壊れかけの祈り
修道院の鐘の音は、いつも静かだった。
戦争が終わったわけではない。
ただ、この場所だけが――まるで世界から切り離されたように、穏やかな顔をしている。
ルカは、その鐘の音が嫌いだった。
優しすぎるからだ。
*
ルカが修道院に運ばれてきたのは、冬の終わりだった。
血と煤にまみれ、声も出せず、ただ生きているだけの“残骸”。
修道女たちは最初、彼が男だと気づかなかった。
「……かわいそうに」
「また、戦争孤児ね」
その言葉に、ルカは何も感じなかった。
泣く理由も、怒る理由も、もう残っていなかったからだ。
両親が殺されるのを見た。
兄弟が、友達が、次々と死んでいくのを見た。
――助けられなかった。
その事実だけが、胸に沈殿していた。
*
修道院での生活は、静かだった。
祈り。
労働。
食事。
誰もルカを責めなかった。
誰も、過去を聞こうともしなかった。
それが、逆につらかった。
夜になると、ルカは礼拝堂に向かった。
誰にも見られないように。
神に、祈るためではない。
――吐き出すためだ。
「……なんでだよ」
祭壇の前で、ルカは呟く。
「なんで、俺だけ生きてる」
声が、震える。
「助けてくれって……祈っただろ」
拳が、震えながら床に落ちる。
「なのに、誰も……!」
その瞬間だった。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
熱でも、痛みでもない。
もっと、根本的な――心そのものが割れる感覚。
「……っ」
ルカは、膝をついた。
怒り、悲しみ、後悔。
抑え込んできた感情が、一気に溢れ出す。
――もう、壊れる。
そう思った瞬間。
*
光が、落ちた。
礼拝堂を満たす、柔らかな光。
暖かく、包み込むような――癒しの力。
「……え?」
ルカが顔を上げると、そこには奇跡があった。
床に染みついた血の跡が、消えている。
古傷で動かなかった足が、軽い。
何より――胸の奥の痛みが、和らいでいた。
驚く暇もなく、悲鳴が上がる。
「し、修道女様が……!」
床に伏せていた修道女の傷が、光に包まれていく。
裂けた皮膚が塞がり、呼吸が整っていく。
「癒し……?
いいえ、こんな……」
修道女たちは、言葉を失った。
誰も祈っていない。
誰も詠唱していない。
ただ――そこにいたのは、一人の少年。
「……俺じゃない」
ルカは、震える声で呟いた。
「俺は……何もしてない」
しかし、修道女の一人が、確信をもって言った。
「違うわ」
その目には、畏怖があった。
「あなたから……光が出てる」
空気が、凍りつく。
「男の子、よね……?」
「聖女の加護は、女にしか……」
ざわめきの中、誰かが口にした。
「……聖女?」
その言葉を聞いた瞬間、ルカの視界が歪んだ。
胸が、締めつけられる。
――やめろ。
――そんな名前を、俺につけるな。
次の瞬間、力が暴れ出した。
制御も、意識もないまま――
聖力は、ルカの器を越えようとしていた。
「……っ!」
ルカは、崩れ落ちる。
それが、
聖女候補・アリアが派遣される原因となる“事件”の始まりだった。




