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キングスレイヤー序  作者:
第2章 侵食の始まり

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106/188

106. 鋼鉄の処女航海と、悪夢の再始動

 モイコが持ち帰った最後の部品――ステアリング用のギア一式が組み込まれ、ついにバテンの「足回り」は完成した。


 工房の前には、生まれ変わった漆黒の馬車が鎮座している。

 見た目は以前と変わらない重厚な箱馬車だが、その下回りには、この世界の常識を覆す機構が詰め込まれていた。


 四つの車輪すべてに装備された、独立懸架インディペンデント・サスペンションの板バネ。

 車軸の回転を極限まで滑らかにする、四百個の真球ベアリング

 そして前輪には、従来の「車軸ごと回す」方式ではなく、自動車に使われる「ラック・アンド・ピニオン」を模した操舵そうだシステム。


「……おいおい、本当にこれで動くのか?」


 アサータクさんが、信じられないものを見る目で車体の下を覗き込んでいる。


「車軸が車体に直付けされてねえぞ。バネで浮いてるだけじゃねえか。これじゃあ、曲がった時に遠心力で車体がすっぽ抜けるぞ」

「大丈夫ですよ。横揺れ防止のスタビライザーも兼ねたリンクを組んでありますから」


 俺は御者台に飛び乗った。


「論より証拠です。アサータクさん、乗ってください。カイル、君もだ」

「え……俺も? 嫌だよ、分解したらどうすんだよ」

「君が作ったフレームだぞ。自信を持て」


 渋る二人を乗せ、俺は仮の動力として借りてきた老馬の手綱を握った。

 御者台の横にあるレバー――駐車ブレーキを解除する。


「行きます!」


 手綱を振るう。

 パカッ、パカッ……。

 老馬がゆっくりと歩き出す。


 ゴトッ、ゴトッ……。

 石畳の路面を車輪が噛む音が響く。

 だが、車内は静寂に包まれていた。


「……な、なんだこりゃ?」


 アサータクさんが目を見開いて、自分の尻と座席の間を確認している。


「揺れねえ……。石畳の上だぞ? なのに、まるで湖の上を滑ってるみたいだ……」

「成功ですね。サスペンションが細かい衝撃をすべて吸収しています」


 俺は速度を上げた。

 老馬が駆け足になる。

 普通の馬車なら、ガタガタと激しい振動と騒音に襲われる速度だ。

 しかし、バテンは「スゥーッ」という風切り音だけを残し、滑るように加速していく。


「ベアリングの効果も絶大だ。摩擦が消えたおかげで、馬の負担が段違いに軽い」


 そして、運命の交差点。

 直角に近いカーブだ。


「おいアーノル! 減速しろ! その速度で突っ込んだら転倒するぞ!」


 アサータクさんが叫ぶ。

 従来の馬車は、前輪の車軸ごと向きを変えるため、急ハンドルを切るとバランスを崩しやすい。

 だが、俺は速度を落とさずにハンドル(手綱)を切った。


 ググッ……!


 車体が外側に沈み込む。

 しかし、転倒はしない。

 板バネが強烈な遠心力を受け止め、粘り強く踏ん張る。

 そして前輪は、ラック・アンド・ピニオンのギアによって、必要な角度だけ正確に向きを変えた。


 ズザザザッ!

 タイヤが路面を掴み、バテンは鮮やかな弧を描いてカーブをクリアした。


「……嘘だろ」


 アサータクさんが口を開けたまま固まっている。

 カイルは腰が抜けたのか、床にへたり込んでいた。


「どうですか、アサータクさん。これなら商売に使えますか?」


 俺が振り返って尋ねると、伝説の行商人は震える手で車体を撫でた。


「商売? ……馬鹿を言え。こんなもんで商売なんかしたら、他の馬車屋が全員廃業しちまうぞ。これは『革命』だ」


 アサータクさんは興奮した様子で、前輪の操舵機構を指差した。


「特にこの舵取り(ステアリング)だ! 今までの馬車は、曲がる時に馬が無理やり車軸を引っ張っていた。だがこいつは、車輪だけが勝手に向きを変えてくれる。御者の腕が疲れねえし、小回りが利きすぎる!」

「でしょう? 苦労してギアを設計した甲斐がありました」

「すげえ……。こいつを量産すれば、世界中の輸送が変わるぞ。おいアーノル、予備はあるのか? うちのボロ馬車にも積みたいんだが」


 アサータクさんの言葉に、俺は苦笑して首を振った。


「残念ながら、このギアボックスは高価すぎて、一台分しか発注していません」

「ん? 鉄球と板バネは二台分あるじゃねえか。モイコが死にそうになりながら運んでたぞ」

「玉とバネは構造が単純で、汎用性が高いですからね。もし失敗しても他に使い道があります。だからリスクを恐れずに二台分頼みました」


 俺はもっともらしい顔で嘘をつく。

 本当は、単にギアの図面を引くのが遅れただけなのだが。


「ですが、このギアは専用設計の超精密部品です。もし設計ミスがあったら、作った分が全部ゴミになる。だから、バテンでの性能試験が終わるまでは、二つ目の発注は控えていたんです」

「……なるほどな。さすが慎重だ」


 アサータクさんは納得してくれたようだ。

 俺は工房へ戻り、馬車を止めた。


「さて、性能は証明されました。これでバテンは長旅に耐えられます」


 俺は馬から降り、へたり込んでいるカイルの肩を叩いた。


「カイル、喜べ。バテンの改造は完了だ」

「お、終わった……! やっと、やっと終わったんだな……!」


 カイルが涙ぐみながら立ち上がる。

 だが、俺は満面の笑みで、工房の奥――アサータクさんの古い幌馬車を指差した。


「ええ。ですが、僕たちはチームで旅をします。バテンだけが速くても意味がありません。荷物を積む『二号車』も、バテンと同じ速度で走れるように改造しなければなりません」


 カイルの顔から、一瞬で血の気が引いていく。

 彼はガタガタと震えながら、後ずさりをした。


「……ま、まさか。あの板バネ地獄を、もう一回やるのか……?」

「要領は分かっているから、今度はもっと早く終わりますよ。それに、安心してくれ」


 俺は工房の隅に積まれた木箱を示した。


「二号車に使う分の『ベアリング(玉)』と『板バネ』は、手元にあります。モイコさんが運んでくれた『残り』がそのまま使えますからね」

「…………」

「サスペンションの組み込みだけなら、数日で終わるでしょう。ステアリングのギアはまだありませんから、まずは足回りだけ固めましょうか」


 カイルは白目を剥いて、その場に卒倒した。

 どうやら嬉しすぎて気絶したらしい。


「やれやれ、根性がないな。……さて、アサータクさん」

「おう、なんだ?」

「馬車は仕上がりましたが、肝心の動力が貧弱です。この老馬じゃ、バテンの性能を半分も引き出せません」


 俺はカイルとモイコが眠る工房を背に、アサータクさんに向き直った。

 この悪魔的な馬車を、フルスピードで牽引できる怪物が要る。


「行きましょう、アサータクさん。バテンにふさわしい、最強の馬を買いに」

「ハッ、違いねえ。とびきり凶暴なやつを見繕ってやるよ」


 俺たちは気絶している二人を「休憩中」ということにして、レーマネの家畜市場へと足を向けた。

 嵐の前の、最後の静けさだった。


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