21.忘却された「禁忌」
季節は巡り、アーノルは6歳になっていた。
アサータクとの契約は順調に履行されていた。彼が村に来るたびに持ち帰る「本」は、この閉鎖的な世界に生きるアーノルにとって、酸素と同じくらい重要な生命線だった。
歴史、地理、自然科学、工学……。
ジャンルを問わず、手に入る限りの書物をアーノルは貪るように読み耽った。文字通り「乱読」とも言えるその行為によって、彼の脳内にはこの世界の知識が急速に構築されていった。
だが、読み進めれば進めるほど、アーノルの中に巨大な「違和感」が膨れ上がっていった。
(……ない。不自然なほど、どこにも載っていない)
あらゆる分野の本を読んでも、「ある一つの事象」に関する記述だけが、まるで最初からこの世に存在しなかったかのように、綺麗さっぱり抜け落ちているのだ。
「なぁ、おじさん」
ある日、商品の搬入に来たアサータクに、アーノルは何気なく尋ねた。
「色々な本を読んだけど、『魔法』について書かれた本が一冊もないんだ。不思議な力とか、魔力とか……そういうのはないの? あの儀式の光だって、不思議じゃないか」
その瞬間だった。
アサータクの表情が凍りついた。
彼は血の気が引いたように顔を青くし、鋭い視線で周囲を警戒すると、強い力でアーノルの口を塞ぎ、荷馬車の奥へと押し込んだ。
「……っ! 馬鹿野郎!!」
いつもの飄々とした態度は消え失せ、その声は恐怖に震えていた。
「いいか、二度とその言葉を口にするな。……死にたいのか?」
「……え?」
ただならぬ気配に、アーノルは息を呑んだ。
「お前、どこでその言葉を覚えた? ……いや、どこでもいい。とにかく忘れろ」
アサータクは声を極限まで潜め、アーノルの耳元で早口にまくし立てた。
「いいか、アーノル。普通の人間なら、お前が今言った単語を聞いても、意味すらわからねぇだろうよ。とっくの昔に人々の記憶から消え去り、御伽噺の中にすら残っていない概念だ。……一般人は、その存在すら知らねぇんだよ」
「……存在すら、知らない?」
「ああ。だが、俺は商人だ。国を跨いで商売し、裏の事情や各国の危ない噂も耳に入ってくる立場だからこそ『知ってしまっている』だけだ」
アサータクの瞳には、明確な怯えがあった。それは迷信を恐れる子供の目ではなく、実在する強大な権力と暴力に対する、大人の恐怖だった。
「それは『悪しき力』だ。太古の昔、世界を滅ぼしかけた禁忌の業……。そう定義され、歴史から抹消されたんだ」
「誰に?」
「……『ポルム教』だ。奴らは、そういう存在を滅ぼすためにあると言われている。奴らの耳に入れば、ただじゃ済まない。異端審問にかけられて、村ごと焼かれることだってあり得るんだぞ」
アサータクは脂汗を拭いながら、真剣な眼差しでアーノルを見据えた。
「俺のような汚れ役の商人でさえ、この話をする時は震えが止まらねぇ。頼むから、俺の前でも、誰の前でもその話はするな。……知らなくていいことなんだ」
アーノルは無言で頷いた。
アサータクは「わかればいい」と短く言い捨て、逃げるように作業に戻っていった。
(……なるほど。そういうことか)
アーノルは自分の視界の隅に常に表示できる「眼」の情報を確認する。
そこには明確に**【魔力:F】**という項目がある。
自分にも、ケニにも、アサータクにも、この数値は存在する。儀式の光も魔力だった。システムとして「魔力」は確実に存在しているのだ。
だが、社会的には認知すらされていない。
ポルム教という巨大な力によって、情報が統制され、歴史から、そして人々の記憶から意図的に削除されているのだ。
(それを知っているのは、アサータクのような一部の情報通だけ……か)
不気味な空白の理由がわかった。だが、それは同時に「魔力」について調べること自体が、命に関わるリスクであることを意味していた。




