29.変わらない表記
砦に戻ると、そこは大騒ぎになった。
アーノルの無事はすぐに村へ伝令が走り、駆けつけた母ティプも泣き崩れた。
その日は伐採作業も早々に切り上げられ、ガリオンはアーノルを背負って村へ戻った。
村人たちは「よく生きて帰った」「山の神様の気まぐれだ」と口々に噂し、アーノルはちょっとした有名人になった。
ちなみに、この世界にはポルム教以外に二つの大きな宗教が存在し、一般の人々はそちらを信仰している。ポルム教は布教活動もせず、ただ森や遺跡を管理するだけの不気味な集団として認知されているため、「ポルム様の加護」などという言葉が出ることはない。
その夜。
自分のベッドに横たわったアーノルは、天井を見上げながら右目に手を当てた。
(……見えたんだよな、未来が)
熊の爪、猪の突進。
死の直前に見た、数秒先の映像。
あれは間違いなく、自分の目が捉えたものだ。
ステータスに変化があるかもしれない。アーノルは目を凝らした。
アーノル(6歳)
【能力】見る力
魔力:F
状態:疲労
「……変わってないな」
能力名は「見る力」のまま。レベル表記もなければ、新しいスキル名が増えているわけでもない。
当然だ。あれは突然変異や進化などではない。
元々持っていた「見る」という機能が、死の淵で極限まで研ぎ澄まされ、時間の僅かなズレすらも「視界」に収めたに過ぎないのだ。
アーノルは、瞼の裏にあの銀色の部屋を思い浮かべた。
森の奥に眠る、超高度なテクノロジーと愉快な管理者。
自分を「マスター」と呼び、絶大な力で守ってくれた存在。
だが。
(……あそこは、駄目だ)
アーノルは冷たい思考で結論を下した。
あのシステムは、ポルム教という巨大な時限爆弾そのものだ。
教団の幹部が出入りし、見つかれば即座に抹殺される場所。
そんな綱渡りのような環境を「秘密基地」として利用することなど、正気の沙汰ではない。
今日のように命の危機が迫れば別だが、進んで関われば、今度こそ破滅する。
あれは「武器」ではない。触れてはいけない「禁忌」だ。
(忘れよう。……少なくとも、今は)
頼れるのは、結局のところ自分自身だけだ。
この「見る力」と、鈍った体。
これを鍛え上げなければ、この過酷な森のそばで生き抜くことはできない。
「まずは基礎体力だな……」
隣のベッドでは、妹のケニが安らかな寝息を立てている。
この平穏を守るためには、危ない橋を渡るわけにはいかない。地道に、確実に強くなるしかないのだ。
アーノルは静かに目を閉じ、泥のように深い眠りへと落ちていった。




