28.帰還と父の涙
銀色の機械蛇がピタリと止まったのは、砦からほど近い、見覚えのある獣道の入り口だった。
『――ここまでです』
頭の中にシステムの声が響くわけではないが、蛇の動きがそう告げていた。
蛇はくるりと身を翻すと、茂みの中へシュルシュルと消えていった。同時に、周囲の気配から漂っていた「絶対的な安心感」――見えない蜘蛛の群れの気配も、潮が引くように森の奥へと去っていく。
アーノルは一人、薄暗い森に残された。
「……はぁ。夢じゃなかったな」
肋骨の痛みはない。体の重さもない。
先ほどまで死にかけていたのが嘘のように、体調は万全だった。
だが、そこでアーノルは自身の姿を見て、ハッとした。
「……まずい」
服は猪に吹き飛ばされた時にあちこち破れ、泥だらけだ。
しかし、その隙間から見える肌は、白くツヤツヤとしており、傷一つない。
さっきの治療ポッドが完璧すぎたのだ。
「巨大な猪に吹き飛ばされて森の奥へ消えた子供が、無傷で帰ってきたら……怪しまれる」
アーノルは即座に行動した。
足元の泥を掬い取り、顔や腕、破れた服の隙間から見える肌に塗りたくる。
さらに、あえて木の枝で腕を軽く引っ掻き、血を滲ませた。
「痛っ……くそ、何やってんだ僕は」
自作自演の演出。だが、これも生き残る知恵だ。
「奇跡的に助かった」のと「ありえない力で無傷だった」のでは、周囲の反応が天と地ほど変わる。
準備を整え、アーノルは息を切らしてフラフラと歩き出した。
わざと足を引きずり、悲壮感を演出する。
「……父さん……」
声を張り上げようとした、その時だった。
「――アーノルッ!!」
森の空気を切り裂くような、悲痛な叫び声が聞こえた。
ガリオンの声だ。
「父さん……! ここだよ!」
アーノルが声を返すと、前方の藪が乱暴に薙ぎ倒され、大斧を持った巨体が飛び出してきた。
その後ろから、チャムソンや兵士たちも続いてくる。
ガリオンは泥だらけのアーノルを見つけると、斧を放り出し、獣のように駆け寄ってきた。
「アーノル!!」
ドスンッ! と強い衝撃。
ガリオンは勢いのまま膝をつき、アーノルを強く、骨が軋むほどの力で抱きしめた。
「無事か……! 無事なのか……!!」
いつもは無口で厳格な父の声が、震えている。
鎧越しの体温と、泥と汗、そして獣の血の匂い。
アーノルは父の背中に手を回し、その震えを感じ取った。
「うん……父さん、苦しいよ」
「おお、すまん……すまん!」
ガリオンは少し体を離し、アーノルの顔を覗き込んだ。
その目には、大粒の涙が浮かんでいる。
「猪に飛ばされたと聞いて……もう駄目かと……」
「すごい運が良かったんだ」
アーノルは、用意していた「嘘」を口にした。
「飛ばされた場所が、ちょうど大きな木の根元の隙間だったんだ。猪は体が大きすぎて入ってこれなくて……。ずっとそこで震えてた。静かになったから、怖かったけど出てきたんだ」
単純だが、この森の巨木の大きさを知る者なら納得できる理由だ。
チャムソンが安堵の息を吐きながら近づいてきた。
「よかったなぁ、ガリオン。この森の根元は天然の要塞みたいなもんだ。精霊が守ってくれたのかもな」
「ああ……本当によかった」
ガリオンは再びアーノルを抱きしめ、今度は子供のように男泣きした。
兵士たちも「奇跡だ」と驚きつつも、胸を撫で下ろしている。
アーノルは父の腕の中で、罪悪感と同時に、別の感情を抱いていた。
(ごめん、父さん。本当のことは言えない。……でも、僕は生き延びたよ)




