい北風よりも鋭くアーノルの胸に突き刺さった。
アーノルは、自分の小さな手を見つめた。
前世の知識を使い、この村を豊かにしようとした。
それが自分に課せられた「使命」だと思っていた。
だが、その結果はどうだ。
バテンは囚われ、自警団の仲間はゴミのように斬り殺された。
(……この世界は、前の世界のように平和じゃないんだ)
ここは法も倫理も、権力者の気分一つで覆る場所だ。
6歳の子供どころか、大人の自警団が束になっても、あのセハクのような本物の武力の前には赤子も同然だった。
あまりにも強大で、無慈悲すぎる現実。
「にぃに……? おてて、痛いの?」
不安そうに顔を覗き込んできた妹ケニの、汚れのない瞳。
アーノルの心に、冷たい諦念が広がっていく。
復讐や奪還などという野心を抱き続ければ、今度はケニが、父が、母が、その犠牲になる。
(……家族と、このささやかな平和を守る。それだけでいいんじゃないか。これ以上の『変化』は、この村を壊すだけだ……)
これまで燃えていた野心の炎が、すうっと消えていくのを感じた。
アーノルは膝をつき、そっとケニを抱き寄せた。
だが、その背後で。
ずっと黙って話を聞いていたロバーソンの拳からは、床を濡らすほどの血が滴り落ちていた。
野心を捨て、家族を守るために膝を屈したアーノル。
しかし、隣のロバーソンは胸に炎を宿していた。




