表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キングスレイヤー序  作者:
第2章 侵食の始まり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/188

105. モイコの死の行進と、名匠の臨界点


 モイコが板バネを求めてターマインへ走ってから、数日が過ぎた。


 レーマネの工房では、俺とカイルが、到着するバネを組み込むための土台作りに追われていた。


 カイルは完全に職人の顔になっていた。

 休憩のたびに「あのツルツルの玉が入るんだ、半端な枠組みじゃ失礼だ」と呟き、一度は完成としたフレームの微調整を繰り返している。


 そして――約束の期限ギリギリ、六日目の深夜。


 工房の扉が、重々しく叩かれた。


「……戻ったぞ……」


 扉を開けると、そこには泥人形のように変わり果てたモイコが立っていた。

 もはや「走ってきた」というより「地面を這ってきた」ような有様だ。


「モイコさん! 大丈夫ですか!?」


「……水……水をくれ……。あと、馬のケツは見たくねえ……」


 モイコは木箱を俺に押し付けると、そのまま床に崩れ落ちた。


 木箱の中には、二十四枚の板バネが整然と収められていた。

 すべてが均一なカーブを描き、黒く美しい光沢を放っている。


「すげえ……。全部、同じ形だ……」


 カイルが震える手で一枚を取り出す。

 重ねてみても、紙一枚の隙間すら生まれない完璧な精度。


「よし、カイル。すぐに組み込もう」


 俺たちはモイコを工房の隅で寝かせ、夜通し作業を続けた。

 車軸の上に板バネを重ね、U字型の金具で固定する。


 朝日が昇る頃、すべての車輪にサスペンションが装着された。


「……試してみるぞ」


 俺とカイルは、車体の四隅を持ち、せーので体重をかけた。


 ググッ……スゥッ。


 今までなら「ガツン」という硬い衝撃が返ってくるはずの感触がない。

 車体は柔らかく沈み込み、そしてゆっくりと元の位置に戻った。


「……嘘だろ?」


 カイルが自分の手を見つめて呆然としている。


「浮いてる……。まるで、水に浮かべた小舟を押してるみたいだ……」


「成功だ。これなら、石畳の凸凹なんて無いのと同じだ」


 俺が満足げに頷くと、カイルは泣きそうな顔で笑った。


「あんた、天才かよ……。こんな乗り心地、王様の馬車だってありえねえぞ」


 カイルの目には、完全に火が灯っていた。

 もう彼は、ただの修理屋ではない。歴史を変える「製作」の一員だ。


 だが、まだ終わりではない。


 俺は新しい手紙を書き上げ、工房の隅で死体のように眠る男を揺り起こした。


「……モイコさん。起きてください」


「……あァ? ……ここか天国か……?」


「まだレーマネです。そして、これが最後の往復です」


 俺が差し出したのは、三枚目の白金貨と、分厚い封筒。


 モイコは虚ろな目でそれを見つめ、乾いた笑いを漏らした。


「……三回目、か。確認するが、これが本当に最後なんだろうな?」


「ええ。この部品が揃えば、基本構造は完成します。作戦名は『死の行進デス・マーチ』です」


「……不吉な名前をつけやがって」


 モイコはよろめきながら立ち上がり、白金貨を握りしめた。


「いいだろう。地獄の底まで付き合ってやるよ。……ただし、帰ったら最高級の酒と、一ヶ月の休暇を寄越せよ」


「約束します」


 モイコは背中で手を振り、再び馬上の人となった。

 その背中は、疲労困憊してはいるが、プロの傭兵としての意地が張り詰めていた。


          ◇


 ターマイン・サンデル工房。


 四十八枚の板バネを打ち終え、サンデルは廃人のようになっていた。

 だが、地獄のような単純作業から解放された安堵感で、久しぶりに熟睡していた。


 そこに、あの「死神」が現れた。


 前回よりもさらに生気を失い、もはや怨霊の域に達したモイコが、無言で木箱と手紙を置いていったのだ。


 サンデルは震える手で手紙を開いた。


『板バネ、最高でした! カイルが泣いて喜んでいましたよ。

 さて、いよいよ大詰めです。最後にお願いしたいのは「操舵そうだシステム」の心臓部。

 前輪を滑らかに動かすための特大ベアリング一式と、精密に噛み合う平歯車ラック・アンド・ピニオン、そしてそれを繋ぐ強化軸。

 図面を同封します。「遊び(クリアランス)」は一切許されません。

 これが終われば、第一期工事は完了です。』


「…………ぎゃ、ははははははははッ!!!」


 手紙を読み終えたサンデルの口から、乾いた笑いが溢れ出した。


 怒りを通り越し、脳のどこかのたがが完全に外れた音だった。


「歯車だと!? 遊びは一切許さないだと!? あのクソガキ……ついに俺を時計師扱いし始めやがったかぁぁぁ!!」


 サンデルは狂ったように笑いながら、作業台に同封された精密な図面を広げた。


 そこには、中世レベルの鍛冶屋技術では到底不可能に近い、複雑かつ精密な操舵機構のパーツが描かれていた。

 ミリ単位どころか、髪の毛一本分のズレも許されない世界。


「面白い……。やってやろうじゃねえか! 歴史に刻むだと? 結構だ! この俺を殺し損ねたことを、あの世で後悔させてやる!!」


 サンデルは傍らにあった水瓶を頭から被ると、もはや自分の腕ではないかのように動く槌を振り上げた。


「おい、死神! 炭が足りねえ! 白金貨を全部炭に変えてこい! 炎が足りねえんだよ!!」


 モイコは返事をする気力もなく、工房の隅で意識を失った。


 その後、ターマインの街の人々は、二昼夜にわたってサンデルの工房から響き続けた、地獄の底を叩くような異様な槌音を、生涯忘れることはなかったという。


          ◇


 六日後。


 レーマネの工房で待つ俺たちの元に、最後の部品が届いた。


 モイコは馬から転がり落ちるようにして帰還し、そのままピクリとも動かなくなった。


……だが、その手にはしっかりと、油紙に包まれた歯車とベアリングが抱えられていた。さらにその下には、無理やり括り付けられた板バネ二十四枚がある


「……よくやった、モイコさん。あなたは最高の運び屋だ」


 俺は動かなくなったモイコに敬意を表し、カイルと共に最後の木箱を開けた。


 中には、怪しいほどに黒光りする、精巧なギアパーツが鎮座していた。


「……こいつは、俺がいじっていい代物なのか?」


 カイルがゴクリと喉を鳴らす。


「ああ。これを組み込めば、バテンは完成だ」


 俺たちは工具を手に取った。

 長い、長い改造の旅が、ようやく終わろうとしていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ