1. 眼との契約
意識の深淵で、その声は響いた。
「聞こえるか。……おい、聞こえていないのか」
霧の中に閉じ込められたような感覚。自分の輪郭すら掴めない暗闇の中で、呼びかける声だけが妙に耳に付く。
(……なんだ? 誰かが呼んでる。死んだはずなのに、これじゃ寝坊した朝に無理やり叩き起こされてるみたいだ……)
「な、なんだ……」
かろうじて絞り出した声。意識が急速に凝集し、自分が「田中広司」という人間であったことを思い出す。同時に、周囲の異常さが鮮明になった。そこは何もない無の空間。形もなく、色すらない。その「虚無」そのものが、巨大な意思を持って自分を覗き込んでいた。
「ここはベルゴイル星の管理区画だ。私はこの星の『見る者』だ」
声の主は、事務的な冷徹さで事実を告げた。 手違いで迷い込んだ他星の魂。本来なら消去すべきゴミだが、前例がないから一度この世界で生かし、天寿を全うした後に「洗浄」にかけるという。
(待て。洗浄ってなんだ、魂の洗濯か? 汚れ物扱いかよ……。それに、なんの保証もなしに知らない世界へ放流か?)
「……私はどうなるのでしょうか。ただ放り出されても、生きていける自信がありません」
「それがどうした。お前はただ、そこで生きればいい」
一刀両断。慈悲の欠片もない。広司は直感した。この「見る者」は、極めて有能だが、血の通わないマニュアル通りの存在だ。
(こいつ、仕事はできるんだろうけど、融通が利かないタイプだ。……いいか、落ち着け。こういう手合いには「理屈」で攻めるしかない)
「……あなたや神は、この世界に干渉することはないのか?」
「……一度だけあった」
見る者は、重い口を開いた。 かつて、大陸を統一した王が不老不死を求め、人々の血を煮詰めようとした。神はそれを止めるよう命じたが、見る者は「見る」ことしかできず、具体的な指示がないまま傍観を続けた。 太陽が眩しい者は悪魔だ、体に黒子がある者は悪魔だ――。そんな狂った王の布告により、密告と拷問が繰り返され、人口の三割が失われた。
「神から現状を問われ、報告した。神は、あれは失望だったのだろうか、『そうか』と一言言ったきり去っていかれた」
(……マジかよ。有能な無能かよ。神様もそりゃ愛想を尽かして帰っちゃうわ)
その後に神が再び現れ、誰に何をいつ言うのかと細かく神託をするように見る者に指示して何とかその王は討たれて事態が収まったそうだ。
なんとも恐ろしい指示待ち振りである。
「それなら、私と協力関係を結びましょう。あなたが情報を集め、神託として私に降ろす。私はそれを現場で実行する。……神に再び失望されないために、私があなたの『手足』になりましょう」
「協力……。ふむ、良いだろう」
交渉成立。驚くほど即答だった。広司は確信した。こいつ、実は相当「神からの評価」を気にしている。
「では、能力を。サバイバルには強力な力が必要です」
「私にそんな力はない」
(……は? ないの? 何その自信満々な『ない』は。少しは申し訳なさそうにしろよ!)
「見る者というからには、見る力はあるはずだ。それを与えられないか試すだけでもして欲しい」
「試すだけなら良いだろう。……ふむ、力の一部は与えられたようだ。性質を見抜く眼。お前が見たいものをいくつか見れるだろう」
実感はないが、視界の裏側が熱い。
「それと、境遇も大切なんだ。王族は面倒なことになりそう。……伯爵家の、家督争いに巻き込まれない次男あたりの立場で」
「よかろう。行け」
面倒になったのかこちらの言葉が終わる前におざなりな言葉とともに意識が急激に吹き飛ばされ始める。広司は最後に、一言付け加えた。
「このこと、ちゃんと神様に報告しておいたほうがいいーーー」




