19. 商人の待ち伏せ
翌朝。朝霧がまだ晴れきらぬ中、アーノルはロバーソンと共にバテンの畑へと向かっていた。
「……あ」
隣を歩くロバーソンが、足を止めて小さく声を上げる。彼の視線の先、村外れの道端に、昨日の馬車が停まっていた。
荷台に腰掛け、リンゴを齧っている男がいる。アサータクだ。
昨日は遠目でしか見なかったが、近くで見るとその雰囲気は「若者」のそれではない。顔には旅の砂埃とともに刻まれた年輪があり、世の中の酸いも甘いも噛み分けてきた大人の男の余裕が漂っている。
「よぉ。おはよう、天才児とその護衛役」
アサータクはリンゴを放り投げると、慣れた手つきで馬の首を撫でながら地面に降り立った。気性の荒そうな馬が、彼に撫でられると猫のように大人しくなる。
(……待ち伏せか。昨日の今日で、動きが早いな)
アーノルはロバーソンを手で制し、一歩前へ出る。
「おはようございます、おじさん。……バテンさんの息子さんですよね?」
「ああ、そうだ。だが親父の話はいい。俺が用があるのはお前だ、アーノル」
アサータクは数歩近づき、アーノルの身長に合わせて膝を折った。
「単刀直入に言おう。俺はお前と『商談』がしたい」
子供相手に目線を合わせるその仕草は、どこか面白がるような、珍しい動物でも見るような響きがあった。
アーノルは、即座に「見る力」を発動した。
アサータク(32歳)
【能力】馬
戦闘:D / 頭脳:C / 器用:C / 幸運:B / 魔力:F
状態:健康
(……32歳か。能力は【馬】。戦闘向きじゃないが、幸運Bは高い。それに頭脳Cも、この村の平均より高い上に、32年分の経験値が乗っているはずだ)
幸運が高い商人は、それだけで組む価値がある。
「商談、ですか。僕はお金なんて持ってませんよ」
「金なら俺が持っている。お前が持っているのは『酒』、だろ」
アサータクの言葉に、アーノルは目を細めた。
「……立ち話もなんだ。俺の馬車で話そう。悪いようにはしない」
アーノルは少し考え、頷いた。
「わかった。ロバーソン、一緒来て」
「……うん。絶対、離れない」
ロバーソンは警戒心を露わにしたまま、油断ならない大人の男を睨みつけつつ、アーノルの背後にぴったりと張り付いた。
馬車の中は、外見のボロさとは裏腹に、驚くほど機能的に整頓されていた。揺れを軽減するためのクッションや、荷崩れを防ぐための工夫があちこちに施されている。
アサータクは向かいの席に座り、アーノルたちに干し肉を差し出した。
「昨夜、チャムソンたちから聞いた。あの『酒』を作ったのはお前だとな」
「……神父様には、役人さんが見つけたことにしてくれって言われてますけど」
「建前はいい。あのチャムソンが興奮して喋ったんだ、間違いあるまい。あいつから漏れた以上、もう誤魔化しようがないぞ」
アーノルはため息をついた。口の堅そうな職人たちだが、昔馴染みの悪友相手となれば話は別か。情報源が特定されているなら、シラを切っても無駄だ。
「……わかったよ。で、その酒の話?」
「ああ。あれが量産できるなら、王都や西の国々で確実に売れる。向こうの貴族や商人は美味いものには糸目をつけない。かなりの稼ぎが見込めるぞ」
アサータクの目は本気だった。彼は単なる夢物語ではなく、具体的な販路と利益を計算している。
「結論から言うと、今すぐの量産は無理だ」
「なに? 技術的な問題か?」
「時間だよ。あの酒は、樽の中で寝かせる時間が味を作る。今回のは偶然、保存状態が良かった樽を使ったからできたけど、新しく仕込んだものが本当に美味くなるには、最低でも三年……いや、本当の上物を目指すなら五年はかかる」
「五年……」
アサータクが顔をしかめた。商売において、五年という歳月は永遠に近い。資金を寝かせるリスクは計り知れない。
「……だが、手がないわけじゃない」
アーノルは言葉を継いだ。
「ただ雑味を取って濾過するだけなら、短期間でできる。それなら来年からでも出荷は可能だ。味は落ちるけど、今の濁った酒よりはずっとマシになる」
「ほう……『上澄み』だけを売るわけか」
「そんな感じだと思ってもらっていいよ。来年仕込んだ分を濾過して、まずは試飲してみよう。それがいけそうなら、それを売りながら、一部を長期熟成用として寝かせていく。……どう?」
アサータクは顎をさすり、少し考え込んだ後、ニヤリと笑った。
「悪くない。二段構えか。目先の銭を稼ぎつつ、本命を育てる。……いいだろう、その案でいこう」
「ただ、問題があるんだ」
アーノルは深刻な顔で切り出した。
「それをやると、ライ麦が圧倒的に足りなくなる。村の食料分を確保した上で、酒造り用の麦を捻出しなきゃならない。……今の生産量じゃ、すぐにパンクするよ」
「……なるほどな。麦を買い付けるか、作付けを増やすか……」
アサータクの表情が商人のそれに変わる。
「買い付けなら俺のルートでなんとかなるかもしれんが、輸送費がかさむ。……やはり、親父を動かして収穫量を増やすのが一番か」
「待つ間に、他のことをすればいい。僕には、酒以外にもいくつか『アイデア』がある。この村にはない、でも都会なら絶対に売れるものがね。……おじさんのその馬車、もっと揺れないようにできるって言ったら、興味ある?」
アサータクは目を丸くした。
「……は? なんだその自信は。親父の畑で芋掘りしてるだけのガキが、馬車の構造なんてわかるわけがないだろう」
「わかるよ。……どうする? 僕の思いつきに『先行投資』してみる気はある?」
最初の契約と銀貨の重み
狭い馬車の中で、二人の視線がぶつかり合う。アサータクは、目の前の子供の不遜な態度に呆れつつも、どこか興味をそそられているようだった。
沈黙を破ったのはアサータクだった。彼は懐から革袋を取り出し、そこから一枚の銀貨を取り出してアーノルの前に置いた。重みのある、本物の銀貨だ。
「……面白い。契約成立だ。これは手付金だ」
この村の子供が目にすることはほとんどないような大金。
「とりあえず、お前の『アイデア』とやらを一つ買おう。お遊びの工作だとは思うが、もし万が一それが金になれば、利益の2割をお前に渡す。酒の件も、麦の手配や販路の確保は俺が動く。それでどうだ?」
「1割でいい」
アーノルは即答した。
「……は?」
アサータクが呆気にとられた顔をする。子供が取り分を増やすようねだるなら分かるが、減らせというのは予想外だったらしい。
「欲のないガキだな。1割でいいのか?」
「その代わり、僕が必要とする本や道具を、おじさんが街から確実に調達してくること。……この村じゃ絶対に手に入らない専門書や、特殊な工具が欲しいんだ。それを探す手間賃だと思ってくれればいい」
「……なるほど。金よりも知識と環境か。……いいだろう、1割で手を打つ。欲しいリストを作っておけ、次に来るときまでに揃えてやる」
アサータクは苦笑しながら、分厚く硬い手を差し出した。アーノルはその大きな手を握り返す。
「よろしく頼むよ、パートナー」
「ああ。……まったく、変なガキに捕まったもんだ」
馬車を降りたアーノルは、手の中にある銀貨を強く握りしめた。
(これで、第一歩だ。資金と、外の世界へのパイプができた。32歳のベテラン商人を味方につけたのは大きい)
ロバーソンが心配そうに顔を覗き込む。
「アーノル、大丈夫? あの人、強そうだった」
「ああ、大丈夫だロバーソン。彼とは良い『取引』ができた。これで、もっと面白いことができるようになるぞ」
アサータクは馬車を降りると、アーノルたちに手を振った。
「さて、俺はこれから親父のところに行ってくる。麦の生産量を増やさないと、商売あがったりだからな。……あの頑固親父を説得するのに、お前という『孫のような弟子』の存在を使わせてもらうぞ」
「ずるい大人だなぁ」
「商人は使えるものはなんでも使うのさ」
アサータクはニヤリと笑い、バテンの家の方へと歩き出した。その背中は、新たな商機に燃える男の活気に満ちていた




