100. 商人の性と、技術屋の視点
翌日、俺たちがレーマネに入ったと知るや、ケイルは間を置かず宿に現れた。
「契約はまとまった。これが証文だ。確認してくれ」
俺は受け取って目を走らせた。文言は簡潔で、条件も取り決めどおり。罠になる条項も見当たらない。
「問題ない」
それだけで話は終わった。ケイルは次の予定が詰まっているらしく、挨拶もそこそこに部屋を後にした。
ケイルの話も終わり、ハインツ商会での契約も終えて、気を良くした俺たちはレーマネの市場を歩いていた。
懐には白金貨50枚。
さらに商会には300枚もの莫大な資金が預けられている。
この旅の主目的は俺の見聞を広めることだが、根っからの商人であるアサータクに「ただの観光」ができるはずもなかった。
「……おいアーノル、あの香辛料を見たか? サマラならあれの倍の値段で売れるぞ。それにあの絹織物、あれはナバラの貴族が好む柄だ」
アサータクの目が、獲物を狙う猛禽類のようにギラついている。
目の前に商機があり、懐に資金がある。
商売っ気を出すなという方が無理な話だろう。
「これも勉強だ。サマラへ向かう馬車の荷台を空にしておくなんて、商人の恥だからな。限界まで積み込むぞ」
「商売っ気を出すなとは言いませんけど……そしたらガウスさんたちはどうするんですか?」
俺が尋ねると、アサータクはキョトンとした。
「どうするって、歩きに決まってるだろう」
「サマラまでずっと?」
「当たり前だ。傭兵ってのはそういう生き物だ。馬車の速度に合わせて歩き、周囲を警戒する。馬に乗るのは指揮官クラスか、緊急時くらいだ」
この世界の常識ではそうらしい。
だが、俺は首を横に振った。
「非効率です。疲労は判断力を鈍らせる。いざという時に万全で戦ってもらうためには、彼らにも移動手段を用意すべきです」
「……お前、甘いこと言うなぁ」
「それに、荷物を満載にするなら今の馬車一台じゃ足りないでしょう? もう一台、買いましょうよ」
俺の提案に、アサータクは渋い顔をした。
「馬車は高いぞ? 維持費も馬の餌代も倍になる」
「資金ならあるじゃないですか。俺が出しますよ」
「……チッ。白金貨を持つと金銭感覚が狂うな」
アサータクは腕を組み、少し考え込んでから言った。
「まあ、見るだけ見てみるか。買うかどうかは物を見てからだ」
結局、アサータクは商売の拡大という餌に釣られ、俺たちは馬車売り場へと向かうことになった。
◇
レーマネの馬車売り場は、広大な敷地に大小様々な馬車が並んでいた。
小型の二輪馬車から、長距離用の四輪幌馬車、貴族用の豪華な箱馬車まで、ありとあらゆる種類がある。
「ふむ、悪くないな。あれなら積載量は十分だ。サマラまでは基本的に平坦な街道が続く。速度よりも積載量重視で選ぶべきか……」
アサータクは商人の目で、積載量、耐久性、コストパフォーマンスを吟味し、次々と馬車を見て回っている。
一方、俺の視点は違った。
「……ふうん。ここって、こういう仕組みなのか」
俺は馬車の周りを回るだけでなく、地面に這いつくばって床下を覗き込んでいた。
「お客様? ど、どうされましたか?」
店員がギョッとして声をかけてくる。
俺は立ち上がり、泥を払いながら尋ねた。
「この車輪の軸、ただ鉄の棒が通ってるだけですよね? これだと擦れてすぐに熱くなったり、動かしにくくなりませんか?」
「え? あ、ああと……ですから定期的に車輪を外して、油を塗る形になりますが……」
「それじゃ手入れが面倒だなぁ。もっとこう、滑りを良くする玉みたいなのを挟めないかな」
俺は首を傾げ、別の馬車の車体と車輪の繋ぎ目を指さした。
「それに、ここ。革ベルトで吊ってるだけですよね? これだと石を踏んだだけで荷台が凄く跳ねそうですね」
「はぁ、まあ馬車とはそういうものですが……」
「ここになんか、こう、しなる鉄板を何枚か重ねたやつを挟めば、衝撃を吸収して乗り心地が良くなる気がするんですけど」
店員は口をパクパクさせている。
客が気にするのは大抵、デザインや広さ、値段だ。
車軸の摩擦や、乗り心地を改善するための構造の話をする客など見たことがないのだろう。
「ねえ、この馬車を作ってるのはどこ? この裏の工房?」
「は、はい。この裏手に我々の職人がおりますが……」
「ここを少し弄りたいんだけど、職人に頼めるかな? 車軸周りと、この揺れを抑える部分を改良したいんだ」
「か、改良……車軸周りを? すみません、そんな注文は今まで……親方に聞いてみないと……」
俺が店員を質問攻めにしていると、背後から重い溜息が聞こえた。
「……おいアーノル」
振り返ると、アサータクが額を押さえて立っていた。
その顔には、ありありと「嫌な予感」が浮かんでいる。
「お前、また始まったな? その『職人の目』はやめろ。ただ移動手段を買うだけだろうが」
「いやいやアサータクさん、見てくださいよ。馬が可哀想ですよ。もっと楽に、たくさんの荷物を運べるようにできるはずなんです」
俺はニヤリと笑った。
「アサータクさん、ここにある完成品をそのまま買うのはやめましょう。裏の工房に行ってみませんか?」
「……はぁ。やっぱりそうなるか」
アサータクは天を仰いだ。
彼の脳裏に蘇ったのは、ターマインでの悪夢のような半年間だ。
俺が「錆びない鉄」を作ると言い出し、骨の灰と酸のスープを煮込み続け、偏屈な鍛冶師サンデルと共に工房に引き籠もったあの日々。
あの時と同じ顔をしている。
俺が何かにこだわり始めた時、それは大抵、面倒だが画期的な何かが生まれる前触れなのだ。
「いいか、出発は大幅には遅らせねえぞ。……行くぞ、その工房とやらへ」
諦めたように歩き出すアサータクの後ろで、俺はワクワクしながら店員に案内を頼んだ。
既存の馬車にはない快適さと機能性。
俺の頭の中には、なんとなくではあるが「もっと良くできそうな形」が浮かび始めていた。




