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キングスレイヤー序  作者:
第2章 侵食の始まり

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108/191

108. 暴れ馬と商人の手綱

 レーマネの市街地を抜け、石畳の道が土の道へと変わる頃、風の匂いが変わった。

 都市の埃っぽさが消え、青草と乾いた土、そして獣の匂いが混じった野性的な香りが鼻をくすぐる。


「見えてきたぞ。あれが『緑風りょくふう牧場』だ」


 乗合馬車から降りた俺たちの目の前に、見渡す限りの草原が広がっていた。

 緩やかな丘陵地帯を白い柵が延々と囲い込み、その内側で数え切れないほどの馬たちが、豆粒のように散らばっている。


 数百頭……いや、もっとか。

 この一帯の物流を支える馬の供給源だけあって、その規模は圧巻の一言だった。


「こりゃあ凄い。ここなら確かに数は揃いますね」


「噂には聞いていたが、これほどとはな。さあ、行くぞ」


 アサータクさんが慣れた足取りで正門へ向かうと、管理小屋から作業着を着た初老の男が小走りでやってきた。

 日焼けした肌に、人の好さそうな笑顔。この牧場の主だ。


「いらっしゃい! 見ない顔ですが、馬をお探しで?」


「ああ。商人のアサータクという者だ。今日はとびきりの馬を仕入れに来た」


 アサータクさんは愛想よく、しかし隙のない商人の笑みを浮かべて握手を求めた。


「ほう、商人さんでしたか。それで、どのような馬をご希望で?」


「単刀直入に言おう。新しく作った大型馬車を引くための『動力』となる馬が二頭欲しい。並の馬じゃビクともしないような重戦車を引くための、とびっきりの馬鹿力がな」


「ほう、パワー重視ですか。それなら……」


 親父さんは顎をさすりながら、俺たちを牧場の中心部へと案内した。


「こっちの第3エリアがお勧めです。軍馬の血を引く血統書付きや、元々開拓用に使われていた力自慢たちが揃ってますよ」


 案内された柵の中には、筋肉質の立派な馬たちが並んでいた。

 毛艶も良く、手入れが行き届いているのが分かる。


 俺はアサータクさんの後ろで、こっそりと鑑定を発動した。


 種別:馬(鹿毛)

 速さ:C

 頑丈:C

 体力:C

 気性:従順

 能力:なし

(ふむ、アサータクさんの愛馬と同じくらいの優等生だ)


 種別:馬(黒鹿毛)

 速さ:C

 頑丈:C

 体力:B

 気性:温厚

 能力:【忍耐】

(おっ、体力B。一流クラスが混じってるな)


 さすが本命の牧場だ。市場のDランク(一般的)とはレベルが違う。ここなら安心して選べるだろう。

 だが、アサータクさんは腕組みをして、どこか物足りなさそうに首を傾げていた。


「どうです旦那? 悪くないでしょう?」


「ああ、悪くない。……悪くないんだが、ちと『迫力』が足りねえな」


「迫力、ですか?」


「ああ。今度の馬車は『バテン』って言うんだがな、漆黒の鉄と革でできた化け物みたいな図体なんだ。いくらベアリングで軽くなったとはいえ、この優等生たちじゃ、見た目の威圧感で馬車に負けちまう」


 アサータクさんの商人の勘が告げているのだろう。

 バテン号には、普通の「良い馬」では釣り合わないと。


 その時だった。


 ドゴォォォォンッ!!


 牧場の奥、丘の向こうから、何かが激突するような重低音が響いてきた。

 馬のいななきというよりは、猛獣の咆哮に近い声が風に乗って聞こえてくる。


「……なんだ今の音は?」


 俺が尋ねると、親父さんの顔が曇った。


「ああ……お客さん、気にしないでください。あそこは『隔離エリア』です。ウチの在庫処分品を閉じ込めてある場所でして」


「在庫処分? こんな立派な牧場でか?」


「ええ。体格や能力は間違いなく一流なんですがね……気性が荒すぎてどうにもならんのです。くらを乗せようとすれば暴れる、馬車を繋げば破壊する、他の馬を噛み殺そうとする。……近々、ソーセージに加工して出荷する予定でして」


 それを聞いて、アサータクさんは「なるほど、じゃあパスだな」と言おうとした。

 だが、俺の直感が騒いだ。

 バテンにふさわしいのは、そういう「規格外」なんじゃないか?


「親父さん、ちょっと見てもいいですか?」


「えっ? いや、危ないですよ? 柵に近づくだけで威嚇してきますから」


「見るだけです。行きましょう、アサータクさん」


 俺たちは親父さんを説得し、音のした隔離エリアへと足を向けた。


 そこは、牧場の最奥部。

 他の柵よりも二倍は太い丸太で組まれた、厳重な檻のような場所だった。


 その中に、二頭の「黒い影」がいた。


 一頭は、他の馬よりも一回りは巨大な、筋肉の鎧を纏ったような巨体。

 もう一頭は、そんなボスには我関せずといった様子で、柵の支柱をバリボリとかじっている食い意地の塊。


 俺は目を凝らし、ステータスを読み取った。


 一頭目(ボス格の巨大な黒馬)

 速さ:B

 頑丈:B

 体力:B

 気性:凶暴

 能力:【暴君】


 二頭目(柵を食べている馬)

 速さ:C

 頑丈:B

 体力:B

 気性:貪欲

 能力:【悪食】


(……おお、Bランクだ)


 俺は息を呑んだ。

 市場での「D」や、アサータクさんの「C」を見慣れた目には、この「B」の並びが輝いて見える。

 伝説級(A以上)ではないが、現実的な範囲での「最強クラス」と言っていい。

 特に【暴君】と【悪食】というユニークスキル。間違いなく、バテンを引くために生まれてきたような連中だ。


「アサータクさん。あいつらです。あの二頭を買いましょう」


「は? おいアーノル、正気か? あれは馬っていうか、猛獣だぞ? 鞍を乗せただけで発狂しそうだ」


「大丈夫ですよ。僕が何とかします」


 俺は自信満々に前に出た。


 親父さんが「危ないですよ!」と叫ぶのを手で制し、俺は柵の中へと足を踏み入れた。


(……相手は言葉の通じない獣だ。だが、生物としての『格』は理解できるはずだ)


 俺はこれまでの旅で、一国の王族と渡り合い、数々の修羅場を潜り抜けてきた。

 その経験から滲み出る「気迫」を使えば、野生動物を萎縮させることなど造作もないはずだ。


 俺は【暴君】の正面、鼻先が触れる距離まで歩み寄った。

 【暴君】が俺を見下ろし、ブルルッ、と鼻息を荒げる。

 近くで見ると山のような威圧感だ。


「……いい子だ。今日から僕が主人だよ」


 俺はニッコリと笑いながら、ほんの少しだけ――背筋が凍るような威圧感を放った。


 さあ、本能で悟れ。目の前の人間が、お前より強い上位者だと。

 平伏せ。


 ヒヒィンッ!!


 ガブッ!!


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁッ!?」


 激痛が走った。

 平伏すどころか、【暴君】は挨拶代わりに俺の肩に噛みついてきやがった。

 甘噛みではない。本気で肉を食いちぎる勢いだ。


「ちょ、離せ! 離せ馬鹿! 俺はご主人様だぞ!?」


 俺が慌てて腕を振り回すが、万力のような顎はびくともしない。

 気迫? 威圧?

 そんな人間臭い理屈は、この筋肉ダルマには一切通じなかった。「喧嘩を売られたから買った」という単純な反応だ。


「い、痛い! 服が裂ける!」


 俺がもがいていると、今度は後ろから気配がした。

 もう一頭の【悪食】だ。

 助けてくれるのか――と思った瞬間。


 ムシャムシャ。


「……痛い痛い痛い! 髪! 髪はやめろ!」


 【悪食】は俺の後頭部に食らいつき、髪の毛を牧草のように貪り始めた。


「こら! 髪は食べ物じゃない! やめろ!」


 前からは肩を食われ、後ろからは髪を食われる。

 俺は二頭の馬にサンドバッグのように揉みくちゃにされ、泥まみれになった。

 親父さんが顔面蒼白で叫んでいるのが見える。


「……はぁ。見てられねえな」


 柵の外で、アサータクさんが呆れたように深く溜息をついた。


 彼は親父さんから手綱と、穀物が入った木桶を受け取ると、ゆっくりと柵の中へ入ってきた。


「いいかアーノル。獣ってのはな、気迫や理屈じゃ動かねえ。動くのは単純な『利』と『力』だ」


 アサータクさんは、まず俺の髪を食べている【悪食】の鼻先に、桶を突き出した。


「ほらよ、極上の燕麦エンバクだ。柵の木なんかより美味いぞ」


 ブフッ!


 【悪食】は俺の髪の毛をペッと吐き出し、目の色を変えて桶に顔を突っ込んだ。

 ガツガツと音を立てて食らいつく。


「言うことを聞けば、これが腹いっぱい食えるぞ」


 アサータクさんは馬が夢中で食べている隙に、流れるような手つきで手綱を装着し、杭に固定してしまった。

 一丁上がりだ。


「単純なやつだ。で、お前は……」


 次にアサータクさんは、俺の肩を噛んでいる【暴君】の前に立った。

 桶を地面に置く。


 【暴君】は俺を離し、桶に向かおうとした。

 だが、アサータクさんがその前に立ちはだかった。


 ヒヒィンッ!


 邪魔をするなとばかりに、【暴君】が前足を上げ、威嚇する。

 振り下ろされれば骨が砕けるような蹄が、アサータクさんの頭上で踊る。


 だが、アサータクさんは微動だにしない。

 眉一つ動かさず、ただ静かに、冷徹な商人の目で馬を見上げた。


「……暴れたければ暴れろ。だがな」


 アサータクさんの声は低く、重かった。

 それは特別な力ではない。

 長年、荒野で盗賊をあしらい、命がけの商談を制してきた、一人の男としての「胆力」。


「俺についてくれば、お前のその有り余る力に見合った場所と飯をやる。狭い柵の中で腐ってソーセージになるか、広い世界を思う存分走るか。……好きな方を選べ」


 アサータクさんは馬の目を見つめたまま、ゆっくりと手を伸ばし、馬の鼻面を掴んだ。

 そしてグイッ、と自分の方へ引き寄せた。


 力比べではない。

 「俺がお前のボスだ」という事実を、魂に刻み込むような動作。


 一瞬の静寂。

 【暴君】の荒い鼻息が、アサータクさんの顔にかかる。


 ブルルッ……。


 やがて【暴君】は、諦めたように力を抜き、大人しく首を垂れた。

 アサータクさんはその首に手綱をかけ、ポンと首筋を叩いた。


「よし。交渉成立だ」


「……すげえ」


 俺が泥だらけで呆然としていると、アサータクさんはニヤリと笑った。


「伊達に何十年も馬車を引いてねえよ。こいつらは賢い。自分を一番高く買ってくれる相手を理解しただけだ」


 アサータクさんは二頭の手綱をまとめ、牧場主に向かって手を上げた。


「親父さん! こいつらまとめて引き取るぞ! 代金はさっきの半値……いや、迷惑料込みで三割でいいな?」


「へっ!? あ、あの悪魔たちを!? い、いいんですか!?」


「構わん! どのみち肉にするつもりだったんだろう? だったら金になった方がマシなはずだ!」


「あ、ありがとうございますぅぅぅ!!」


 牧場主は涙を流して感謝した。

 厄介払いができた上に金まで入るとあれば、断る理由はない。


 こうして俺たちは、二頭の最強の動力を手に入れた。

 代償として、俺の肩には歯型がつき、後頭部は少し涼しくなったが。


          ◇


 俺たちは二頭の暴れ馬――アサータクさんの手綱捌きのおかげで今は大人しい――を引き連れ、レーマネの工房へと戻った。


 工房の前では、ようやく意識を取り戻したカイルとモイコさんが、日向ぼっこをしていた。


「……あ、戻ってきた」


 カイルがげっそりした顔で俺たちを見る。

 そして、後ろに繋がれた巨大な黒馬たちを見て、頬を引きつらせた。


「おい……すげえデカくて凶悪そうな馬だな……。まさか、そいつらがバテンを引くのか?」


「ええ。最高の相棒が手に入りましたよ。少々気性は荒いですが、パワーは保証します」


 俺は二頭を工房の前の杭に繋いだ。

 【暴君】はバテンの漆黒の車体を見ると、気に入ったのか鼻を鳴らし、【悪食】は早速近くの雑草を食べ始めた。


「さて、カイル。モイコさん。たっぷりと休憩きぜつはとれましたか?」


「……嫌な予感がする言い方だな」


 モイコさんが身構える。

 俺は笑顔で言った。


「アサータクさんの交渉術のおかげで、馬の問題は解決しました。バテンはいつでも走れます。……ですが」


 俺は工房の奥に停めてある、もう一台の馬車を指差した。

 アサータクさんが今まで使っていた、年季の入った幌馬車だ。


「僕たちはチームで旅をします。バテンだけが速くても意味がありません。荷物を積む『二号車』も、バテンと同じ速度で走れるように改造しなければなりません」


 カイルの顔から血の気が引いていく。


「……ま、まさか。あの板バネ地獄を、もう一回やるのか……?」


「要領は分かっているから、今度はもっと早く終わりますよ。それに、モイコさん」


 俺はまだ顔色の悪い運び屋を見た。


「二号車に使う分のベアリングと板バネは、手元にあります。モイコさんが運んでくれた『残り』で足りますからね」


 俺の言葉に、モイコさんの顔に一瞬、希望の光が差した。


 だが、俺は慈悲のない笑顔で続けた。


「ですが……『操舵そうだシステム』の予備がありません。あれは一式しか作ってもらっていませんから。サンデルさんに追加で『もう一式、あの面倒な歯車をお願いします』と頼んで、回収してきてください」


「…………」


 モイコさんは無言で天を仰いだ。


 アサータクさんが、楽しそうに俺の肩を叩いた。


「おいおい、手厳しいな。だが、やるなら徹底的にだ。俺の古女房(二号車)も、バテンに負けない名車にしてくれよ?」


 レーマネの裏路地。

 旅立ちの日はまだ遠い。

 職人と運び屋の、地獄デス・マーチが再び始まろうとしていた。



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